The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十六章 崩れゆく柱‐father‐(9)
それでも、自らが親殺しである事は変わらない為、ユベールは今もあの日の事を悔いていた。先日彼女と再会した時は、ついつい軍人としての使命に突き動かされて喧嘩を売るような形になってしまったが、本当はずっと弁解して謝罪したかったのだ。
けれども、まだ彼女には許されていなかったようだと知って落ち込み、顔は俯けがちになってしまう。
「でも、もしそこに戻れなくて、他にどこにも行くところが無かったら……その、うちにでも来たら? お、お頭は寛大だから、あんただって、受け入れてくれると思うわ。……それに、路頭に迷ってたあたしを匿おうとしてくれた事にも、働き口を探そうとしてくれてた事にも、その、一応は感謝してるんだから」
しかし、彼の沈んだ気分を持ちあげるかの如く、視線を合わせないように顔ごと逸らしながらファニーはそう続けていた。
その言葉を聞いたユベールは驚きに襲われると同時、弾かれるようにして彼女の方を向く。彼の位置から僅かに見える彼女の頬は赤く染まっており、そこには恥ずかしさが垣間見えている。それを知るや彼はつい昔の癖で手を伸ばし、彼女の手を握っていた。随分と華奢で小さな掌だと思ったところで隣の彼女が驚き身じろぐ気配がしたが、彼は離さない。
「ありがとう、フアナ」
対して、彼女は彼の手を握り返さなかったが、その代わり更に頬を赤く染めて、益々あらぬ方向へと顔を向けてしまう。
「……この借りは、いつか返しなさいよね」
返ってきた声もまた小さく、あくまでも素直ではない彼女に少年は苦笑した。
「ああ、解った。だから、後で僕の話を聴いてくれないか?」
「ちゃんと、隅々まで話しなさいよ」
「ああ、解っている」
彼女がこちらを見ていない事は知っていたが、それでも彼は柔らかな笑みを浮かべたままそちらを向きながら、頷かずにはいられなかった。
「あら、あなた達、そういう関係だったのね」
そのように初々しい少年少女を〔屋形船〕の男達は微笑ましそうに見守っていたが、そこで気付いたヌアークがすかさず二人を茶化してしまう。
途端に意味を理解してしまったファニーは顔を真っ赤にし、握られていた手を振り払った。
「べっ、別にあたし達はそんなんじゃないわ! ただの幼馴染みよ!」
唐突に彼女が声を荒らげた理由が理解できていないユベールは、怪訝そうな顔を浮かべながら、彼女と自らの手とを見比べる。
だが、これらの反応が益々ヌアークを調子に乗らせてしまう結果となった。
「別に隠さなくても良いのに。人前でいちゃついていたんだから、恥ずかしがる必要なんて無いんじゃなくて? ああ、それとも、あなたの一方通行なのかしら?」
「だから違――」
「――おーい!」
そこに、首都の東側に居た軍人達を完全に無力化させ終えた一行、そしてそちらに合流していたレオンスが駆け寄ってくる。〔軍〕本部の位置する西側の様子が気になり、確認ついでに〔屋形船〕を捜しにきたのだ。
それにより追及を逃れられたファニーが密かに安堵する傍ら、彼らは予想外の人物を目にする事となっていた。
「ヌアーク!」
その姿を目にしたターヤは、思わず名を呼んでしまう。
「あんた、どうして……」
アシュレイ達もまた驚き顔になっていたが、オーラだけは最初から解っていたのか、まるで成長した我が子を見る親のような表情になっていた。
そちらからは少々気恥ずかしそうに目を逸らしながら、ヌアークは自慢げに応えてみせる。
「まだ日も昇っていないうちだったから、すっかり対処が遅れてしまったけれど、あたくしにかかれば、このくらい朝飯前だわ」
「父親と再会させてもらえた借りを返したかったの?」
スラヴィの問いに彼女は頷いてみせる。
「ええ、そうよ。でも、この程度で返し終われたなんて思ってもいないもの。だから、あたくしはこの街に居る軍人達を一掃する為に、〔屋形船〕に手を貸してあげるわ」
あくまでも上から目線な言い方にファニー達は渋い顔になるも、レオンスに視線で宥められたので何も言わなかった。
やはり女王気質は健在なのか、とターヤは苦笑してしまう。
一方マンスは、耳が捉えた物騒な言葉に思わず引いてしまっていた。
「一掃って……」
「あら、そこについては安心して良いのよ。だって、お父様の前で物騒な事なんてしたくないもの」
言われてみれば確かに、ヌアークは父親であるユルハに、今までの自身の所業を知られる事を恐れているのだ。その彼女が、父親の目に入ってしまうかもしれないこの場所で、残虐な行動を取るとは思えない。
「それに……一応、今までのあたくしを、これでも反省してはいるのよ」
次いで遠慮がちに紡がれたのは、素直な声だった。
これには主に〔屋形船〕のメンバーが驚きを覚えさせられてしまう。まさか、かの《女王陛下》が、このようなしおらしい態度をとるなどとは思いもしなかったからだ。
物珍しげな視線を集中させられている事に気付いたヌアークは、慌ててその先を紡ぐ。
「だ、だから! これからは、無暗に相手を傷付けるような事なんて絶対にしないから、安心して良いわって事なのよ!」
語気は強かったが、顔は真っ赤で声は必死という様子の彼女からは、先程までの《女王陛下》としての威圧感や余裕などは全く感じられなかった。寧ろ、普段とのギャップに微笑ましさを覚えた皆の頬が緩んでしまった程だ。
無論、ファニーも彼女への怒りがすっかりと失せてしまっていた。
案の定ヌアークは納得がいかないという表情になるが、やはり皆の視線は変わらなかった為、最終的には拗ねて頬を膨らませてしまう。
素直になれば良いのに、と自分の事を棚に上げて内心で彼女に呆れながら、アシュレイはここでようやくユベールを見る。
「ところで、どうしてあんたがここに居るのかしら、カルヴァン元帥補佐?」
鋭く射抜くような視線に押されつつ、彼はその問いにしっかりと答える。
「いえ、僕は……今はもう、ただのユベール・カルヴァンです」
「あっそう」
自ら訊いておきながら、どうでも良いと言わんばかりに簡潔で適当な応えだった。
この答えを妥当だとは思いつつもユベールはぐっと堪えるが、ファニーもまた、これまでの自分を棚に上げて思わずアシュレイを睨み付けていた。
けれども、彼女はその視線を真っ向から受け止め、尚且つあっけらかんとして続ける。
「なら、あたしの事を無駄に敵視するのはもう止めてよね、ユベール」
「……!」
予想外の事態に直面して驚きに見舞われたユベールは、思わず言葉を無くしてしまう。
その間にもアシュレイは、もう用は無いとばかりに視線を別所へと向けていた。
それが彼女なりの照れ隠しである事に気付き、アクセルは密かに呆れたような笑みを浮かべる。目敏く向けられた彼女の視線からは無論、すばやく何事も無かったかのような様子を装って逃げた。
ファニーもユベール同様に驚いていたが、すぐ面白くなさそうで複雑な表情へと転じる。
そんな彼女に気付いたターヤは、思わず苦笑してしまった。
「「!」」
だが、こちらに近付いてくる気配を感じ、主に一行の前線組が瞬時に振り向けば、他の面々もつられるようにしてそちらを見る。
その方向――〔軍〕本部から姿を現したのは、狼に鳥に猪などという多種多様な動物と魔物達だった。