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三十六章 崩れゆく柱‐father‐(12)

「モナト……?」
 これによりマンスは一抹の不安を覚える。以前も似たような事があったが、その時は《水精霊》に止められていたのだと本人達から聞かされていた。それでも、ひょっこりと顔を覗かせてしまった嫌な予感を、今回は払拭できなかったのだ。もしや以前のも、という考えも思い浮かんでしまう。
 そちらに気付きながらも、現在のオーラには〈結界〉の維持に集中する以外の余裕は無かった。なぜなら既に皆にも述べている通り、徐々に体調が悪化していたからである。その原因は、彼女自身がよく理解していた。
(やはり……一度、《世界樹》さんに御願いした方が良いのでしょうね)
 とにもかくにも、ニールソンにあまり近付きすぎない方が良いだろう、とオーラは自らに言い聞かせた。
 前方では、アシュレイとレオンスとスラヴィの三人が、ケルベロスの三つ首をそれぞれ撹乱する事に務めている。そうして作られた隙を狙ってアクセルが攻撃するという戦法なのだが、意外と俊敏なケルベロスが逃げる方が速かった。しかも彼以外の攻撃は通じない為、押さえ付ける方法も取れない。加えて、アシュレイとレオンスは既に一度闇魔を生じさせた経緯がある為、触れれば憑かれてしまう危険性も無い訳では無かったのだ。
「――〈敏捷上昇〉!」
 そこでターヤの支援魔術が発動し、アクセルだけを包み込む。
 かくして動きが速くなったアクセルだったが、それでもまだ完全に捉えるには至らなかった。
 前線の状況に気付いていたターヤは、それを見るやすぐに光属性魔術の詠唱へと移る。やはり、自身も攻撃するべきだと知ったからだ。
「『大地に溢れる光』――」
「うーん、それをされると困るんだよね~」
 だが、彼女の行動に気付いたニールソンが軽く手を振れば、またもや影から何かが出現する。
「「!」」
 それを目にした皆が驚愕に襲われる中、ターヤは顔を蒼白にして詠唱を中断してしまっていた。
 影から引っ張り出されるようにして登場したのは、軍人が数人と、支配下に置かれている動物や魔物が一匹ずつだったからだ。しかも、その全員が目にも顔にも生気を宿しておらず、彼らからは闇魔の気配すら感じられた。
「まさか、闇魔に侵食させたの……?」
「うん、その通り~。良い感じに気持ちが揺れてたり、暗くなってたりしたからね、良い駒になると思って眷属にしてみたんだー。ね、良い感じになったと思わない?」
 少女の震える声には、青年の随分と陽気な声が答えた。
 罪悪感の欠片も無い彼には、一行全員が絶句させられる。
 また、本体の近くでアクセル達三人と対峙していたケルベロスの三つ首が、それぞれ定めた獲物へと寄っていた。今にも首を噛み千切れそうな距離だった。
 すぐニールソンの思惑に気付いた面々は顔を顰め、その様子を見た彼はその通りとばかりに頷いてみせる。
「そうそう、《神子》様が詠唱を始めても、誰が動こうとしても、わつぃがこの中の誰かをばっくりいっちゃうからね~」
「!」
 遅れて本人の発言で事態を理解したターヤ達は、顔色を一変させる。
「人質をとるのかよ!」
「だってー、数の多さだとそっちが有利なんだもん。それに、わつぃの天敵の《神子》様も居るし~」
 アクセルが叫ぶが、ニールソンは悪びれる様子も無い。寧ろ当然だと言わんばかりだ。
 そしてこの発言により、彼の意識までもが《ケルベロス》と同化してしまっている事を、一行は嫌でも知ってしまった。次いで、やはりもう彼ごと殺すしか手は残されていないのだという事実を、再認識させられる。
 すっかり劣勢になってしまった一行を余裕たっぷりに眺めていたニールソンだったが、ふと思い付いたようにゆっくりと口を開いた。

「わつぃはね、ずーっと認められたかったんだ。だって、みんな『チビ』ってわつぃを馬鹿にするんだもの。わつぃはドワーフなんだから、小さいのがあたりまえなのにね」
 それまでの陽気さからは一変、随分と感傷的な声だった。脳内では『ニールソン』と《ケルベロス》の意識が混ざり合ってぐちゃぐちゃになってしまっているのか、彼はぺらぺらと自分自身のことを語っている。相手が訝しげな様子になろうともお構い無しだ。
「だから、わつぃはこの世界の支配者になる事にしたんだ。だってそうすれば、もう誰も、わつぃを馬鹿にしたり苛めたりなんかしないよね?」
 言っている内容には先程と被っているところも多かったが、ニールソンは気にした様子も無い。自分が何を紡いでいるのか解っていないのかもしれなかった。
 対してレオンスは、ケルベロスの首を警戒しながらも思わず近親感を覚えてしまっていた。
「それが、おまえにとっての理由なんだな」
「うん、そうだよ。だから、わつぃは力が欲しいんだ。もう誰も、わつぃをあんなふうに扱わなくなるくらいの、圧倒的で、絶対的な力が」
 声色からその感情を察したオーラがレオンスを見ると同時、笑みを消したニールソンは真顔で肯定していた。その声は、一気に冷えきっていた。
 彼は『馬鹿にする』や『苛める』という表現しか使用してはいなかったが、そこから、そのような易しい言葉では済まされないような事をされたのだと一行は理解できた。つまり迫害されたのだ。そうして負の感情が溜まっていたところに、それを感じ取ったヘカテーがケルベロスに憑くよう命じた、あるいはケルベロス自身が選び、そうして彼は闇魔の宿主となったのであろう。
(って事は、やっぱり、あたしが闇魔に侵させたようなものなんだ。あたしが近くに居なければ、もしかしたらニールは……いいえ、それでも、そんな感情を抱えてたままなら、遅かれ早かれ、他の闇魔に憑かれてたのかもしれないのよね)
 益々そう思えたアシュレイだったが、すぐに思い直す。
 そしてターヤは、現状と相手の事情をも含めて、ままならない状況にもどかしい思いを覚えていた。アシュレイとレオンスの時は救えたが、最早ニールソンは、まるでウィラードのように闇魔そのものと言えたからだ。
(アシュレイとレオンも危なかったけど、でも、二人は無意識でも、闇魔を完全には受け入れてなかったから助けられた。……でも、ニールソンはもう……。アストライオスの時とはまた違うけど、助ける事ができないんだ……!)
 事情を知ってつい黙ってしまった一行を置き去りにして、ひーふーみー、とニールソンは余裕の笑みに戻り、何事かを指で数え始めていた。どうやら、ころころと感情が変化しているようだ。
「えーっと、まずはあっちゃん達を倒して、それから使えそうな駒を増やしながら邪魔な人達も倒して、首都を奪還して、そしたらようやくクレッソンかなー。彼を倒しちゃえば、あと、めんどくさそうなのは世界樹の街くらいだもんね~」
 ニールソンにとって思い浮かぶ目の上のたんこぶはクレッソンくらいらしく、〔教会〕などの他勢力は眼中に無いようだった。
 また、この言葉でアシュレイは彼の目的そのものを理解する。思わず眉尻が下がっていた。
「あんたも、あいつと同じで、世界そのものが欲しかったのね」
 既に本人が明言していたように思えるが、そこにはニュアンスの違いがあった。『世界の支配者』というのは王や統治者を指し示すが、『世界そのもの』とはこの世界の仕組みそのもの――つまりは《世界樹》を表すからだ。
 故に一行は、ニールソンの目的もまたクレッソンと同じなのだと知る。
「あたりまえだよ~。だって、世界そのものを手に入れるって事は、わつぃは神様になるって事なんだよ~。そしたら、もう誰もわつぃには逆らえないもんね。でも、その為にはまずあっちゃん達を消さなきゃ。もう邪魔でしかない《神子》様も一緒に、ね」
 目的を知られる事など、もうニールソンにとっては何の問題にもならないらしい。その物騒な宣言には、反射的にターヤが身構えてしまった程だ。
「なら、やれるものならやってみなさいよ」
 これに対し、アシュレイは先程の彼と同じ言葉を、そのままそっくり返してやる。

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