top of page

三十八章 我らが王よ‐Mansour‐(11)

 けれども、その身体を背後から支えるものがあった。驚きながらも首を動かした彼が見たものは、柔らかな腹と、その後ろに見え隠れする針だった。
「アシ、ヒー……?」
『後は気にしなくとも良い。俺達が居る』
 予想外の事態に荒い呼吸を繰り返しながら目を丸くしたマンスへと、横倒しにされたような姿勢となり、唯一針の無い腹部で彼を受け止めた《鋼精霊》は激励の言葉をかける。
『そうです! ぶ、物理的な支えにはなれませんけど、モナトも居ます!』
 小さすぎる故に何もできなかったモナトは、彼の足元で負けじとぴょこぴょこ跳ねた。
 頼もしい二人に、自然とマンスの頬も緩む。同時に、自分を『王』として認めてくれた彼らの為にも頑張らなければという意識が、よりいっそう強まった。
「――〈活力全開〉!」
 そこに、後押しするかの如くターヤの治癒魔術が降りかかる。溜まっていた疲労は一気に吹き飛んだが、あえてマンスは《鋼精霊》に寄りかかったままにした。
「アシヒー、モナト、背中は任せたからね!」
『心得た、我が《精霊王》』
『任せてください、オベロンさま!』
 気合いの入った返答を受け取りながら、マンスは《風精霊》の制限を解除しにかかる。
 一方、マフデトは行動が可能にはなったものの、魔術の妨害を受けて《精霊女王》に接近する事すら叶わずにいた。それでも、何とか好機を作り出せないものかと縦横無尽に戦闘区域を動き回りながら、鋭い視線を相手に向ける。
 未だ動き出せそうにないアクセルとレオンスは、歯痒い思いを抱えながらも、そんな彼女達を見守るしかなかった。
「――〈土精霊〉!」
 だが、ここで転機が訪れる。遂にマンスが四精霊を全員召喚し終えた上、制限の解除までもを終わらせてみせたのだ。
 これにより、当の本人は思い出したように疲労の波に襲われていたが、その身体は《鋼精霊》が支えたままだ。
 後方ではターヤが、彼の為に二度目の〈活力全開〉を詠唱している。
 そして、上空では四精霊と《精霊女王》とによる魔術戦が展開されていた。しかし幾ら《精霊女王》と言えども、本来の力を発揮できている四精霊全員が相手ともなれば、流石に苦戦するようで、徐々に押され始める。
 そうなれば、今までは連発されていた魔術と魔術の間にも隙が生じてくる訳で、これを好機と見たマフデトは《精霊女王》を背後から強襲する。
 四精霊を相手取るのに意識の大半を割いていた彼女は、ここで初めて被弾を許した。
『っ……!』
 それでも次は許可せず、自らを中心とした全方位へと電撃を飛ばす上級魔術〈放電〉でマフデトを弾き飛ばす。だが、豹はこれを待っていたとばかりに口元に笑みを乗せた。
「行くぜ!」
「了解だ!」
 なぜなら、マフデトが作った一瞬の隙の下、アクセルとレオンスは〈結界〉の外へと飛び出していたのだから。
 彼らに何ができるのかと訝しんだ《精霊女王》ではあったが、念の為その接近を妨げようとする。けれども、彼女が放つ魔術は四精霊が全力で相殺していった。
 《精霊女王》のほぼ足元へと辿り着いたアクセルは屈み込むと、両手を組み合わせてなるべく下に下げる。
 わざと速度を落として彼の後を追いかけていたレオンスは、それを見た途端に加速して助走を付け、そこに足を乗せるようにして踏み出した。なぜか、その片腕は自身の胸元を抱くかのように折り曲げられている。
「いぃっけぇぇぇぇぇ!」
 瞬間、アクセルは力の限りに両腕を真上へと押し出す。これによりレオンスは弾丸の如く、上空目がけて飛び出していった。

 思ってもいなかった予想外の行動に一瞬固まる《精霊女王》だったが、すぐに並行して彼を撃ち落そうとする。とは言え、それもまた四精霊が全力で邪魔していた。
 しかし、彼らの狙いは元々そこにはない。
「頼んだ!」
 元から存在する重力に押し負けそうになった瞬間、レオンスは片腕で抱いていた『何か』を掴み、全力で上空へと投げ飛ばしていた。それは砲弾の如く、《精霊女王》に向かって一直線に飛んでいく。
 近付いてくるに連れ、隠蔽の能力が薄れて露わになったその正体には、今度こそ彼女の顔が驚愕に染まる。
『!』
「モナトっ!」
 マンスが渾身の力を総動員して呼んだのは、彼にとって唯一無二の相棒だった。
 応える余裕は無かったものの、相棒の声に背中を押されたモナトは目を閉じずに突っ込んでいき、咄嗟の対応も取れなかった《精霊女王》の額へと強力な頭突きをかましてやった。
「――〈四精霊〉!」
 そこに、とどめとばかりにマンスの固有必殺魔術が叩き込まれる。その詠唱は、支援魔術〈詠唱省略〉により免除されていた。
 再度召喚し直されたような形となった四精霊による四大元素の合成攻撃は、軽い脳震盪を引き起こされていた為に何の対処もできなかった《精霊女王》を直撃する。
『――っ!』
 無防備な状態で真正面から、必殺とも言える一撃を喰らった彼女は悲鳴を上げて吹き飛び、背後の岩壁に衝突した。そして、そのままぴくりとも動かなくなる。
『これで、おまえの勝利だろう、マンスール』
 戦闘終了の合図とばかりに《火精霊》が発した言葉を聞いた瞬間、外野を含めた皆は大きく安堵の息を吐き出していた。まだ手放しに喜べるような状況ではなかったが、この大規模戦闘に終止符が打てた事で、張り詰めていた緊張が解けたのだ。同時に、それまでは気付かずにいた疲労が波となって、一気に押し寄せてきた。
 特に、精霊化を引き起こさない限界まで〈マナ〉を使いきったであろうマンスに至っては、最早自力では立ってもいられないようで《鋼精霊》に支えてもらっている。
 四精霊もまた《精霊女王》の様子を気遣わしげに窺いつつも、休息に入っているようだ。
 まさに、彼らにとっては総力戦であったのだ。
 人の姿に戻ったアシュレイや、落下したところを《風精霊》にモナト共々受け止めてもらっていたレオンス、彼の腕に抱かれている白猫の頭を労うように撫でているアクセル、最後まで固唾を飲んで見守っていたオーラは、〈結界〉の解かれた仲間達の許に集っていた。
 そして、ターヤが慌てて詠唱を終えてマンスを優先に治癒魔術をかけ始めた頃、ゆっくりと《精霊女王》が身体を起こし始めた。
『いたたたた……なかなか強力な一撃でしたね』
 よほど痛かったらしく、額を摩る彼女に真っ先に気付いた四精霊が姿勢を正してそちらに向き直れば、他の面々も彼らに倣っていく。
 マンスはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込んでから、彼女の言葉を待った。つい先程までの戦闘以上に緊張しているようにも見える彼と目を合わせた彼女は、口を開く。
『良いでしょう。あなたを、わたしの後継ぎと認めます』
 簡潔な言葉で《精霊女王》は、マンスール・カスタを時期《精霊王》として認めた。そして怖い顔もここまでとばかりに、それまでとは明らかに異なる微笑みを零す。
 ターヤの目には、それがまるで我が子の成長を見届けた親のような顔として映った。


「――っ!」
 同時刻、芸術の街クンストの外れに建つ、古めかしい一軒家の軒先に腰を下ろしていた中年の女性は、突如として胸を締め付けられるような感覚に襲われていた。思わず声を上げて、上半身を折り曲げながら胸元を両手で押さえてしまうが、しばらくすれば、それが痛みではない事に気付く。次いで、フィオーレ、と誰かに呼びかけられたような気もした。

​アリヤオプシーニ

ページ下部
bottom of page