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三十六章 崩れゆく柱‐father‐(7)

「――っ!」
 切り捨てられたのだと理解した時には、死を恐れる本能により反射的に身体が動き出していた。
 すばやく上半身を後方へと逸らして剣先から逃げながらしゃがみ込み、そうして体勢を直したところで抜刀、眼前に居た軍人の足に傷を作る。それにより相手がバランスを崩したところで立ち上がり、とどめとばかりにその足を思いきり蹴り倒して床に転がしてやる。
 その間にも室内に居た二人のうち一人は扉を固めていたが、ユベールは迷わず剣を手にしたままそちらへと突進していった。
 実力行使に出るとは思っていなかったのか、それにより彼がたじろぐ。
 そうして生まれた隙に、ユベールは扉の真正面に居た軍人を致命傷にならないよう気を付けながら斬り付け、横合いへと蹴り飛ばす。それから、この部屋唯一の扉もまた思いきり蹴飛ばした。そうする事で確保できた退路から、彼は一直線に飛び出して逃走を図る。
 この一連の動作はニールソンにも予想外だったらしく、彼は賞賛の口笛を一つだけ吹く。けれども、すぐに傍に控えていた部下へと目をやれば、彼は通信機を手にしたまま頷いた。
「本部内に居る人員への連絡は、完了いたしました」
「うん、ありがとー。仕事が早くて本当に助かるよ~」
 へらへらと笑いながら礼を述べ、それからニールソンは壊された扉の外へと目を向け直す。
「さて、ユベールくんは何分ぐらい持つのかな? でも、やっぱり、あっちゃんに比べると大した事は無さそうだよね~。だって、ユベールくんの身体能力って中の上くらい、可も無く不可も無くって感じだし~」
 まるで賭け事をするかのような気軽さで、彼はそう言ったのだった。
 一方、元上司に失礼な事を言われているなどとは露知らず、ユベールは武器を手にしたまま廊下を駆け抜けていた。本来ならばすぐにでも叩き割った窓から脱出したかったのだが、いかんせんここは五階だ。アシュレイ程にもなれば飛び降りても死にはしないのだろうが、ユベールは自身が平均的である事を痛いくらい理解していた。故に、最低でも三階までは下がる必要があったのだ。
 周囲にも気を配りながら、どうしたものかとユベールは必死に考える。既に本部内の軍人達には、彼の裏切りが伝わっていると考えて良かった。それはつまりここは既に敵地であり、無事に逃げ切れるかどうかも解らないという事だ。幸か不幸か、本部の人員の大半は首都制圧に出ていたので、今この建物には大した人数も残っていなかったのだが。
 だが、もうすぐ階下に繋がる階段だという所で、ユベールの眼前に数人の軍人達立ちはだかってきた。《元帥》の執務室から後を追ってきたらしき軍人達も背後からやってきた為、彼は包囲された形となってしまう。
「っ……!」
 万事休すだと解った瞬間、心は決まっていた。どうにでもなれと心中で悪態をついてから、ユベールは懐から取り出した支給品の〈通信機〉を手近の窓へと投げ付ける。そうしてできた割れ目へと突進し、それを広げながら外へと飛び出した。
 無謀としか思えないこの一連の行動には、軍人達は両目を大きく見開くしかない。すぐに我に返って慌てて窓の傍に駆け寄るが、その時には既にユベールは地面まで後少しの所に居た。
 彼は剣を抱え込んで丸まり、頭を下にしないように気を付けながら、何とか被害を最小限にしようとする。しかし、そちらを意識しすぎたせいか、諸に足で着地する事となってしまった。
「くっ……!」
 その衝撃で思わず声を上げてしまうくらい強く右足首を捻ったようだったが、このまま留まっている訳にはいかなかった為、ユベールは何とか立ち上がる。どうやら裏門付近に落下したようで、外へと続く道はすぐ傍だった。ここまではまだ手は回っていないらしく誰も居なかった為、ユベールはようやく〔軍〕本部からの脱出に成功した。
 けれども、痛めた足では満足に進む事も叶わず、正門から出てきたらしき追手と街中に居た者達により、すぐにユベールは再び包囲されてしまう。
 流石に逃げきれないか、という諦めがユベールの中で生じ始めれば、同時に過去の後悔が思い浮かんできた。それは、実の両親の魔の手から大切な幼馴染みを護ろうとした結果、彼らを手にかけてしまう事となった記憶だ。それだけは本人に弁解しておきたかった、という縋り付くような思いを残したまま、彼は瞼を下ろしかける。

 その時だった。
「!」
 突如として横合いから飛んできた鎖が、前方に居た一人を捕縛後、適当な方向へと投げ飛ばしていたのだ。次いで、ユベールの盾となるかのように、一人の人物が彼の前へと躍り出てきていた。
 そしてその凛として立つ背中を、彼はよく知っていた。思わず顔は驚きに染まり、口からは間の抜けた声が飛び出す。
「フアナ、どうして……」
「仕方ないじゃない、素直になれっていうお頭の命令なんだから」
 僕を助けたんだと続けようとしていた言葉は、その少女ことファニーによって遮られた。言葉通り、渋々といった声だった。
 突然の乱入者に軍人達は驚きつつも即座に対応しようとするが、それよも早くユベールの後ろに居た者達も、同じく乱入してきた男達によって倒されていた。
 けれども、ユベールは彼らにもその素性も気にならない。ただ、眼前に立っている幼馴染みの背中しか、目には入っていなかったのだから。
「だから、ヘタレたあんたなんか大っ嫌いだけど、助けてやるわ。……これで貸し一つよ!」
 鎖を駆使して向かってくる前方の軍人達を粗方片付けなから、彼女は彼を振り向かずにそう言った。
 その言葉を聞いた瞬間、気が付けばユベールは突き動かされるように痛む足を叱咤して、そちらに背を向けていた。とん、と背後に居る人物と背中が軽くぶつかる。右手は、未だに鞘から抜かれた剣を握り締めていた。
「そこまで言われて、黙っているつもりは無いな」
 背中を預けてきて、そして預ける事になった相手にはもう何も言わず、ファニーは続々と集結してくる軍人達を睨み付ける。
 一方彼らは、突如として現れた敵勢力の正体を知って表情を益々険しくしていた。
「こいつら、〔屋形船〕か!」
「盗賊風情が……!」
 元々〔軍〕と〔屋形船〕の関係は良好ではない上、仕事を邪魔されそうになっているという事もあって、すぐに彼らは応戦の姿勢を取っていた。連絡を受けたのか騒ぎを聞き付けたのか、街中に居た人員が次々とその場に集まってくる。
 それでもファニーを筆頭とする〔盗賊達の屋形船〕とユベールは、一人ずつ的確に、あるいは数人纏めて豪快に敵を倒したり、ダメージを与えたりしていく。時には街中というこの場所を利用し、建物の陰に誘い込んで潜んでいた者と共に強襲するという手も使いながら。
 けれども、やはり数の利はあちらにあるので、なかなか人数は減らなかった。
「全く、次から次へと湧き出てくるわね!」
 片やファニーは、悪態をつきながらも、主にダメージを受けている軍人を狙って一人ずつしっかりと倒していく。
 片やユベールは、右側だけとは言え足首を痛めている為あまり動けなかったが、最早いっさいの容赦も無く射程圏内に入ってきた者を斬っていた。勿論、致命傷は避けている。
 他の〔屋形船〕の面々は攻撃を行いつつも、そんな二人をサポートするように周囲に円を描いていた。ファニーが助けようとした相手であり幼馴染みでもあると知っているので、彼らは既にユベールを仲間として認識してもいる。
 だが、徐々に包囲網は狭まってきていた。
「ヒュー、何か良い手は無いの?」
「この辺りだと、抜け道になりそうな所は無いな。ただし、僕を置いていくなら……とは、言わせてくれないんだろうな」
 問われたユベールは質問の方に答えてから、ふと思い浮かんだ案を自嘲するように言いかけ、けれど気付いてすぐに撤回した。
 対して、ファニーは鼻を鳴らさんばかりに肯定する。
「あたりまえよ。あたしはまだ、あんたから本当の事を訊いてないもの。だから、それまでは、絶対に死なせてなんかあげるもんですか!」

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