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三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(10)

「止めなよ」
「っ……!」
 その肩を制止するようにスラヴィが叩けば、途端にアクセルは言葉を失う。決して彼女のせいではない事など、彼も重々承知しているようだったが、それでも行き場の無い怒りを持て余してしまっているのだ。
 ターヤの方は、自らの予想がおおよそ当たってしまっていた事に、やるせない思いを抱いていた。闇魔と同化していなくとも助けられない状況があるのだと、思い知らされてしまったからだ。
「アクセル」
 そっと伸ばされた手が頬に触れてくれば、途端にアクセルは情けない表情となってソニアに視線を戻す。
「わりぃ、ソニア、俺は、おまえをっ……!」
 その口が紡いだ言葉に対し、彼女は違うのだと伝えるように微笑む。
「良いの、アクセル……調停者一族でありながら、大敵である闇魔を、生じさせてしまった、私が、愚かだったのですわ……」
「けど……!」
 反論しかけて、けれどアクセルはソニアの顔に、もう何も言えそうにはなかった。
 そんな彼と久方振りに近い距離で見つめ合いながら、彼女は思わず本音を零してしまう。
「ただ……一つ、後悔があるとすれば……あなたに、好きになって、もらえなかった事くらいですわ」
 瞬間、アクセルは我に返ったような表情になってから、困惑した顔へと変わる。
 彼がそのような反応をする事はソニア自身が誰よりも解りきっていた為、やはり最後まで駄目だった事に、内心そっと落胆した。それから、少し離れた場所に横たわっているエルシリアと目を合わし、大丈夫だと伝えるかのように微笑んでみせる。
 やり取りに気付いたターヤがその先を見れば、彼女は目を細め、今にも泣き出しそうな顔となっていた。ソニアが彼女をアクセルと同じくらい大切だと評したように、エルシリアもまた彼女を大切に思っていたのだろう。
 再び彷徨ったソニアの視線は、恋敵で止まる。認めたくないと最後まで足掻く思いが、声の出だしを詰まらせた。
「……私は、あなたが羨ましいですわ。闇魔に屈する事無く、自我を保っていられた、あなたが」
「別に、あたし一人の力じゃない。……みんなが、居てくれたから」
 アシュレイは相手が知っていたのに反応する事も、皆の方を振り向く事もしなかった。
 けれど、ソニアが見た彼女の顔は優しげで穏やかで、そこには《暴走豹》としての影は全く見受けられない。ああ、とここで初めて彼女は負けを認められた気がした。同時に、悔しいという思いにも襲われる。
「……アクセルが、あなたを選んだ理由が……何となく、解った気がしますわ」
 だからこそ彼女は、再び言葉を詰まらせながらも言い残す事にしていた。
 これには相手の方が呆気に取られたような顔となるも、あくまでも彼女は彼女だった。
「あたしには、よく解らないわ」
 あくまでも恋敵の前では素直になろうとはしないアシュレイへと、ソニアは笑みを残したまま、不満そうな色を顔に浮かべてみせる。
「本当に、あなたって、最後まで嫌な、人ですわ……」
「その言葉、そっくりそのまま返してやるわよ」
 それを理解した上で、アシュレイは普段通りの調子を貫き通していた。それが、彼女なりの敬意の表し方だったのだ。
 対して、ソニアは残った力で微笑み返す。最早、誰が見ても死の間際という様子である。
「アクセルのこと、宜しく、お願い……します、わ……」
「あんたに、言われるまでもないわ」
 実にそっけない返答ではあったが、この二人の間ではそれだけで充分すぎるくらいだった。
 一応は合格点をくれてやるとばかりに余裕ぶった笑みとなってから、ソニアはぎこちない動きでアクセルへと戻ってくる。その顔が笑みを浮かべたまま、くしゃりと歪む。
「……さよなら、アクセル。私を、忘れないで――」

「っ……忘れられるかよ!」
 弱々しく伸ばされた手を、彼は強く掴み返した。口からは絞り出された声は震えていた。
「忘れられる訳、ねぇだろうが……!」
 その言葉に柔らかく微笑むと、ソニアはゆっくりと瞼を下ろしていく。もう思い残す事は無いと言わんばかりに、静かに目を閉じた。
「ソニアっ……!」
 頭の片隅では解っていた事ではあったが、それでもアクセルは叫ばずにはいられなかった。その想いには応えられず、何度か敵対した事もあった相手ではあるが、それでも大切な親戚であり、幼馴染みであったからだ。
 そんな彼の様子を、そして何かと彼絡みで因縁のあった彼女を、悼むようにアシュレイは無言で見守っていた。あれ以上何も言う気にはならなかったし、そうしようとも思えなかったのである。
 ターヤもまた杖を横に置き、ぎゅっと胸の前で両手を組んで彼女の冥福を祈る。それから、ふと思い立ってエルシリアの様子を窺ってみれば、倒れていた筈の姿は忽然と消えていた。
「……エルシリア?」
 訝しげにターヤが名を呼べば、皆もまたようやくそちらに意識を向ける。そうして、そこで初めてその事に気付いたようだ。
「どこに、行ったんだろうね?」
 スラヴィが周囲を見回し、仲間達が呆気に取られながらも悔しげな様子になる中、ターヤは互いに相反する複雑な感情を覚えていたのだった。


 ソニアの遺体をひとまず端に寄せ、五匹の魔物もオーラの魔術で拘束しておいてから、ようやく一行は当初の目的であった扉を開ける事となる。
 重たいそれを押し開けた先の、同じくらい広い空間の最奥では、椅子に腰かけたクライドが余裕たっぷりな様子で待ち構えていた。一行の姿を認めた彼は、待ちくたびれたと言わんばかりの呆れ顔になってみせる。
「おや、ようやく来ましたか。随分と時間がかかったようですね」
 随分とわざとらしい態度のまま、彼は一行を見渡す。
 先の一戦のせいで、傷は回復されていたものの、彼らは明らかに疲労を溜め込んでいた。特に一時的とは言え、一人でレヴィアタンの注意を引き付けていたスラヴィが最も疲れているのだろう。
 これを見下ろすように眺めながら、クライドは益々気を良くする。
「随分と疲弊してもいるようですが、その体たらくで、いったい何をしにきたと言うのですか?」
「勿論、あんたのその高慢さを叩き折りにきたのよ。それに、あんたにはこのくらいハンデがないとね」
 対抗するかのようにアシュレイが挑発すれば、すかさずそれにスラヴィが続く。
「そもそも俺達が来ている事くらい解っていたくせに、どうして逃げなかったの? 君って、実は結構な被虐体質なの?」
「危険な芽が摘まれるところを、この目で見ておきたかったからですよ。それに、その様子ですと、リキエル司教もヴェルニー司祭も、大した役にも立たなかったようなので」
 彼の解った上での無遠慮な物言いに青筋を浮かべつつも、クライドはすぐに何とか取り繕う。
 逆にこのもの言いには、特にターヤとアクセルが過剰に反応していた。
「っ……!」
「てめぇ……!」
 その様子をも愉快そうに眺めながら彼は続ける。
「せっかくヴェルニー司祭には力を授けて差し上げたと言うのに……嘆かわしい事です」
 わざとらしく溜息をついてみせるクライドに、アクセルの怒りは止まる事無く上昇していくが、それが爆発する前にとオーラは口を開いていた。
「やはり、貴方が《三界一対》の〈禁書〉を持っていらっしゃったのですね」
 この空間に足を踏み入れた次点で収まりかけていた悪寒と不調が再び強まってきた為、彼女自身にはとうに解ってはいたのだが。

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