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三十八章 我らが王よ‐Mansour‐(10)

 けれども、その巨体は《精霊女王》が発動した風により優しく受け止められ、ゆっくりと下されていた。これを目にして驚く一行を尻目に、彼女はそこで攻撃の手を止める。
 そうなれば皆もつられて同じ行動を取ってしまうが、訝しげな表情になりながらも、視線は彼女から逸らさなかった。特に疑い深いアシュレイは身動きできない状態のままながら、これも何かの策ではないかと考え、その鋭敏な感覚で相手の一挙一動を観察している。
『……それにしても、久々《精霊王》に相応しい器を見つけられたのではないかと期待していただけに、あなたには失望させられました』
 しかし、本当に戦闘をこれで終える心算らしく、大きく息を吐き出しながら《精霊女王》がマンスに突き付けたのは、紛れもない否認だった。


「え――」
 途端に衝撃を受けて、反論するどころか硬直してしまった少年には、自然と皆の視線が集う。その殆どが、心配や気遣わしげなものであった。
 流石にこれだけでは不適切だと思ったのか、《精霊女王》は補足を用意している。
『この戦闘には、あなたと仲間達の連携と、信頼の強固さを確認する意味合いもあったのですよ。それになのに、あなたが仲間に任せたのは支援だけ。彼らの方が先に状況を理解して行動に移っていましたけど、あなたは結局気付きませんでしたね。それに、わたしは「攻撃するのはあなただけでないとならない」とは、一度も言ってはいませんよ?』
 若干声を和らいだ声で開示された隠された意図で、一行全員が、ようやくマンスに感じていた違和感の正体を掴む事ができた。彼は、自らの力だけで《精霊女王》を倒す事に固執していたのだ。
 逆に、強張りの解けたマンスは、何とか思い止まってもらおうと慌てて反論する。
「で、でも、オーラのおねーちゃんはだめだって言ったよね!?」
 この対応については往生際が悪いと認識したらしく、彼女は呆れを覗かせ始めた。
『彼女の参加を認めなかったのは、《神器》の力というのが規格外のものだからです。彼女に参戦されてしまうと、あなたの力量を測るどころではなくなってしまう恐れもありますから。ちなみに《ケテル》の参加を認めたのは、今代の彼女の力は、まだまだ不安定で不完全だからなんですよ』
 とうてい喜んで良いとは思えない理由をついでとばかりに明かされた為、場違いだとは解りつつも、つい苦笑いを浮かべてしまうターヤである。そこで、失敗したかな、というスラヴィのものらしき後悔を含んだ呟きを、耳が拾い上げた。密かにそちらを窺えば、彼にしては珍しく眉間にしわが寄っているらしい。
 また、殆ど見限られてしまったにも等しい現状には、戦闘に参加している面々も外野も、誰もが井戸の底へと叩き落されたような空気を生じさせていた。特に、当の本人たるマンスとその相棒モナトに至っては、絶望の一歩手前とも言える表情と化してしまっている程だ。
 と、そこで《精霊女王》は一転、非難の色を引っ込めた。
『生命が一人でできる事は、とても限られています。それは人間だろうとエルフだろうと、精霊だろうと同じです。だから、わたし達は互いに手を取り合うんですよ。例えば、あなた達《召喚士》と精霊と言うように』
 まるで経験してきたかのように実感の籠った声であり、どことなく諭すような色合いをも含んだ声であった。
 唐突に話題を変えたかのようにも思える彼女には、多くの者が困惑を示す。
 対して、一行やマリサは、この言葉で彼女の言わんとしている事が理解できた。
 そして、他ならぬマンスも。
「《精霊女王》」
 水が氷結する如く芯の通ったような声には、その場に漂っていた他の声全てが一瞬にして静められる。見れば、姿勢を正した少年が、まっすぐに宙に浮かぶ女性を見上げていた。
「もう一回、ぼくにチャンスをください。お願いします」
 深々と頭を下げた少年を、彼女だけではなく現状を共有する全員が見つめる。

 しばらくは沈黙が全てだったが、やがて《精霊女王》は、仕方ないとばかりに首を縦に振ってみせた。
『解りました。ですが、これで本当に最後です。次はありません』
「はい、ありがとうございます!」
 彼女の言葉には、端々にまで崖っぷちの状況だという事実は込められていたが、それでも猶予を与えられた事でマンスの瞳は輝きを取り戻し、口からは喜びを隠しきれない声が飛び出す。それからすぐに視線は一行へと向けられた。ただし、即座に気まずそうな様子となる。
「その……さっきは、先走っちゃってごめんなさい。今度は、援護だけじゃなくて、おにーちゃんおねーちゃんたちの力を貸してほしいんだ。お願いします」
 それでも、先程よりも丁寧になった言葉に彼の誠意が表れていた。
「勿論、断る理由は無いよ。それに、これは俺の責任でもあるから」
 真っ先に応えたのはスラヴィだった。彼は最初に『さっきと同じで、俺達はあくまで支援するだけだから』と発言し、図らずともマンスに自責させるよう仕向けてしまった事を悔いているのだ。
 ターヤ達も彼に続き、異論は無いと証明すべく頷いてみせる。
 改めて仲間達の協力を取り付けてから、マンスは精霊達へと向き直った。
「みんなも、もう一度ぼくに力を貸してほしいんだ。……お願いします」
 かの《精霊女王》に、一度は精霊の頂点に立つ者としての器を否定されてしまった事で、こと精霊達から信頼されているというマンスの自信は幾分か削られてしまっていた。故に、彼は仲間達に頼んだ時よりも、若干控えめな態度を取ってしまう。
『おまえの判断ならば異論は無い、我が《精霊王》』
『大丈夫です、オベロンさま! モナトたちがついてますから!』
 だが、人工精霊の二人は、瞬時に契約者からの頼み事を引き受けていた。彼らはその出自が出自だけに、一度自らの『王』として認めた相手には、とことん付いていく性質があるようだ。
 彼らに同意するように、四精霊の二人も動作で肯定の意を表す。
 まだ皆には見捨てられてはいなかったと知るや、マンスは失った光を取り戻したかのように顔全体を輝かせる。
「みんな、ありがと! ――よろしくお願いします!」
 それから《精霊女王》に向き直るや否や、再び思いきり頭を下げた。
 対する彼女は口の端に微笑を浮かべると、返答とばかりに、彼へと幾つもの鋭利な葉を差し向ける。草属性の中級魔術〈切り刻む草〉だ。
 けれども、それは《火精霊》が作り出した炎の盾が阻んでいる。
「『風の化身よ』――」
 その隙にマンスは詠唱を開始していた。ターヤがかけてくれた支援魔術はもう効果が切れていたが、焦らないよう気を付けながら詠唱を紡いでいく。
 普段通り全員攻撃という指針にはなったものの、《精霊女王》は四精霊の二人を加えた一行相手にも、未だ余裕と優勢を保っていた。故に、見た目は先程までとは何ら変わりない。
 しかし全員の、主にマンスの心構えだけは大きく異なっていた。
「――〈詠唱加速〉!」
 ターヤが再度彼の詠唱時間を半減させれば、ちょうど構築は完了した。それを受けて、マンスは第三の四精霊を喚び出す。
「――〈風精霊〉!」
 巨鳥は顕れると同時、アシュレイを捕らえていた風の牢獄の管理権限を奪い、霧散させる。
「恩に着るわ!」
 感謝の意を述べた直後、彼女はマフデトへと〈獣化〉していた。そのまま今度は明確な攻撃の意思を持って、《精霊女王》目がけて一直線に飛びかかっていく。
 それを見送ってから制限を開放する詠唱に入ろうとしたところで、彼は突然の内部攻撃を受けた。
「っ……!」
 思わず歯を食い縛る。三人目の四精霊を召喚した事で、じわじわと這い寄っていた負担が表出してきたのだ。ここで止める訳にはいかなかった為、何とか踏ん張ろうとするマンスだが、つい先程も四精霊を召喚していた事もあってか、今度ばかりは限界に近かった足からバランス感覚が失われ、全身が背後へと傾いていく。

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