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三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(6)

 しかし、現に彼らの目前で、ソニアは闇魔に憑かれている事を証明していた。
「あなたが、居なければ……あなたさえ居なければ!」
 ようやく彼女の口から吐き出されたのは、呪詛の言葉。そのどす黒く染まった両眼は、一直線にアシュレイだけを捉えている。
 その直後には噴き出す靄の量が増加し、それは彼女の背後で固まって巨大な姿を形作っていく。
「いえ、これは……闇魔が、今まさにヴェルニーさんから生じようとしています!」
 事態を悟ったオーラの口からは、悲鳴にも似た震える声が飛び出していた。同時に、胎内で強く共鳴し始めた影には、これまで以上に苛まれる事となる。〈星水晶〉程ではなかったが、それでもそれに次ぐ悪化ぶりだった。
「ソニア、おまえ……!」
 それを耳にした事で、アクセルは益々顔を蒼白にして、今にも泣きそうな声を上げる。
 けれども彼女には届いてはいないようで、その眼が標的以外を向く事は無かった。
 すっかりと予想が外れてしまった彼は、最早自分の声すらも届かないのかと絶望しかける。彼女は自分の声にならばいつでも反応してくれるだろうという、無意識下における根拠の無い自信があったのだ。
 そして、闇魔が生じる瞬間というものを初めて目にしたターヤは、強い悪寒に襲われてもいた。自然と杖を握る手に力が籠もり、空いている方の手は自身を抱き締める。
「〔教会〕自ら悪魔憑きを生み出すなんて、世も末ね」
 突き刺さるような視線を真っ向から受け止めながらアシュレイは呟くが、その皮肉には普段の調子も勢いも無かった。
 そうしている間にも、ソニアの背後で黒い靄は一つの生物を形成している。それは、空間いっぱいに広がる巨大な黒き魚だった。天井の高さが軽くアクセルの五倍はあるこの場においても、閊えてしまうのではないかと思える大きさだ。
 相手の正体を理解したオーラは視線を固定したまま、一行へと向けて説明する。その手では既に魔導書の頁が開かれており、その顔にはいつにもなく多くの冷や汗が伝っていた。
「あれは《嫉妬の海レヴィアタン》――魚の魔物《リヴァイアサン》と瓜二つではありますが、特に関連は無いとされる上級闇魔です。また《暴食の陸ベヒモス》と《貪欲の空ジズ》という上級闇魔と合わせて《三界一対》と呼ばれている存在でもあり……そして上級闇魔の中でも、特に危険だとされている存在でもあります」
 話を聞きながら、相変わらずオーラは何でも知っているものだとターヤは感心する。
 アクセルもまた、つい先程生じたばかりの闇魔について詳しいオーラを疑問視しつつも、その腕が確かな事は知っているので指摘はしない。
「加えて、グランガチなどとは比べ物にもならない程に強硬な鱗を有し、例え光属性や恩恵を受けた攻撃であろうとも通さないという特殊能力を持つ為、『最強の闇魔』と呼ばれる事もあります」
「「!」」
 オーラが続けた内容には皆、再度驚愕せざるを得なかった。闇魔に有効だとされている光属性攻撃も、《セフィラの使徒》や調停者一族の攻撃も利かないという事はつまり、相手を倒す方法が無いという事だからだ。
 片やアクセルは、眼前の闇魔が危険だと呼ばれていた意味と、オーラの顔色が良くない理由を理解できた気がした。
 片やターヤは、あの《毒龍ニーズヘッグ》よりも強い闇魔が居たのかと驚きに見舞われながら、無意識のうちに身震いしてもいた。
「それって、そんなのって、勝てるの……?」
 流石に規格外であったらしく、マンスは声どころか顔すらも強張らせている。
 他の面々もまた、今までにはないくらい強く大きな不安に襲われていた。そのような相手に果たして勝てるのだろうか、という諦念すら湧き上がってくる。
 だが、オーラは何も敵わない相手だとは言っていなかった。
「ですが、相手も無敵ではありません。闇魔に有効な攻撃を無効化していられる時間と範囲には、制限があります」
 また、この言葉でアクセルは一筋の光が差し込んだ気がした。

「って事は、その時間が切れた隙を狙えば良いんだよな?」
「はい、タイミングは私に任せてください」
 真剣な顔で食い付くように問うたアクセルを含む仲間達へと、オーラはしっかりと首肯してみせる。
 そうなれば、彼は迷いを振り払おうとするかのように、思いきり鞘から大剣を抜き放った。そうしてその切っ先を、眼前に浮かぶ強敵へと真っすぐに突き付ける。
「ああ。その代わり、こっちは任せとけよ」
 ターヤも諦めかけそうになっていた自分を叱咤し、自らが倒すべき相手を睨み付けた。
 彼らが精神と決意を強く持てば、それに触発されて、他の面々も各々の役割を果たすべく武器を構えて戦闘体勢へと移る。
 交戦の意思を読み取ったレヴィアタンが雄叫びと共に一行目がけて飛びかかれば、呼応するかのようにソニアもまた詠唱を開始した。
 前者の攻撃を防ぐのは無謀だと即座に判断した前衛中衛組は、オーラ以外の後衛を抱えて瞬時にその場から離脱する。
 直後、一行が居た場所は、レヴィアタンの衝突により陥没させられていた。
 その破壊力を目にした後衛組は、念の為相手方から距離を取って扉の反対側まで下がる。そしてターヤとマンスは、それぞれ詠唱を開始した。
 同時に、前衛中衛組は前方へと駆けている。
「さっきと同じ役割で宜しく」
 その際スラヴィからかけられた声に驚いたオーラだったが、すぐ意図を理解して返答する。
「はい、スラヴィさんも宜しく御願いします」
 それから自分達三人を覆う〈結界〉を構築した時には既に、アシュレイがソニアの至近へと迫っている。レイピアを脇に構え、真っすぐに相手の鳩尾を狙っていた。
 撃退するべく動くレヴィアタンだが、高速で動ける訳でもない相手の攻撃が彼女に当たる筈も無い。
 難無く相手の攻撃をかわしたアシュレイは、今度こそソニア目がけて突っ込んでいく。
「それと、ヴェルニーさんに軽傷も負わせないよう気を付けてください!」
「――〈浄化の円陣〉」
 しかし直前で、思い出したようにオーラが警告した上、相手が魔術を使ってきた。
 驚異的な瞬発力で回避に転じたアシュレイだったが、放射されたビームのうち一つが片足を掠める。ブーツが裂ける事も傷ができる事も無かったが、僅かな痺れが走った。
「ちっ――そういう事は早く言いなさいよ!」
 思わず舌打ちした彼女は咄嗟にその場で跳躍し、再度ソニアへと襲いかかる。無論、今度は無傷での気絶を狙って。
 今度はそこにアクセルも加勢し、互いの隙を補う事でレヴィアタンとソニアを相手取った。
 一方、レオンスはエルシリアと切り結んでいた。短剣と大鎌がぶつかる度、火花が散って金属音が鳴り響く。動作でも武器でもレオンスの方が速かったが、自身の身体を顧みないエルシリアは細かい傷を負いながらも、何とか彼の動きについていけていた。その捨て身且つ急所だけを的確に狙ってくる攻撃に、一見優勢に見える彼は偶に刃を掠らせるくらいには苦戦しており、首の魔道具を壊せずにもいた。
(参ったな……ターヤが気にしているようだから、それくらいはしてやろうかと思ったけど、流石にそこまで簡単にはいかない、か)
 おそらくは、これもクライドの指示なのだろうと思考を回しながら、レオンスは迷いなく首元を狙ってくる大鎌を、すばやく前方に動く事で避ける。そのまま相手の懐に潜り込むような形となってから首元を狙い返すも、これは上体を後ろに逸らされて回避される。加えて、エルシリアが自らを巻き添えにする事を躊躇わぬ姿勢で避けられた刃をそのまま一回転させるように回してきた為、再び距離を取らざるを得なくなった。
 また、スラヴィの方はと言えば、レヴィアタンに邪魔を指せぬよう注意を引いて引き離そうとしていた。アシュレイ程の速度は無いが、一行随一の身軽さを利用して四方八方へと跳び回る彼を、相手はなかなか捕らえられない。それでも、やはり一人で相手取るには無理があり、攻撃もできなかった為、彼は最初から防戦一方であった。

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