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三十七章 聖なる悪夢‐convertimini‐(1)

「――《教皇》様!」
 不敬罪に当たるだろうとは頭の片隅では理解しながらも、ソニア・ヴェルニーは乱暴に扉を開けて《教皇》の間へと足を踏み入れていた。どうしても彼を問い詰めなければならない状況であったからだ。
 突然の乱入者に、しかし《教皇》クライド・ファン・フェルゼッティが様相を崩す事は無かった。彼は椅子に腰かけたまま彼女と対面する。
「おや、これはヴェルニー司祭ではないですか。いったい、どうされたと言うのですか?」
「はぐらかさないでいただきたいですわ! 大聖堂の前に僧兵や僧侶達を集結させているようですけれど、これはいったい、どのようなおつもりなのですの!?」
 白を切ろうとする彼へと速足気味に近付いていきながら、思わずソニアはかっとなって叫んでいた。
 これにはわざとらしく軽く肩を竦めてみせたクライドだったが、すぐ思い出したように口を開く。
「そう言えば、貴殿は御存じなかったのでしたね」
 どこまでも演技くさい彼に、ソニアは訝しげな顔となる。
「実は、現在首都は類稀なる混乱に陥っているようなのですよ。なぜなら最近の〔軍〕の行動は実に不安であり、加えて〔騎士団〕が壊滅したからだそうです」
「!」
 だが、この内容にはソニアも驚かざるを得なかった。
 その顔を優越感に満ちた表情のまま眺めながら、クライドはさも自分が正義であるかのように述べる。
「ですから、私達〔聖譚教会〕は、彼らに手を差し伸べにいかなくてはならないのです」
 確かに尤もだと思える内容ではあった。
 しかし、すぐにソニアの表情は胡乱げなものとなる。結局のところ、この混乱に乗じて首都を制したいという相手の本心など見え見えだったからだ。
「……その為の、挙兵だとおっしゃられるのですの?」
「ええ。これは神に仕える者としての義務なのです。それに〔騎士団〕という最大の圧力が消えてしまった今、これを好機と見た〔軍〕が、首都の者達に無体を働いていても不思議ではありません。そうは思いませんか?」
 それでもクライドは余裕を崩さない。加えて、更に納得してしまいそうな理由をも持ち出してきた。
 口が達者な訳ではないソニアは、無論これをばっさりと斬り捨てる術を持たなかった。
「それは、そうかもしれませんけれど……ですが、あまりにも行動が早すぎると思いますわ。早計は身を亡ぼす結果に繋がるとしか、私には思えませんわ」
「では、貴殿はこのまま手をこまねいていれば、事態が私達の方に傾いてくれるとでも思われているのですか?」
 クライドが挑発するかのように問えば、刺激されたソニアにも再び最初のような勢いが出てくる。それと同時に、上司に対する気遣いや遠慮は完全に吹っ飛んでいってしまう。
「誰もそのような事は言っていませんわ。《教皇》様こそ、自分が良ければそれで良いというその考え方を直さないと、後に痛い目を見る事になると思いますわ――いいえ、一度見ておくべきですわ。だいたい、この前はよくも操り人形にしてくださいましたわね?」
 反論の途中で体の良い使い捨て人形のように扱われた事を思い出してしまった為、ソニアは不快そうに思いきり眉を寄せる。あの時の事は、今思い出しても強い悪寒と悔しさとを覚えるものだったからだ。
 いきなり無遠慮となった彼女に若干眉を動かしながらも、クライドは表面上においてはあくまでも平静を保っていた。
「それは私ではなく、〔月夜騎士団〕の《副団長》に言うべきではないのですか?」
「それもこれも、全て《教皇》様が下手を打ってくださったおかげで、〔騎士団〕に弱みなど握らせてしまったからですわ。エルシリアのことも奴隷のように扱っているようですし、私はもう我慢ならないですわ! あなたに対しては前々から疑念を抱いていましたけど、もう信用できませんわ!」
 決別の証とばかりに、ソニアは相手へと強い意志の籠った宣言を叩き付けてやる。

 そもそも先日〔教会〕が〔騎士団〕の駒のように扱われていたのは、クライドが規定以上の違法魔道具を要求したからなのだ。彼らは〔騎士団〕と〔ウロボロス〕が繋がっている事を知っていた為、〔騎士団〕を通じて〔ウロボロス〕から違法魔道具を購入していた。しかし〔軍〕の取り締まりも厳しいので、〔ウロボロス〕が一度に入手できる魔道具には限界がある為、取引できる魔道具の数にも上限がある。

 だが、目先の事に目が眩んだクライドはそれを破ろうとしてクレッソンの口車に乗せられてしまい、結果、良いように使われてしまったという訳だ。
 瞬間、クライドの顔からは笑みが消え去った。顔自体は笑っているのだが、その両目は鋭く細められ剣呑な光を宿している。彼女の信頼を完全に失ったからではない、自らが〔騎士団〕に良いように扱われてしまったという汚点に触れられたからだ。故に、彼はゆっくりと重い腰を上げ、頭をフル回転させて彼女へと痛烈な仕返しを行う。
「……そういう貴殿こそ、随分と執着している相手が居るようだという報告を受けていますが? どうやら、この〔教会〕にも誘ったのだとか」
「っ……!」
 予想外のカウンターを急所に食らったソニアは、ついつい一歩後退したような形となってしまう。
 そうなれば、クライドはすかさず再び主導権を握っていた。
「しかも、その恋敵は、あの〔軍〕の《暴走豹》であるとも耳に挟んでいます。既に彼女が軍人としての地位を捨てた事は聞いているので、この名で呼べるのかどうかは定かではありませんが」
 予断を挟むような余裕すら見せつけて、クライドはソニアを焚き付けようとする。相手に聞かせようとするかのように、わざとらしく一歩一歩を踏み鳴らして、彼女へと近付いていきながら。同時に、使えるかもしれないと持ち出してきていた一冊の本のある頁を、密かに開きもしながら。
 逆に、彼女はほぼ完全に反撃の勢いも機会も失ってしまっていた。それでも、このままではいけないのだという最後に残った意思を総動員し、何とか皮肉めいた言葉を紡ぐ。
「……《教皇》様ともあろう方が、部下の事情にそこまで首を突っ込まれるなんて、随分と良い趣味をしていらっしゃいますのね。それとも、それほど暇があるのですの?」
 だが、それさえも既に、クライドにとっては他愛の無いものでしかなくなっていた。挑発する事で怒りを煽って話を逸らそうとする相手の意図になど乗らず、あくまでも曝け出された弱点を的確に突く。
「振り向いてほしいのでしょう? 大切な幼馴染みである彼に」
「っ――」
 けれども、その言葉こそが、実質的なとどめであった。図星を突かれてしまったソニアの口からは、思わず拒絶にも似た肯定の悲鳴が飛び出す。
 自身の思うように状況が動いている事に気分を良くしながら、クライドは相手のすぐ目の前まで辿り着いていた。上半身を僅かに屈めてその耳元へと口元を近付けた彼は、手元の頁を撫でながら追撃の言葉を囁きかけてやる。
「それでしたら、裏で手を回して、奪ってしまえば良いのですよ。それが、この世に生を受けた命の性なのですから」
 そうすれば、相手の影が僅かだが揺らぎを見せ始めた。ぐらりぐらりと、今にも傾きそうな塔の如く。
 これに益々気を良くしたクライドは更に畳みかける。
「御存知ですか? この世界には、最初は闇しか存在していなかったという事を。そこに四神が光を与え、四代元素を与え、そうして生命を生み出したそうです。……つまり、私達生命は誰であろうと、少なからず『闇』という側面を持ち合わせてしまっているのですよ。それは《世界樹の神子》であろうとも例外ではありません。無論、私達聖職者でも」
 ねっとりと、相手の脳髄まで流し込むかのように、彼は生命の性について語っていく。
 強調するように告げられた最後の部分には、ついつい反応してしまわざるを得ないソニアである。
 無論、それこそがクライドの思惑だった。
「ですから、貴殿が闇に飲まれようと、幾らアシュレイ・スタントンでも咎める事はできないのですよ。既に彼女は、軍人ですらありませんからね」
「ですけど、そんな事、聖職者でなかろうと、赦される筈がありませんわ……」
 暗に闇魔に身を任せれば良いのだと諭す相手に反論するソニアだったが、そこにはもう勢いは欠片も無かった。元々、思い込みが強く嫉妬深い一面のある彼女だ。奥底に眠る最も強い欲望を呼び覚まされてしまった為、流されても良いのではないかという、自らに潜む悪魔の囁きに押されかけているのである。

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