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三十八章 我らが王よ‐Mansour‐(13)

 嫌な予感が見事に的中してしまった事で、ターヤ達もついつい口を噤んでしまっていた。
 マンスはモナトを抱えたまま、上半身を折り曲げて、今にも拳を地面に叩き付けそうな姿勢となる。
「一番近くに居たのに、ぜんぜん気付けなかったなんて……!」
 彼は悔しくて堪らなかったのだ。全く気付けなかった自分にも、それをひた隠しにしていたモナトにも。そして、何となく感覚的に理解できてしまうからと、しっかり大人の話を聞いておかなかった、過去の思い上がった自分にも。
「ぼくが、ちゃんと話を聞いて理解してれば……そうすれば、ちゃんと〈契約〉できてた筈なのに……!」
『オベロンさまのせいじゃ、ないです』
 だが、彼の腕に抱かれた白猫は、緩慢な動作で首を振った。
 途端に我に返ったように状態を起こして再びそちらを見れば、彼の相棒は何とか笑みを浮かべようと、残りの力を振り絞っていた。
『モナトは、大丈夫です……だから――』
「だいじょぶな訳ない!」
 思わず怒鳴りつけるように気迫が込められた声で否定すれば、白猫の言葉は途切れる。それを申し訳ないと感じる一面を持ちつつも、マンスは感情に任せて気持ちを吐露していた。
「きみ一人さえも救えないで、何が《精霊王》だ! きみを救えないのなら、ぼくは《精霊王》なんかになるもんか!」
 ある意味では問題発言とも言えるこれには、一行並びに外野どころか、四精霊と《鋼精霊》までもが驚きを露わにする。ただし《精霊女王》だけは、何かを思案するかのような顔となっていた。
 そして、今度はモナトが慌てる番だった。今にも消えそうな自らの灯を振り絞りながら、白猫は契約者を想い止まらせようとする。
『そ、そんなの、嫌です! モナトは……マンスールさまに、マンスールさまだから、《精霊王》になって、ほしいんです……!』
「でも、ぼくは《精霊王》になれたって、きみが隣に居てくれないなんて嫌だよ! ずっと、一緒だったんだから……!」
 とうとう今にも泣き出しそうな顔になったマンスには、モナトが言葉を詰まらせてから申し訳無さそうに眉尻を下げた。オベロンさま、とその口から掠れた呟きが零れ落ちる。
 何も打つ手は無いのかと、一行の間には、他の人工精霊の時のような絶望感が広がり始めていた。

 契約自体は形になっているので《鋼精霊》の時と同じ方法は使えない上、それ以外の方法が無い事は無言を貫く《神器》が証明している。
『もしも』
 そこに割り込むようにして飛ばされたのは、《精霊女王》の声だった。
『あなたが望むのでしたら、わたしはあなたに《精霊女王》としての位を譲りましょう』
「「!」」
 思っていなかった助け船には、すぐさま皆が反応する。
 同時にレオンスは、思い出したように叫んでいた。
「そうか、どちらか片方は伴侶にしかなれないが、《精霊王》と《精霊女王》は同時に存在できる!」
 すっかりと忘れていたその事実を思い出せた事で、その場の雰囲気は明るい方向へと転換されていく。
 しかし、そこで疑問を覚えたターヤは《精霊女王》へと問いかけた。
「でも、あなたはマンスに位を譲ってるし、そんな事ができるの?」
『はい。幸い、モナトは女性体のようですから』
 これに対し彼女は頷き返してみせながら、意味深な視線を白猫へと送る。
「モナトって、女の子だったんだ」
 そちらには気付かずに思わず間の抜けた声を零してしまったターヤだったが、他の面々もまた似たような反応をしていたからなのか、マンス辺りからツッコミが入る事は無かった。
 一方、モナトは限界を迎えている状態と、予想外の事態に直面した驚きという要因により、二重の意味で頭が回らないらしい。事態についてこれていないといった様子で、目を丸くして《精霊女王》を見上げていた。
『モナトが、次の、《精霊女王》に……?』

『はい。彼と一緒に居たいのなら、彼を悲しませたくないのなら、そうするべきだと思いますよ?』
 これが現実なのだと認識させるかのように《精霊女王》は頷いてみせるが、モナトは実感が持てないらしく顔を俯けるだけだ。
『でも、モナトは……』
『おまえは、マンスールを悲しませる気か?』
 そこに声をかけてきたのは、今まで無言を貫いていた《鋼精霊》だった。
 予想外とも言える人選には、図らずともそちらに皆の視線が集中するが、ハリネズミは構わず白猫へと問いかけ続ける。
『おまえは、おまえを大切に思う者の心に、傷跡を残すと言うのか?』
『そ、んなつもりは……』
 責めるような言い方にモナトは言いよどむ。
 確かに厳しい口調ではあったが、《鋼精霊》なりに相手を心配しての行動だと皆は理解していたので、口を挟んだり止めたりはしない。
『ならば、問い方を変えよう。おまえの本心はどこにある? おまえは、どうしたい?』
『モナト、は……』
 諭すような声に、ついついモナトは乗せられてしまう。けれども、思うように動かない頭ではその事に気付く余裕も無く、脳は訊かれたままの答えを用意した。
『モナトは、まだ……オベロンさまと、一緒に居たいです……!』
 そうして白猫が叫ぶように発したのは、紛れも無い本心であった。
 対して《鋼精霊》は、それを聞きたかったと言うかのように表情を和らげる。
『それで良い、我が《精霊女王》』
 優しい声だった。彼女を認めると言わんばかりの敬称とは裏腹に、まるで子を見る親ないしは妹を見る兄のように、慈愛に満ち溢れた態度である。ハリネズミという姿とも結び付けられてしまうような《鋼精霊》らしい刺々しさが、今の彼には見当たらなかった。
 その珍しいと言っても過言ではない様子に、思わず皆は目を丸くさせられてしまう。
 ターヤもまた驚きながら、おそらくは同じ人工精霊だからという理由が強いのだろう、と考えてもいた。
 そしてモナトは、その呼称に少々涙腺を刺激されてしまったようだった。
 本心も訊き出せたところで、《精霊女王》はその場で膝を折って、マンスと目線の高さを合わせる。無論、足は地面から数センチ程浮いたままではあったが。
『ではモナト、失礼しますね』
 そう言いながら彼女は手を伸ばし、白猫の小さな手をそっと取って軽く握った。
『我は精霊の女王なり。我、ここに後を継ぎし器を見定めたり。これより、我はその者へと我が存在の全てを継承せん』
 文言が始まった瞬間、これまでと同じく対象を中心とした魔法陣が出現する。
 同時にモナトが眉を顰め、身体を丸めるようにして縮こまった。おそらくは、身体に起こった急激な変化に対する拒絶反応のようなものなのだろう。
 反射的に立ち上がりかけたマンスだったが、すぐ我に返ってゆっくりと腰を下ろした。それから今度は無言で抱き留めている相棒をじっと見つめる。彼女に触れて居る方の手には、無意識の内に力が入っていた。
 全員が緊張の面持ちで見守る中、やがて魔法陣は収束していく。そうして完全に消え去った収まった時には、モナトに起こっていた〈マナ〉の乖離も、最初から無かったかのように収まっていた。
「モナト!」
 感極まったマンスは《精霊女王》の手をも巻き込むようにして、今度こそ相棒を抱き締める。
『おべろん、さま……?』
 微かながら応える声があった事で、その力は更に強さを増した。
 皆もまた安堵を覚える中、先程の彼の時とは違い、元が人工精霊ならばすぐに精霊化できるのか、とターヤは変なところで感心してもいた。
 一方、《精霊女王》は引き抜くようにしながらゆっくりと手を離すと、視線を移してきたモナトへと安心させる為の笑みを向けながら、成功を告げる。
『今回は王政となったので統治者にはなれませんが、これであなたは精霊となりました』
 まだ完全に復調した訳ではないものの、徐々に回復しているモナトは、その言葉を理解して表情を和らげた。

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