The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(7)
「――〈自然治療〉!」
ここで、ターヤの治癒魔術が一行全体にかけられる。
今回は全員の全パラメータを少し上げる〈能力上昇〉ではなく、味方全員を一定時間に少しずつ回復していく魔術だ。相手には強力な闇魔と手練れが居るので、一定時間で効果が切れてしまうものよりも、戦闘終了まで効果が続く可能性がある術の方が良いと踏んだのである。
「――〈水精霊〉!」
すぐ次の詠唱に移った彼女の隣で、マンスもまた詠唱を完成させて《水精霊》を喚び出していた。続けて制限解放の詠唱を開始した彼の頭上で、とうに指示を受けていたらしき巨大魚は〈マナ〉から作り出した水でレヴィアタンを攻撃する。
無視できないレヴィアタンもまたその水を支配下に置こうとし、半分の制御に成功した。
そうすれば《水精霊》も対抗した為、こうして巨大魚同士による力の拮抗が始まる。
けれども、それこそがマンスの狙いであった。厄介なレヴィアタンを一時的にでも押さえ込み、その間に宿主を気絶させてしまおうという目論見なのだ。ちなみに、既に四精霊には認められているからなのか、意思の疎通は〈念話〉をするように無言で行えていた。
こうして無防備になった詠唱途中のソニアを、アクセルとアシュレイは狙う。
「スチュパリデス、シュヴァール」
しかし、相手方の武器を思いきり弾き返して交戦を打ちきったエルシリアは、鋭く名を呼びながら広間の脇の壁際まで駆けていった。そしてそこに隠されていたスイッチを押せば、その隣の隠し扉が開き、一匹の怪鳥と四頭の馬が姿を現す。
好機とばかりにソニアを先頭不能にしようとしていた二人は、真っすぐ突撃してきた彼らに邪魔され、一旦距離を開けるしかなくなる。
この更なる相手勢力の増加に、一行は驚いて緊張と警戒を強めた。両者とも少なからず厄介な相手だったからだ。
「スチュパリデスにシュヴァールまで出してくるなんて、敵も必死なんだね」
「あくまで敵を優勢にしないようにして、総力戦にするつもりなんだな」
エルシリアと牽制しあったまま、スラヴィとレオンスは冷静に分析する。
そしてマンスは詠唱を紡ぎながら、この状況はまずいのではないだろうかと感じた。今までの戦力差でも一行がほんの少し上回っているという感じだったので、相手の戦力が増えては逆転させるのではないかと思ったのだ。
だが、この悪い予想は外れる事となる。
「――〈睡眠付加〉!」
なぜならソニアと止めようと急いでいたターヤがぎりぎり間に合い、魔術を彼女にかけていたからだ。
ちょうど魔術を発動しようとしていた彼女だったが、急な眠気に襲われた為ぐらりと揺れたかと思いきや、がくんとその場に頽れた。これにより、アシュレイの足元に浮かび上がっていた魔法陣も消える。
同時にマンスが制限の解放を終えた為、押され気味になっていた《水精霊》が最初の勢いを取り戻す。
けれども、レヴィアタンが宿主同様、眠り状態となる事は無かった。状況は降り出しに戻っただけで、黒き巨大魚は相も変わらず《水精霊》と力を拮抗させている。
「何であのおねーちゃんは眠っちゃったのに、闇魔は動けてるの?」
眼前の光景は予想外だったのか、マンスは注意を散漫にしないよう気を付けながらも独り言を零す。
言われてみれば確かに、これまで一行が相対してきた闇魔は、宿主の身体を使っている事が殆どだった。ニールソンのように宿主と闇魔が分離している場合でも、宿主が気を失っていて闇魔だけが動いているという状況に直面した事が無かったのだ。
「生命そのものから生じた闇魔が自由に宿主から出られるという事は、アシュレイさんの一件や、先程の一件で御理解いただけているかとは思います」
あえてニールソンとの戦闘についてはぼかしながら、オーラは少年の疑問に答える。
期待はしていなかったので少し驚いてそちらを見たマンスだったが、慌てて視線は元の方向へと戻した。現在の彼は手持無沙汰だが、既に四精霊の一角を召喚している上、この後に控えているだろうもう一戦の為に、ここで無茶はできなかったのだ。
「そもそも、宿主から直接生じた闇魔は『宿主が抱える闇の側面』そのものなので、宿主の分身と言っても過言ではありません。故に、彼らは宿主の身体から出て、宿主とは別に動く事が可能なのです。無論、あまり離れる事はできないようですが」
聴覚だけは話へと傾けるマンスの右隣では、ターヤが次の詠唱に移っている。
前方ではレオンスとエルシリアが再び切り結び始め、アクセルとアシュレイとスラヴィは総勢五匹にもなる魔物を相手にしていた。後者は合体と分裂を行えるというシュヴァールの特性に少々手こずっているようだが、細かな傷を負ってもすぐに回復されるので、加勢の必要は無さそうだった。
「ちなみに、闇魔に憑かれた人間は一般的に《悪魔憑き》と呼ばれますが、当初、この呼称は自ら闇魔を生じさせた者だけを指していました。この場合における闇魔は宿主から分離する事が可能な為、一般人からしてみれば、より目に見える恐怖であったからではないかと思われます。今では、闇魔に憑かれた者全員を指すようになっていますが」
彼女の説明を聞きながら、マンスはもう一つ気になる事があるのを思い出す。その為、一時的に左隣に立つ彼女を見上げた。
「おねーちゃん、まだ具合が悪いの?」
彼にも気付かれているとは思わなかったので驚き顔で彼と向き合ったオーラだが、すぐ申し訳無さそうに肯定する。
「はい。先程同様に体調が芳しくはないようなので、今回もスラヴィさんに代わっていただきました」
「そっか。じゃあ、無理しちゃだめだよ!」
途端にマンスは、子どもに言い聞かせる親のような顔となる。
これには再び目を瞬かせたオーラだったが、一瞬だけ嬉しそうな表情となって頷いた。
「はい、了解しました」
一方、ターヤは左側で行われる会話を耳にしながらも、集中は切らさずに魔術を構築していた。まだオーラからの指示は出なさそうな為、光属性と《神子》固有のものではなく、皆を支援する為のものだ。
「――〈能力上昇〉!」
今度こそ、ターヤは皆のステータスを全体的に僅かながら底上げする。
これを受けた前衛中衛組は、攻撃の手に更なる力を入れた。
それを確認してから次の詠唱に移ろうとしたところで、ふとターヤの視界にエルシリアの姿が入る。レオンスの速度に何とか食らい付きながらも、その代償とばかりに細かな傷を多く負っている彼女。彼とは異なり、それらが回復される事は無い彼女。
「エルシリア!」
反射的にターヤは彼女の名を呼んでいた。
瞬間、エルシリアは急激にパワーアップしたかのように高速で大鎌を振り、短剣ごとレオンスを遠くへと押しやっていた。
二重の意味で驚いた彼は、つい彼女達を交互に見てしまう。
「《導師》、様」
ここでようやくエルシリアの表情が動いた。その視界から全てを排除してターヤだけを映した彼女は、いつぞやと同じく恍惚とした顔になっている。
その様相に思わず退きかけてしまいつつも、反射的とは言え声をかけてしまった手前、ターヤは続く言葉を探した。しかし、無意識下の行動だったので、言うべき言葉も言いたい言葉も思い浮かばない。
「エルシリアは……クライドのことが、嫌いなの?」
結局、紡げたのは、唐突すぎる場違いとしか思えない内容だった。
レオンスどころかエルシリアにもこの発言は予想外だったらしく、彼女は幼子のように不思議そうな顔付きとなって、ぱちぱちと両目を瞬かせる。それから、理解してゆっくりと口を開いた。
「クライド……ええ、クライドのことは大嫌い。私の《導師》様を排除しようとして、私にこんな物を着けて、邪魔で、憎くて、誰よりも大嫌いで――だぁいすき」
夢を見ているかのようなぼんやりとした声を耳が捉えた瞬間、ターヤは直感していた。
(ああ、そっか……エルシリアも、本当はクライドが『特別』なんだ)
けれども、おそらく何かしらの事情があって二人の気持ち、あるいは人格自体が歪んでしまったのであろう。
リチーニヤ