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三十六章 崩れゆく柱‐father‐(14)

「っ……!」
 これにより、アシュレイの防波堤は完全に決壊した。その口からはとめどなく嗚咽が零れ出し、その身体はニールソンを抱き締めたまま前方へと屈んでいく。おとうさん、というか細い呟きは、その場に居た全員の耳に届いてしまうくらい響いていた。
「一人に、してあげよう?」
 そっと囁くようにターヤが提案した内容には、皆が音も無く同意する。そしてアシュレイへと窺うような視線を向けながらも、音を立てないように気を付けて、続々とその場を後にしていった。
 彼女自身もまた後ろ髪を引かれるようにそちらを見ていたが、やがて最後に退室していく。ごめんなさい、と脳内で呟きながら。
 そうして扉がぱたりと閉められて、他には誰も居なくなった部屋では、ただ一人、父親の亡骸を抱いた少女だけが声を上げて泣いていた。


 同時刻、クレッソンは《番人》とブレーズとクラウディア、並びに自身に賛同する部下達だけを連れて、北大陸の深い雪の中を進んでいた。無論、彼らの全身はクラウディアの能力により生成された〈水晶結界〉に覆われている為、吹雪はおろか、足元の積雪による妨害を受ける事は無かった。これは、対象一人を半透明で水晶のような形をした〈結界〉で包み込むという、守護龍とその血縁特有の能力なのだ。
 また、雪道を進む一行の少し前方では、ブレーズを背に乗せたクラウディアが偵察を兼ねて低空気味に飛行している。龍である彼女はそのままでも問題無いが、人間である彼の方にもまた〈水晶結界〉が施されていた。
 その道中、一人の部下が急に〈通信機〉を取ったかと思えば、先頭を行くクレッソンの傍まで近付き、念の為潜めた声をかける。
「《団長》、報告が」
「どうしたと言うのだ?」
 振り向かずに彼が問えば、部下はすばやく報告を行う。
「以前より〔軍〕に潜入させていた間者からの連絡によれば、どうやら〔軍〕が完全に沈黙した模様です。詳しい事はまだ解りませんが、《元帥》ニールソン・ドゥーリフは倒されたと考えて問題無いかと」
「そうか。その報告に感謝しよう」
 しかし、クレッソンは特に驚いた様子にはならなかった。寧ろ、最初からそうなる事を知っていたかのようでもある。
 彼の斜め後ろに付かず離れず追従している《番人》は、瞼を伏せがちにしていた。
「次は無いと思いたまえ」
 そこに鋭く刺すような声を向けられた彼女は一瞬固まるも、すぐに何事も無かったかのように応えていた。視線を向けられる事も名指しにされる事も無かったが、それが自らに突き付けられた言葉だとは瞬時に理解していたからだ。
「……承知しております」
 その様子を、空中に居るブレーズは心配の色を宿した瞳で見下ろしていた。
 そちらを気にする相棒に気付いたクラウディアは、僅かに不機嫌になる。それでも自らに与えられた仕事を放棄してしまう程、盲目ではなかった。
 クレッソンは彼女の返答に対しては何も言わず、仕切り直すかのように口を開く。
「さて、最大の敵対勢力であった〔軍〕も倒れた今、私達を阻める勢力など一つしか存在しない。彼らには目的地を伝えてあるが故、しばらくすれば追い付いてくる事だろう」
 首の向きを変えぬまま紡がれた言葉だったが、同行者達全員の耳には届いていた。一見すると既に知り得ている事を反芻しているだけにすぎないが、その実失敗は許さないと念を押しているようでもある。
 故に、彼らは尚の事いっそう気を引き締めた。
「では、先を急ぐとしよう。高を括って仕損じる事態にするのは、愚かとしか言いようが無いのでな」
 それを変化した空気から感じ取ると、クレッソンは少しだけ歩を速めた。

 彼に倣うように、上空のブレーズ達と地上の部下達もまた速度を僅かに上げる。
 その中でただ一人、《番人》だけはどこか悲しげに歪んだ表情で後方を一瞥し、けれど次の瞬間には、何事も無かったかのように戻っていたのだった。


 更にその頃、ようやく聖都にも〔月夜騎士団〕壊滅の情報が入ってきていた。
 そして願ってもいない好機とも言えるその話に、《教皇》クライド・ファン・フェルゼッティが野心を剥き出しにしない筈も無い。
「……はは」
 謁見室で部下からその報告を受けた彼は、豪奢で巨大な椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がるや、天を仰ぐように首を動かして笑い声を零す。
「ははははははは!」
 それはすぐに大きく高らかなものとなり、室内いっぱいに響き渡った。
 報告を行った部下は跪いて彼を見上げたまま驚きつつも、無言で命令を待つ。
 ひたすら声を上げ終えると、クライドはゆっくりと頭を元に戻した。その時には既に、表情も普段の《教皇》としてのものに戻っている。それから彼は、ようやく部下へと向き直って命を下した。
「二手に別れ、片方はこの場の守りを固め、残りは遠征の準備をするよう皆に伝えておきなさい」
「聖下の御心のままに」
 跪いたまま頭を垂れた後、その部下は速やかに退室していった。
 彼を見送らずにクライドは再び天を仰ぐ。ただし、今度は先程のように哄笑するのではなく、まるでそこに神が居るかのような恍惚とした表情を浮かべて。
「ようやく、私の時代が来たという事なのですね……!」
 目先の事に意識が囚われてしまった彼は、クレッソンという人物についてすっかりと忘却していた。


 

  2014.05.11
  2018.03.18加筆修正

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