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三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(12)

 自身の優勢を理解しているクライドは余裕を崩さない。寧ろ、相手を煽ろうとするかのように口を開いてもいた。
「どうやら私の攻撃も届きにくいようですが、この防護壁がある限り――」
 けれども、言葉の途中で不可視の防護壁が掻き消える。
「なっ……なぜ消えたのだ!? 防護壁が消えるなど――ま、まさか!」
 防護壁が焼失するなどとは微塵も思っていなかったようで、クライドは途端に余裕を失って慌て出す。それから何かが思い浮かんだらしく、弾かれるように頭上の壁に取り付けられた紋章を見上げた。
 逆にマフデトは、してやったりとばかりの笑みを浮かべる。
『二人足りなかった事に気付かなかった時点で、あんたの負けは決まってたって事よ』
「!」
 どうやら防護壁のシステムか中枢を破壊されたらしく、クライドが苦々しい顔となった。
 ターヤもまた、レオンスとスラヴィの姿が見えない事に気付いたのは途中からだったので、黙っておく。その代わりに杖をぎゅっと握り締めて瞼を下ろし、自身の中を流れる〈マナ〉に意識を集中する。
「――今だ、ターヤ!」
 突如として、クライドの紋章が内側から蹴り飛ばすように外されたかと思いきや、そこから顔を覗かせたスラヴィが叫ぶように合図していた。
 その瞬間、彼女は瞼を押し開け、気合いと共に呼ぶ。
「来て、ニルヴァーナ!」
 呼び声が空間いっぱいに響き渡った直後、彼女の頭上で光が弾けた。それは比較的すぐに収束し、その場に一頭の白龍を顕現させる。
「まさか、本当にあの《ニルヴァーナ》と契約していたというのか……!」
 噂程度にしか認識していなかったようで、クライドは更なる驚愕に両目を見開いていた。
 いきなり〈マナ〉をごっそり抜かれた疲労感に襲われながらも、ターヤはニルヴァーナへと叫ぶように声をかける。
「お願い、わたしに力を貸して、ニーナ!」
『ターヤさんが、お望みとあらば』
 首を無理向かせて一つ返事で承諾してから、ニルヴァーナはクライドへと向き直った。
 刹那、彼の手にあった〈聖書〉には、何本もの光の矢が突き刺さっていた。反能する暇も与えられない速さだった。
「なっ……!」
 この勢いに押された〈聖書〉は持ち主の手元から吹き飛ぶようにして離れ、その間にもマフデトに放り投げられたアクセルがクライドに肉薄している。その勢いに乗って思いきり振られた大剣の刃は、思わず〈聖書〉に伸ばされていた彼の腕を一閃した。
「がっ……!?」
 自らもまた勢いに負けたクライドは、苦悶の声を上げて尻餅をつき、その首筋に相手の大剣を突き付けられた。強い怒りを湛えた眼を向けられて恐怖を覚えながらも、プライドを駆使した彼は何とか飲み込む。〈聖書〉は光の矢で地面に縫い付けられており、例えそれら全てを抜いても、最早使い物にならなさそうな状態となっていた。
 ターヤもまた、ニルヴァーナに光の矢で包囲して動きを封じさせ、その隙にアシュレイは他にも仕かけが無いかどうか視線を走らせ、マンスは念の為《火精霊》をすぐ動けるように待機させていた。
 レオンスとスラヴィも、仕掛けのあった場所から《教皇》の間に戻ってきている。
 その間にもアクセルは、見下ろしたクライドへと要求を告げる。
「今すぐ表の奴らを撤収して《教皇》の座から降りて、ソニアとエルシリアに謝れ」
「この私に、《教皇》の座を降りろと言うのですか? 誰よりも《教皇》に相応しい、この私に!」
 途端にクライドは感情的に反論を叫ぶも、アクセルの目は、これ以上無い程に剣呑な光を放ちながら相手に固定されたままだ。
 もしもの時は彼を止めねばなるまいと、マフデトとターヤは彼の動向をも注意深く見守る。

 突き刺すような眼光に怯んでしまっていたクライドだったが、何事かを思い付いたらしく、すばやく表情に余裕を取り戻す。その口元は、これでもかと言うくらい弧を描いていた。
「残念ながら、天は私に味方しているようですね」
「!」
 相手の様子からまだ仕掛けがあったのかと察し、マフデトは即座に動く。
 だが、クライドが背後に突いていた手で、床の何かを操作する方が早かった。
 瞬間、周辺の床と壁が動き、アクセルを中心とする半円を描くように幾つもの穴を開けたかと思いきや、そこから出現した銃が彼目がけて大量の弾丸を連射していた。
「「!」」
「ニーナ!」
「サラマンダー!」
 しかし、反射的に盾にした大剣と《火精霊》による炎の防御壁があり、加えてニルヴァーナの光の矢で殆どの弾丸が破壊されていた為、アクセルが傷を負う事は無かった。
 その反面、この隙にクライドは慌てて立ち上るや、椅子の裏側へと駆け寄っている。
「待ちなさい!」
 真っ先に気付いた豹が声を上げたところで、相手が止まる筈が無かった。彼はそのまま一行の目の前で、その壁に開いた穴へと消えていく。
「隠し扉か!」
 レオンスとスラヴィもまた相手を追うが、彼らの眼前で扉は閉じてしまう。
 すぐさまマフデトが攻撃を入れるが、かなりの強度なのか、殆ど効果は無さそうだった。
 再度のターヤの声に応えてニルヴァーナ、マンスの声に応えて《火精霊》もまた隠し扉を壊そうとするが、やはり頑丈なようで、一撃だけでは大したひびも入らない。
 それでも、何度も攻撃していれば、少しずつ割れ目が広がっていく。
 かくして時間はかかったものの、ようやく隠し扉を破壊できた一行は、そこから続いていた通路へと逃げ込んだクライドの後を追ったのだった。


「……ふぅ、ここまで来れば、大丈夫、でしょう」
 一方、クライドは大聖堂の地下に張り巡らされた通路を足早に進んでいた。声を出す度に斬られた傷口が痛んだ為、一旦立ち止まって深呼吸をする。それから再び足を動かし始めるも、少し進んだところで、彼は前方に立ちはだかる人影がある事に気付いた。そしてそれは、彼のよく知る人物でもあった。
「エルシリア……」
「ふふ、どこに行くつもりなのですか、《教皇》様?」
 驚いたような声で名を呼ばれた彼女は、壊れた魔導機械兵のように大きく身体をふらつかせながら、ゆったりと彼に近付いていく。
 その様子が不気味に思えて、ついクライドは一歩後退してしまう。
 構わず彼へと近付いていきながら、エルシリアは続けて問いかける。
「《教皇》様は、ソニアにいったい何をされたのですか?」
「私はただ、ヴェルニー司祭の背中を後押しして差し上げただけですよ」
 彼女の様子がどこか変なように感じながらも、クライドは普段の調子を取り繕って答える。嘘は言っていなかった。
 これを聞いたエルシリアは、途端に笑みを引っ込めて顔を俯けがちにする。
「そう、ですか」
 彼女らしくもない変わり様を訝しみ、思わず残った距離を自ら詰めていった瞬間、クライドは爆発的な激痛と熱さに襲われた。
「……は?」
 間抜けな声を零してから首を下に向けた彼が目にしたものは、自身の腹とエルシリアの腹とを繋いでいる大鎌の鋭利な刃だった。それは背中から彼を、彼女ごと貫いていたのだ。
 一気に遅くなった動作で首を元に戻せば、一転して笑みを浮かべたエルシリアと目が合う。その瞬間、クライドは彼女の意図を悟った。

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