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三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(9)

 正気を取り戻したからなのか、先程以上に隙が無く吸い込まれるように急所を狙ってくる攻撃に、レオンスは内心舌を巻いていた。それでも、俊敏さのハンデを生かして相手の攻撃を全ていなしていたが、やはりターヤには悪いが、殺すつもりくらいの気合いで相手をするべきかと考える。
(止める為にも仕方がない、か)
 一筋縄ではいかない相手が本気だからこそ、レオンスもまた、殺すくらいの覚悟で臨まなければならなかったのだ。故に彼が再び目配せをすれば、二人はすぐさま加勢してくる。
 これには、自身の不甲斐なさを痛感しているターヤは何も言えず、逆に好機と見たアクセルはソニアの許へと向かっていた。
 三人を相手にする事となってもエルシリアの表情は動かなかったが、明らかに攻撃の頻度は落ちて防戦気味になっていた。武器は思うように震えず、魔術を使用する暇も無いのだ。
 かくしてできた隙を見逃さずにスラヴィは今度は大鎌を絡め取り、それにより一瞬止まってしまった相手の首元と鳩尾目がけてアシュレイとレオンスは武器を振るう。少しばかりの負傷は厭わないつもりだった。
 だが、彼女を庇うべく、刃の軌道上に飛び込むようにして割って入ってくる影があった。気を失っていた筈の、他でもないソニアである。
「「!」」
「駄目です!」
 予想外の事態には皆が驚愕し、オーラが反射的に悲鳴を上げる。
 これを受けて即座にアシュレイは後退し、咄嗟に緊急回避に移ったレオンスは、何とか短剣の刃先で彼女のローブを掠めるに止めた。
 けれども、エルシリアが応戦すべく振るっていた大鎌のだけは、その大きさ故に回収が間に合わず、ソニアの胸部を貫いてしまう。
「「!」」
 思いもしなかった悪夢には、アクセルが誰よりも目を見開いていた。
 そして、エルシリアは眼前の光景についていけていないようだった。力の抜けたその手から血の付いた大鎌が滑り落ち、音を立てて地面に転がる。彼女が強い衝撃を受けている事は一目瞭然だった。
 その隙を見逃さず、《水精霊》は自らの意思で彼女と、ようやく隙を見せたスチュパリデスを水球に閉じ込める。
 すぐさま気付いて抗議しかけたマンスだったが、即座に彼女の意図も思考も察せてしまったので、その言葉は飲み込むしかなかった。
 元より抵抗する気力の無かったエルシリアは簡単に溺れかけ、その直前で解放されて、怪鳥と共に大した衝撃も無く少し離れた場所へと落とされる。呼吸は荒くなっていたが命に別状は無いようで、怪鳥の方は気絶しているだけだ。
 それを見届けてから《水精霊》は帰っていった。
「ソニア!」
 そこでようやく、アクセルは弾かれたように、今度こそソニアの許へと駆け寄っていく。
 ターヤもまたそちらに向かおうとしたが、ふと思い立って行き先を変える。地に横たわりながら浅井呼吸を繰り返すエルシリアの傍まで行くと、彼女はそこに膝を付いた。
「エルシリア」
 名を呼べば、彼女の視線が緩慢な動作でこちらへと視線を動かす。
「あの時頷けなくて、今も応えられなくて、本当にごめんなさい。でも、わたしは、間違った方を選んだなんて思ってないから」
 ずっと心の片隅で燻っていたしこりを、今になってようやくターヤは解消させようとしていたのだ。それだけ言うと、ターヤはすぐに立ち上がって彼女へと背中を向け、ソニアの許に向かう。
 その背を、エルシリアはひゅーひゅーと喉を鳴らしたまま、ぼんやりと眺めていた。
「ソニア! ……おい、ソニア!」
「『立ち上がれ』――」
 アクセルの悲痛な呼び声を耳にしながらその近くまで寄ったターヤは、すぐさま詠唱を開始する。ただただ早口に努めながら、間に合えと願うしかなかった。

 既にオーラが止血を済ませて上級治癒魔術をも連発していたが、あまりに深すぎるのかエルシリアの攻撃に付与効果でもあったのか、一向に治る兆しは見えず、余談を許さない状況である事は確かなのだ。

 一方、アクセルは膝を付いた状態でソニアを抱き上げながら、必死に声をかけている。
「返事をしてくれよ……ソニア!」
 冷静に考えれば、これ程の大怪我を負っている相手に喋らせるのは危険以外の何者でもなかったが、あまりにも痛々しい叫びなので誰も口を挟む気にはなれなかった。
 何度も行われる決死の叫びが届いたのか、ゆっくりとした動きながらも彼女の瞼が動く。そうして現れた瞳がアクセルを映した。
「……アク、セル?」
「! ソニア!」
 夢を見ているような声だったが返事はあった為、彼は弾かれたように名を呼ぶ。最悪の事態にはなっていなかった事への安堵から、表情はすっかりと綻んでしまっていた。
 しかし、ターヤは詠唱を行いながらも、薄々ソニアはもう助からないのではないかと思ってもいた。目先の事に集中してしまっているからなのかアクセルは気付いてないようだが、彼女からはまだ僅かに闇魔の気配が感じられたのだ。
(〈無限光〉は失敗してなかったし、これって、もしかしてレヴィアタンの呪術なの?)
 もしや《嫉妬の海レヴィアタン》が『特に危険』だとされているのは、何も無効化能力だけではなく、自らが先に消えると宿主を道連れにするような呪術を使うからではないのか、そう思えてしまったのである。
 そしてオーラは、その事をとうに知っていた。それでも彼女は、一縷の望みにかけて足掻かずにはいられなかった。
 そうとは知らないアクセルは、安堵の顔でソニアを見ながら息を吐き出す。
「良かった、ソニア……」
「いいえ……私は、もう助からないと、思いますわ」
 けれど、当の本人は申し訳無さそうに微笑んだだけだった。この言葉に再び驚いた彼から、彼女の目が離れる。
「あなた達は、もう、解っているのでしょう?」
 そうしてソニアの視線が移った先に居たのは、ターヤとオーラだった。
 弾かれたようにアクセルが、そして他の面々が二人を見る。
「――〈蘇生〉!」
 答えの代わりに、ターヤは瀕死状態の対象を回復する上級治癒魔術を使用する。
 そうすれば暖かな光がソニアの全身を包み込むが、やはり傷口が再生される事は無かった。
「何で……」
 驚愕したようにマンスが声を零し、アシュレイとレオンスとスラヴィは声を失う。
 アクセルは、限界まで両目を見開いて、それを見ていた。信じたくないと言うかのようにその顔は強張り、頬は軽く痙攣してもいる。
「《三界一対》が上級闇魔の中でも『特に危険』だとされている理由が、これなんです」
 そこにオーラが震える声で説明を始めた為、皆の視線が彼女へと集う。
「彼らはある一冊の〈禁書〉に封じられていた闇魔であり、おそらく、その〈禁書〉は、現在《教皇》が所持しているのかと」
 禁書とは、主に闇魔を封じている本を指す。まだ調停者一族が誕生して間もなく《セフィラの使徒》も居なかった頃、彼らは特殊な本に封じる事で闇魔を退治していたようだ。

 しかしこれには、封じた闇魔を自らの持つ特性に合致する相手の奥へと入り込めるようし、宿主は自ら闇魔を生じさせた事にさせてしまうという欠点があったのだ。
「そして、彼らは強力な呪術の使い手でもあります。その共通する特性は、宿主が掠り傷の一つでも負った時、それを致命傷に変換してしまう、というものなんです。ヴェルニーさんの場合、レヴィアタンが消された後でしたから、大丈夫かもしれないとは思いましたが……もう、誰にも手の施しようはありません」
「「!」」
 言葉に詰まりそうになりながらも紡がれた説明には、もれなく全員が驚愕し、案の定アクセルがオーラへと食ってかかる。
「じゃあ、おまえは最初っから、ソニアが助からない事が解ってて……!」

ダデーブル

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