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三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(8)

 そうと解ったターヤは再び声をかけようとするも、その前に睡眠状態となっていた筈のソニアが、ふらつきながら杖を支えに立ち上がろうとしていた。
「「!」」
「え、何で!?」
 思ってもいなかった事態には皆が意識の一部を奪われ、マンスがよく響く声を上げる。
 そして彼の発言は、ターヤのものと言っても良かった。彼女が使用した魔術はしっかりと効果を発揮していた筈なので、その反面驚きも大きかったのだ。
「……たが、居なければ……!」
 意識はすっかりと闇に呑み込まれてしまっているのか、彼女は亡者の如くアシュレイに対する呪詛しか吐かなかった。眠気を振り払えた訳ではないらしく両足は震えているが、それでも強い執念だけで彼女は動いている。
 それを横目に、少し時間はかかったものの、アシュレイとアクセルは全てのシュヴァールを戦闘不能へと追い込んでいた。
 流石にスチュパリデスの方が手強いらしく、スラヴィはまだ戦っている。
「ごめんレオン、エルシリアをお願い! ――『Luce della Genesi』――」
 そして流石に私情に走りすぎてはいけないと悟ったターヤは、エルシリアのことを再びレオンスに任せ、詠唱を構築し始めた。硬い闇魔を倒すには魔術の方が適任なので、不調な様子のオーラに変わって自分がやらなければと考えた上、嫌な予感に襲われてもいたのだ。
「俺に《司教》を任せるなんて、どうなっても知らないからな」
 そんな彼女に肩を竦めてみせてから、レオンスは再びエルシリアへと突進、すぐさま表情を正した彼女と刃を交え直す。

 彼女言うところの『導師様』とのせっかくの会話が打ちきりとなってしまったからか、相手の動作には不機嫌さが滲み出ていた。

 これには苦笑を零してしまうも、すぐ表情を正したレオンスは、先刻同様いっさいの容赦はしないのだった。
「あいつ、大丈夫な訳?」
 一方、アシュレイはアクセルへと訊いていた。彼女の言葉は簡潔だったが、これでもソニアの状態を気にかけているのだという事など、一行にはお見通しだ。
 問われた彼は弾かれたように答える。
「大丈夫だ。あいつはまだ、同化しちゃいねぇ。幾ら負の感情が強かろうと、こんなに早く同化できる筈が無ぇんだ」
 それでも、顔からは心配の色も滴る冷や汗も拭えていなかった。
「そう。なら、そっちはあんたに任せたわ」
 彼の言葉に頷いてみせるや否や、彼女は即座にスラヴィの加勢へと向かってしまった。
 気を遣ってくれたのだと察したアクセルは内心で感謝を述べてから、すぐにソニアへと向き直る。
「ソニア!」
 広間全体に響き渡るかの如く大きなアクセルの声に、杖を支えにしながらも立ち上がれた彼女は、僅かだが反応を示した。その視線が彼の方に動く。
 好機を見逃さず、彼は必死になって声をかける。紡ぐ言葉は全て、最初から思い浮かんだものだけだった。
「おまえをここまで追い詰めたのが俺だって事は充分解ってるし、俺はおまえの気持ちには応えてやれない。けど、俺にとっておまえは、たった一人の大切な幼馴染みなんだ!」

 ほんの少しだけ、ソニアの顔が歪んだように彼には見えた。それでも、彼女に対して嘘はつきたくなかったのだ。

「それに、俺はこの後、調停者一族に帰ってみるつもりなんだ。勿論ただで戻れるとは思っていないけど、いつまでも逃げ続けてる訳にはいかないと、俺なりに思ったんだ」

 彼女の目は今、彼だけに向けられている。

「だから、ソニアも一緒に戻ろう!」
 最後の部分だけ、口調が幼少期のものに戻っていた事に本人は気付かなかった。
 差し伸べられた手に、声に、ソニアの瞳が揺れる。
「アク、セル……」
 その口からようやく彼女自身の声が零れ落ちた瞬間、レヴィアタンが時を止められたかのように停止した。
「今です!」
 これを目にしたオーラが鋭く合図すれば、相手の無効化能力が消えたのだと知ったターヤは、用意していた魔術を発動する。

「――〈無限光〉!」
 気合いを込めて具現化された眩き光は、瞬く間に広間全体を覆い尽くした。それはレヴィアタンもスチュパリデスもエルシリアも、その場に居た全てを飲み込む。
 同じくそれに包まれながら、オーラは自らには効果が無い事を不審に思ってもいた。
 そして無効化能力を失ったレヴィアタンは、呆気無く光の中に溶けていく。断末魔の叫びも同様に萎んでいき、最後はその姿同様に掻き消えた。
 自らを乗っ取りかけていた闇魔が消滅した事で、ソニアは糸が切れたようにその場に倒れ伏す。
「ソニア!」
 慌てて駆け寄ろうとしたアクセルだったが、そこに魔術の効果を殆ど受けなかったらしきスチュパリデスと、レオンスを振り払ったエルシリアが割って入ってきたので、一旦退くしかなかった。一人と一匹は、まるでソニアを守るかのように彼の前に立ち塞がったのである。
 つい舌打ちを零すも、すぐアクセルは努めて冷静でいようとする。ひとまずソニアから闇魔は抜けたのだから、そう急く事も無いと思ったのだ。そうすれば心は落ち着きを取り戻せた為、彼は眼前の残った敵に意識を集中する。
 戦うべき相手の居なくなった面々と《水精霊》も、エルシリアとスチュパリデスを包囲するように集ったので、状況は明らかに一行優勢となっていた。しかも、幾ら一筋縄ではいかない彼らとて無傷ではなかったのだから、益々勝算は薄かったのだ。
 それでもエルシリアは一行を倒そうとする。それもまた、首の魔道具によるものなのだとターヤは解っていた。だからこそ、叫ぶ。
「エルシリア、もう止めよう? このままやったって、何の得にもならないよ」
「止め、る? それは、命令には、ない」
 けれども彼女から返ってきたのは、おおよそ彼女が正気でいるとは思えない様子だった。先程はまだ彼女らしい反応も見えていたが、現在は操り人形と言っても過言ではない状態のようだ。
 これでは話にならないと踏み、アシュレイとレオンスとスラヴィは彼女も気絶させるべく動いた。スチュパリデスの相手は《水精霊》が務めていた為、邪魔される心配も無い。
 流石のエルシリアも一度に三人を相手取るのは難しいようで、アシュレイに撹乱されているところを狙われ、スラヴィが繰り出した何本もの鎖に絡め取られてしまう。
 この隙にレオンスは相手の懐に潜り込み、今度こそ魔道具のコアを一閃した。ぱきん、と呆気無い音を立てて首輪が破壊され、同時にエルシリアの顔が、まるで夢から覚めたように驚きに染まる。
「みんな!」
 鮮やかな手際と連係プレーにターヤが思わず声を上げれば、三人を代表してレオンスが手を軽く振る事で彼女に応えていた。彼は既に相手からは離れている。
 対して、エルシリアはまだ状況が掴めていないらしく、目を丸くしたまま周囲に視線を走らせる。その身体は鎖により動きを封じられていたが、それが気にならない程のようだ。そしてその目がターヤを捉えた時、ようやく彼女は覚醒した。
「《導師》、様……?」
 未だ少しばかり呆けているような声だった。しかしそれまでとは打って変わり、表情が彼女らしさを取り戻していく。
「ああ、《導師》様、ついに、私達を導いてくださるのですね」
「違うの、エルシリア! わたしは《導師》なんかに、なるつもりは無いんだよ!」
 ターヤは前回の二の舞を踏むまいと自らの意思を叫んで示す。

 だが、人の話を聞いていないらしきエルシリアは、手首から先しか動かせない状況ながらも、器用に大鎌を一回転させる事で自らを邪魔する鎖を切断する。そうして自由になった彼女は、近くに居る三人には気付いていないらしく、花に誘われる蜂の如く真っすぐ視線の先を目指した。
 どうしたものかと困惑するターヤの前に壁となるべく割って入ったレオンスは、アシュレイとスラヴィと視線を交わす。やはり彼女ではエルシリアを暴走させるだけで、止められないと踏んだからだ。
 そして突然の第三者には、エルシリアが敵意を向けない筈が無かった。
「邪魔をするのでしたら、全員消しますね」
「エルシリア!」
 ターヤが咎めるような呼び声を上げてもやはり届いていていないようで、エルシリアは大鎌を振るってレオンスへと襲いかかる。

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