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三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(5)

「おう、ほっとくと十年前みたいな事になっちまうかもしれねぇし、このままにはしておけねぇからな」
 レジナルドは自信満々な様子で、任せておけとばかりに胸を張ってみせる。
 けれども、ターヤは彼を心配せずにはいられなかった。
「でも、一人で大丈夫?」
 幾ら《世界最強》と呼ばれていたギルドの一員だと言っても、今の彼は一人なのだ。大聖堂の前に集っていた僧侶や僧兵は何百人という数だった上、彼はどう見ても前衛職ではない。
 しかし、レジナルドはあっけらかんとしていた。
「おっ、心配してくれんのか、嬉しいねぇ。けど、あいつらとも合流するつもりだからな、問題ねぇんだよなぁ、これが」
 それが〔十二星座〕の者達を指している事は、全員がすぐ理解できた。
 オーラが、そっと瞼を下ろして目を伏せる。
「つまり、ここでも分担って事になるね」
「そうだな。そっちは宜しくお願いします、レジナルドさん」
 スラヴィの言葉にアクセルが頷いてから頼めば、レジナルドは更に胸を張る。
「おうよ、おじさんにどーんと任せときな! じゃあな、おめぇさん達、武運を祈ってるぜ。……おめぇさんもな、オリーナ」
 一応声はかけてみたものの、相手は彼を見る事も返答する事もしなかった。思った通りの事ながらも残念に感じつつ、レジナルドは踵を返して元来た道を戻っていく。
「御気を付けて、レジーさん」
 そこに、かけられた一声があった。

 驚き、反射的に振り返った彼の目に映ったのは、身体ごと振り向いて、まっすぐに見つめてくる少女の姿だった。リク言うところの『つんでれ』なんだか天邪鬼なんだか、もうよく解らない彼女に苦笑いを返して手を振りながら、今度こそレジナルドは去っていった。
 その背中が見えなくなるまで待つ事はせず、オーラはすぐに背を向ける。
「では、参りましょうか」
 そして何事も無かったかのように、地下通路と大聖堂内を繋ぐ扉へと向かった。
 実に解りやすい彼女にアシュレイは呆れ顔を見せ、レオンスは困ったように微笑む。
 仲間達の反応には気付かない振りをして、オーラは注意を払いながら、ゆっくりと扉を横に引いていく。重く鈍い音を立てて開かれた扉の先には、それまでのじめじめした殺風景からは一変、何とも華やか且つ煌びやかという豪華な光景が広がっているようだった。
「うわぁ……」
 これには思わず、感嘆と呆れを含んだ声を出してしまったターヤである。
 マンスも似たような顔をしていたが、そこでふと思い出したような表情に変わる。
「そう言えば、〔教会〕って貴族のギルドだったもんね」
「ええ。《教皇》も《司教》も、大貴族の当主だった筈よ。それで昔、あの二人は婚約者だったとも言われてるけど、こっちはあくまでも噂の範疇ね」
「えっ」
 披露されたアシュレイが持っている限りの情報に、ターヤは目を丸くするしかなかった。エルシリアの気持ちは解らないにしても、クライドは彼女を『特別』に思っているのだとターヤは勘付いていた。だからこそ、まさか二人が過去にそのような関係だったのかもしれないと聞かされて、益々驚いたのだ。
(でも、物語だと貴族の婚約って言うのは、政略結婚って事が多いような……。あと、本人達の仲はそんなに良くないイメージだなぁ)
 だからこそ、エルシリアは彼を引きずり下ろそうとしており、クライドもまた、彼女を憎からず思いつつも道具のように扱うのだろうか、とターヤは考える。貴族という概念が存在しないであろう世界の出身だがらなのか、彼女にはあまり想像できそうになかった。
 逆にレオンスは、良い事を聞いたとばかりに悪人面と化している。
「へえ、あの二人が、か」
〔軍〕に対する敵対心など比べものにならないくらいに〔教会〕を嫌っている節のある彼には、この話は思わぬ収穫であったようだ。

「あくまでも噂の域を出ない話だって事は、忘れないでちょうだい」
 目敏いアシュレイはすぐさまこれに気付き、念の為釘を刺しておく。
 別に、それをネタに二人をからかうつもりはなかったと弁明するかのように肩を竦めてみせてから、レオンスは少し先で待っているオーラの許へと向かう。
 ターヤ達も彼女に続き、大聖堂内へと足を踏み入れる。
 そこは、まるでエントランスホールのような広間だった。一行が使った地下通路に続く出入口から見て右側には、大聖堂の正面玄関に繋がっているのだろう通路がある。そして左側には、この先に最高権力者が居ますと言わんばかりに華美で巨大な扉が聳え立っていた。これが《教皇》の間への入り口なのだと一行は理解する。
 しかしレジナルドの言葉通り、自分達以外の人影は一人も見当たらない。
「隠れてる奴は……誰も居ねぇみてぇだな」
 アクセルを筆頭とする前衛中衛組は周囲の気配を探っていたが、どうやら何も感じられないようで、構える事はしなかった。
 それを目にした上、聞いてもいたマンスは安心したような声を上げる。
「これなら《教皇》のところまで真っすぐだね」
「いいえ、ここから先には行かせません」
 だが、タイミング良く否定の声が飛んできていた。
 ちょうど直前にそのような話をしていたからか、皆はそこまで驚きはしなかった。ただし、警戒の度合いは一気に引き上げながら、すばやくその方向を向く。
 目的地へと続く扉の前には、いつの間にかそこを防衛するように二つの人影が立っていた。
 その人物の名を、ターヤは思わず口にしてしまう。
「エルシリア……」
「ソニア……」
 同時に、アクセルもまたその隣に立つ人物の名を呼んでいた。
 続くように息を吐き出したのはアシュレイだ。
「やっぱり、出てきたわね」
 一行の眼前に立ちはだかったのは、やはりエルシリアとソニアであった。どうやらリンクシャンヌ山脈の時と同様、気配を隠す魔道具――おそらくは〈不可視のマント〉の改良版〈同化のマント〉を使用していたらしい。そして前者の首元には、未だ首輪の魔道具が着けられているようだった。
 予想できていた事だとは言え、その事実にターヤは胸をちくりと刺されたような痛みを覚える。
 一方、エルシリアとソニアは無言だった。前者は以前と同じように無表情で、後者は顔を俯けがちにしているので目元は前髪に隠されている。
 いつもならば真っ先に自分に食ってかかってくるだろう彼女が無反応だった為、アシュレイは注意深く相手を観察する。だが、前回と同じ杖の魔道具を所持している訳でもなければ、エルシリアと同じ物を着けられている訳でもなさそうだ。
「……たが」
 不審な事態に警戒を強めていた一行だったが、そこでソニアの口から声らしきものが零れ落ちていた。
「ソニア!」
 思わず名を呼んだアクセルに反応したのか、ゆっくりとその顔が持ち上がる。その目は真っ黒く変色しており、一点の光も宿ってはいなかった。
「え――」
 アクセルが間の抜けた声を上げ、ターヤが嫌な予感を覚えた瞬間だった。
 ソニアの影から、勢いよく黒い靄のようなものが噴き出したのは。
「「!」」
 これにはスラヴィやオーラでさえもが驚愕に目を見開く。それ程までに、眼前の光景は衝撃的なものだったのだ。
「調停者一族でも、闇魔に憑かれる事があるの……!?」
 ターヤの上げた驚愕の声こそが、皆の総意でもあった。
 アクセルでさえも、この事は知らなかった――否、そのような可能性など考えた事が無かった。世界を揺るがす闇魔を消す為に生まれてきたと言っても過言ではない自分達が、その闇魔に憑かれるなどと、考えたくもなかったのである。

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