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三十六章 崩れゆく柱‐father‐(6)

 そこでふと疑問を生じさせたレオンスは、その事に気付きつつも彼女を見る。
「そう言えば、〔教会〕に何かしらの動きはあるのかい?」
「いえ。先日のリンクシャンヌ山脈での邂逅辺りから、〔聖譚教会〕は怖いくらいに静かです」
 彼女が返したのは、予想通りとも言える答えだった。
 一度でも〔騎士団〕――クレッソンの言いなりになってしまえば、ずるずるとその泥沼に沈められてしまうだろうという事は、簡単に予測できた。それくらい、スタニスラフ・クレッソンという人物は誰よりも狡猾で抜け目が無いのだ。
 これにはアシュレイが首肯する事で同意を表す。
「確かに、その時だって《教皇》も《司教》も……とにかく、〔教会〕は〔騎士団〕に良いように使われてたものね。大方《教皇》辺りが下手をうって〔騎士団〕と言うか、主にクレッソンに従わざるを得ない状況にでもなってるんじゃないの?」
 途中にできた間は、おそらくソニアの名を口にしかけた事によるものだろうと皆は察する。どうやらアシュレイなりにアクセルに気を使ったようだ。
 当の本人もそれに気付いていたが、今はそちらよりも幼馴染みの方が気にかかっていた。それでも、彼女と険悪な意中の人を気遣う方を選ぶ。
「〔教会〕の奴らが、この前みたいに魔道具で無理矢理従わされてないかが心配だな。あいつらもいろいろとやらかしてるけど、だからって、あんなふうに扱って良いとは思わねぇよ」
「素直にヴェルニーが心配だって言ったら? 『家族』として大切なんだよね?」
 しかし、スラヴィにすっぱりと一刀両断されてしまう。
 他の面々もまた何か言いたげな顔をしていたが、誰一人として彼の言葉で充分だと思っていたので、あえて言う事はしなかった。ただし、アシュレイの方へと窺うように視線を向ける事は忘れない。
 そして彼女が呆れたように溜息を零した。
「あのね、もうあたしに遠慮する必要は無いわよ。あいつの事は嫌いだけど、そういう個人的すぎる感情を優先できるような事態じゃないでしょ? あんたにとってあいつが大切な家族なのなら、心配するのはあたりまえじゃないの」
 その言葉で、アクセルは我に返った気がした。家族を救えなかった事への後悔を今も尚抱き続けているであろう彼女が、他者の家族を想う気持ちを尊重しない筈が無かったのだ。犬であったならば両耳が垂れ下がっていたかのように、彼は落ち込む。
「う……わりぃ」
「だから何で謝るのよ」
 アシュレイは呆れ顔のまま再び息を吐き出した。
 そんな彼らを楽しそうに眺めてから、レオンスは話の軌道を修正する。
「ともかく、俺はあいつら――〔屋形船〕の奴らに協力を要請しに行ってみるよ。今度は失敗する訳にはいかないからな、頼れる仲間は多い方が良いだろう? それに、こういう大事な話は、直接本人達の前でしないといけないからな」
「そうだな。頼んだぜ、レオン」
「頼んだわよ、レオン」
 意識を引き締め直したアクセルを筆頭とする仲間達は、口々に了解の意を示す。
 これらを聞き終えるや否や、レオンスは流通中心街カンビオへと向けて駆け出していった。
「じゃあ、わたし達も行こう。今度こそ、絶対に〔軍〕を止めないと」
 それを見送ってから、ターヤは皆へと声をかけていた。他でもない自分自身へと気合を入れさせる為にも。
 だが、言ってしまってから、その事実に気付いて慌てる。自分が仕切るような形になってしまって大丈夫だったのか、場違いではないのかと思ってしまったのだ。故に、恐る恐る皆の様子を窺ってみるも、彼らは彼女がそうした事に驚いていただけだった。
「うん、そうだね!」
「はい、全力を尽くしましょう」
「それにこれ以上好きにさせてると、世界の秩序がぐっちゃぐちゃになりそうだからね。それは、元世界樹の民としても許せないよ」
 マンスを皮切りに、皆は彼女に対して声や動作で次々と応える。

「それにしても、おまえも随分と強くなってきたよなぁ」
「トリフォノフはターヤの父親なの?」
「私は、どちらかと言えば兄のようだと思いましたが?」
「今、そんな事を言ってる場合じゃないと思うんだけど……」
 なぜか普段通りのやり取りも始まってしまったが、そこは呆れ顔のアシュレイが締める。
「とにかく、ここからは気を引き締めて行くわよ。ターヤの言う通り、確実にあいつらを止めましょう」
 問題が無かった事に安堵しながら、ターヤもまた彼女達へと向かって頷いた。
 それを確認したアシュレイが先頭となり、残りの面々はその場を後にして首都へと向かったのだった。


 同時刻、件の〔モンド=ヴェンディタ治安維持軍〕本部では、ニールソンが部下から報告を受けていた。
「つい先刻、七時過ぎをもって首都の占領を完了致しました。〔騎士団〕の残党と思しき者達とも交戦になりましたが、既に鎮圧したとの事です。また、〔自動筆記〕と住民達は全員投降した模様です」
「うん、ありがと~。それと、ごくろうさま。〔騎士団〕が居ないのも直接倒せなかったのも味気無いけど、これで首都はわつぃ達のものだね~。そうみんなに伝えといてよ」
 嬉しそうに報告者を通して部下達を労う《元帥》へと、彼は誇らしげに入室時と同じように頭を下げた。
 その光景に僅かに顔を顰めながらも、部屋の隅に待機しているユベールは、いつもと同じようにそれを見ていた。ただし、今の今まで積み上がってきていた不安と不信感から、ある一つの大きな決心をつけた状態で。
「でも、まだ反抗する人達がいるかもしれないから、気を付けるようにも伝えといてね~。そうだ、それから――」
「《元帥》」
 機会を逸する前にと、ユベールは慌てて口を開いていた。そのせいか上司の発言を遮る事となってしまったが、相手は気にした様子は見せなかった。
「んー? 何かな、ユベールくん?」
 同僚達からの咎めるような視線を受けながらも、ユベールは一世一代と言わんばかりの決意を持って、その言葉を口にする。
「無礼を承知で申し上げますが、貴方は何を考えていらっしゃるのですか? スタントン元准将を追い詰めるようなやり方をされ、先代と同じように罪も無い獣人の子ども達を強制的に従わせているばかりか、首都を武力制圧するなど……貴方は、以前とは、すっかりと御変わりになられてしまったようにしか思えません」
 僅かに躊躇いつつも最後まで言いきった瞬間、室内がざわめきに包まれた。
 それでもユベールはそちらを認識の外へと追いやり、ただ上司の返答だけを待っていた。例えどのような結果になったとしても、もう不信感を募らせているだけの状態ではいたくなかったのだ。
 これに対してニールソンは、いつも通りの表情のまま、確かめるように首を傾げてみせる。
「ユベールくんは、わつぃが信じられないんだ?」
 図星だった為、思わずユベールは言葉を失う。
 その様子から肯定だと理解したニールソンは、そっかー、と残念そうに呟いた。
「じゃあ、ユベールくんも、もう要らないね」
 まるで他愛も無い事について話している時のような、随分あっさりとした声だった。その普段と何ら変わらぬ読めない笑みも相まって、言葉の内容とは全く合っていない。
 それ故に、ユベールは何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「は……?」
 しかし、丸くなった目の先に同僚から剣先を突き付けられた事で、我に返ると同時に事態を把握する。それに意識を集中させながらも再び見た上司は、背筋が凍りそうな笑みを浮かべていた。

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