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三十六章 崩れゆく柱‐father‐(8)

サンダーボルト

ページ下部

「ああ、そうしてくれると助かる」
 胸の内に込み上げてきた熱を心地良く思いながら、ユベールは何とか平静を装うとした。それでも結局は、口の端から笑みが零れてしまったのだが。
 そんな二人の空気にあてられた〔屋形船〕は、呆れつつも笑みを浮かべる。
 逆に軍人達は更に怒気を増し、冷静さを欠きながら叫んだ。
「貴様ら、今の状況を解っているのか!?」
「そうだ、たったそれだけの人数で何ができる!」
「――あら、あたくしも居るのだけれど?」
 しかし、突然そこに第三者の声が割り込んでくる。
 邪魔をするなとばかりに瞬時にそちらを睨み付けた軍人達だったが、その声の正体を知った瞬間、顔色を先程以上に一変させた。次いで弾かれたように円形は解け、まるでその人物を迎え入れようとするかのように左右に避ける。
 なぜなら、そこに居たのはズラトロクに腰かけた、ヌアーク・カソヴィッツだったのだから。
「ぼ、〔暴君〕……!」
「《女王陛下》だと!?」
「なぜこいつらが……!?」
 彼らに生じていたのは、紛れも無い恐怖だった。〔ウロボロス連合〕程ではく、また彼女の能力に当てられる事は無いにしても、厄介且つ容赦の無い相手だと熟知していたからである。
 ユベールと〔屋形船〕のメンバーもまた、意外な加勢には驚きを露わにするしかない。
 そんな彼らを愉快そうに眺めながら、ヌアークはすぐに答え合わせをしてやる。
「ちょっとだけ〔屋形船〕のギルドリーダーと、その仲間達に貸しがあるだけよ。それに、ここにはあたくしのお父様と、その同僚達も居るもの」
 先刻戻ってくるや協力を要請してきたレオンスに、〔暴君〕はもう警戒しなくても大丈夫だと言われた事を、この言葉でファニー達は思い出していた。同時に、彼の言う通り、今は彼女を信じても良さそうだとも感じる。
 その事情を知らないユベールだけは、なかなか驚き顔から脱せずにいた。
「お父様だと……?」
「あら、あたくしに父親が居ないとでも思っていたのかしら?」
 いきなり彼女の口から齎された言葉に軍人達は眉を顰めるが、ヌアークはあくまでも余裕を崩さず、相手を挑発するような態度だ。自ら明かしておきながらも、弱点にする気は無いのだと告げているようでもあった。
 即座に弱みにできるかと思っていた面々は、すぐに釘を刺されてしまう事となった。
 その思惑に気付いていたヌアークは、ここぞとばかりに嘲笑ってやる。
「あら、そこからあたくしを崩せるとでも考えたのかしら? 馬鹿ね、あたくしがみすみす付け込む隙を与えるとでも思って?」
 こと挑発において彼女に匹敵する、あるいは超える者など少ないのではないかと思えてしまうくらい嵌っている、とユベール並びに〔屋形船〕の面々は思った。
 軍人達はこれにより顔を真っ赤にする。
「黙れ! 貴様こそ、いつも連れている奴が居ないだろうが!」
「ああ、エフレムのことかしら? 彼なら今はお父様の警護に当たっているわ。それにあなた達なんて、あたくしとそこの〔屋形船〕だけで充分だもの」
 完全に自身のペースに持ち込んだヌアークは、実に生き生きとしていた。
 地味に失礼な言い方をされた事には気付いていた〔屋形船〕だったが、今は仲間割れを起こしている場合ではないので、大人の対応により聞かなかった事にする。額に青筋を浮かべる者も居たが、彼らについては他の者が何とか宥める事で事無きを得た。
 その必要が無かった軍人達は素直に、怒りを露わにして彼女へと突撃する。
「随分と我慢が利かないのね」
 しかし、呆れたようなヌアークの声を合図としたかのように、突如として建物の陰から一匹の鰐が飛び出した。

「「!?」」
 伏兵の可能性が頭からはすっかり抜けていたらしく、軍人達は完全に虚をつかれる。そのまま飛びかかろうとしていた面々は横合いから衝撃を受けて吹き飛ばされ、反対側の建物へと激突した。
 これによりようやく他の軍人達も警戒するが、その時にはヌアークの高速詠唱は完成していた。
「――〈電撃〉!」
 彼女が高らかに声を上げた瞬間、相手へと向けて一直線に電撃が走る。丁度彼らは直線気味に並んでしまっていた為、ほぼ全員がその餌食となった。
 まるで金縛りから解けたかのように〔屋形船〕とユベールが動き出した時には、既にヌアークは次の詠唱に入っている。
 鰐の魔物ことグランガチも、軍人達を威嚇しながら攻撃の機会を窺っており、じりじりと互いに距離を測り合っていた。
 チームワークが高く連携攻撃を得意とする〔屋形船〕どころか、高い硬度を誇るグランガチも敵として出てきている為、軍人達は攻撃の機を見出せずにいた。寧ろ、再び劣勢に傾きかけてしまった程だ。
 そして、またしてもこの間にヌアークの詠唱が完成する。
「――〈落雷〉!」
 これでとどめだとばかりの上級魔術だった。残っていた軍人達全員を覆うように上空に魔法陣が出現し、そこから的確に彼らだけを狙っていく。ただし、死なないよう雷の威力を調整しながら全てを制御するのはヌアークでもなかなか大変なようで、味方に直撃しそうになってしまったものもあったが、それは本人達が何とか避けた。
 こうなれば、あとはヌアークの独壇場だ。グランガチも含めた彼女以外の面々は魔術の範囲内からすばやく脱出し、同じく範囲外に出てきた軍人達を昏倒させるくらいしかする事がなかった。


 かくして、その場に居た軍人達は全員気絶させられる事となった。余談だが、重傷者と死者は一人も居ない。
「なーんだ、随分と呆気無いのね」
 つまらなさそうに唇を尖らせてから、ヌアークは〔屋形船〕の面々が軍人達を拘束していく様子を眺めていた。
 ユベールもまた壁に背を預け、その光景を眺めていた。本当は手伝おうとしたのだが、足を怪我しているからと彼らに止められたのだ。それでもなけなしの矜持により、座り込む事もしゃがみ込む事もしなかったが。
「あんた、これからどうするつもりなの?」
 突然かけられた声に視線を動かせば、いつの間にか隣にはファニーが来ていた。言われて初めて何も考えていなかった事に気付き、ユベールは困ったように笑いながら答える。
「〔軍〕も辞める事になったし、特に行く当ても無いから、一度調停者一族に戻ってみようと思っている。……叱責は覚悟しないといけないだろうし、戻れるかどうかも判らないのが現状なんだが」
「そうね。だってあんたは、どこの馬の骨かも判らないような子どもを匿って、しかも、そいつに関係する事で自分の両親を殺したらしいんだもの。調停者一族は随分と厳格だったみたいだから、とうに除籍されていてもおかしくはないわね」
 ファニーの言葉は実に正論で、そこに含まれていた小さな棘もまた、ユベールの胸に未だこびり付くあの日の後悔をしっかりと突き刺していた。
 三年前、経営が苦しくなる一方の孤児院を飛び出して働き口を探したものの、子ども故に雇ってもらえず路頭に迷っていたファニーと、出かけていたユベールは偶然出会った。明らかに衰弱している彼女を放ってはおけずに連れ帰って看病した彼は、彼女の事情を知って働き口を探してみると同時、しばらく匿う事にしたのだ。

 しかし、ユベールを足がかりに本家に取り入ろうとしていた両親は、調停者としての才能が無いに等しかった息子を疎んじていた為、彼らには相談できる筈も無かった。

​(本当に、あの両親から自分が生まれた事が、奇跡だとすら思えるな)

 故に、ユベールは何とか長老に取り次いでもらおうとしたのだが、それよりも早く両親がファニーに気付いてしまった。彼女を嫁にするつもりか、誑かされているのか、などと勘違いを突っ走らせた両親に謝罪し、事情を説明しようとしたユベールだったが、彼らは聞く耳を持たなかった。しかもファニーを殺すとまで言いだしたので、ユベールは止めようとして両親と揉み合いになり、気付いた時には彼らを刺してしまっていた。

 ちょうど、その現場をファニーに見られてしまった上、ユベールが事実を告げなかった為に口論となり、そして二人は袂を別つ事になっていたのである。

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