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三十六章 崩れゆく柱‐father‐(11)

 最近は体調を崩す事の多い彼女を心配していたターヤだったが、今は声をかけるべきではないと理解していたので口は噤んでいた。おそらくは何かしら原因があり、それがクレッソン関係なのではないかと彼女は踏んでいたが、本人が話さないのに訊くのもどうかと思っていたのだ。
 そちらを確認してから、先頭に立つアシュレイはそれに手をかける。
 そうして、建物の奥に位置する大きな扉を開けた先――《元帥》の執務室では、案の定ニールソンが椅子に座ってこちらに背を向けていた。
 その背中へと向けて、アシュレイはまっすぐに声を飛ばす。
「今回はちゃんととどめを刺しにきたわよ、《元帥》」
 相手は、それを受けて椅子を回してくる訳でも、声を発する訳でもなかった。ただ不動と無言を貫いている。
 一行もまたすぐには何も言わず、少しだけ相手の出方を窺ってみる事にした。
 少し時間が置かれた後、ああ、と思い出したような声が上がる。
「そう言えば、あっちゃん達が〔ウロボロス〕を壊滅してくれたんだってね~。そこだけは感謝しておくよ~」
「もうあんたに感謝される謂れなんか無いわよ」
 相変わらずの緊張感を損なわせるような声に内容だったが、誰もその思惑には乗らない。
「それと、あんたにそう呼ばれる謂れも、もう無いわ」
「そっかー、それは残念だよ~」
 言葉の内容とは裏腹に、その声には全くもって気持ちが籠っていなかった。未だ一行のどの位置からもその表情は見えなかったが、普段と同じく気の抜けそうな笑みを浮かべている事は明らかだ。
「そうそう、それと、まさかあの〔騎士団〕本部が火の海になっちゃったんだってね~。これも、あっちゃん達の仕業ー?」
 全くもって驚いていない事が明白な声で、ニールソンはおどけてみせる。
 最早そこにいちいち反応する事も無く、アシュレイは淡々と返す。
「いいえ、どうせクレッソンの作戦の内なんでしょ」
 変に口は挟まない方が良いだろうという考えから、一行は会話を彼女に一任していた。無論、何かあった時は遠慮無く口を開くつもりではいたが。
 ニールソンも何となく見当は付いていたらしく、こちらは本当にがっかりしたような溜息を吐き出した。
「なーんだ、やっぱりかー。それは残念だよ~」
 ここでようやく、くるりと椅子が回される。そうして見えてきたニールソンの表情は、やはりいつもと何ら変わりない偽者めいた笑みであった。そしてその目と髪はウィラードと同じく漆黒に染められており、そこには一点の光すら無かった。
 それでも彼から感じ取れている闇魔の強い気配に、思わずターヤは警戒を強めていた。相手の顔が見えるようになった事で、すぐにでも戦闘になるのかもしれないという緊張が生じてきたのだ。
「それで、あっちゃん達は何をしにきたの?」
 あくまでもニールソンは余裕を崩さず、あろう事かこのような発言まで行うのだった。
「決まってるでしょ、あんたの横行を止めに来たのよ」
 しかしアシュレイが揺らぐ事はもう無かった。彼女は完全に覚悟を決めていたのだから。
 この反応は予想外だったのか、ニールソンは不満そうに唇を尖らせた。
「ふーん、あっちゃんはわつぃを悪者扱いするんだね~」
「あんたのしてる事は立派な悪行だわ。世界の秩序を支える〔ヨルムンガンド同盟〕の柱でありながら、そこに属する仲間とも言えるギルドばかりを襲うなんて、世界を混乱にでも陥れたい訳? ……しかも、前《元帥》と同じ過ちまで犯すなんて……あんた、人の道から外れたい訳?」
 息を詰まらせるように発された後半の言葉には自らの経験に基づく感情が、そして強い非難の裏側には本気の心配が隠れているようだった。容赦はしないという確固たる決意があっても、やはり彼に対する情を完全に捨て去る事はアシュレイにはできないらしい。
「だって、やっぱりまずはわつぃの力を見せつけなくちゃいけないと思ったんだ。じゃないと、〔騎士団〕に先を越されちゃうかもしれなかったからね。まぁ、現に越されちゃったんだけどねー」
 けれどもニールソンが紡いだのは、民衆の事など何も気にかけていない言葉だった。

 ここでようやく、くるりと椅子が回される。そうして見えてきたニールソンの表情は、やはりいつもと何ら変わりない偽者めいた笑みであった。そして、その目と髪はウィラードと同じく漆黒に染められており、そこには一点の光すら無い。
 それでも彼から感じ取れている闇魔の強い気配に、思わずターヤは警戒を強めていた。相手の顔が見えるようになった事で、すぐにでも戦闘になるのかもしれないという緊張が生じてきたのだ。
「それで、あっちゃん達は何をしにきたの?」
 あくまでもニールソンは余裕を崩さず、あろう事かこのような発言まで行うのだった。
「決まってるでしょ、あんたの横行を止めに来たのよ」
 しかし、アシュレイが揺らぐ事はもう無かった。彼女は完全に覚悟を決めていたのだから。
 この反応は予想外だったのか、ニールソンは不満そうに唇を尖らせた。
「ふーん、あっちゃんは、わつぃを悪者扱いするんだね~」
「あんたのしてる事は立派な悪行だわ。世界の秩序を支える〔ヨルムンガンド同盟〕の柱でありながら、そこに属する仲間とも言えるギルドばかりを襲うなんて、世界を混乱にでも陥れたい訳? ……しかも、前《元帥》と同じ過ちまで犯すなんて……あんた、人の道から外れたい訳?」
 息を詰まらせるように発された後半の言葉には自らの経験に基づく感情が、そして強い非難の裏側には本気の心配が隠れているようだった。容赦はしないという確固たる決意があっても、やはり彼に対する情を完全に捨て去る事は、アシュレイにはできないらしい。
「だって、やっぱり、まずはわつぃの力を見せつけなくちゃいけないと思ったんだ。じゃないと、〔騎士団〕に先を越されちゃうかもしれなかったからね。まぁ、現に越されちゃったんだけどねー」
 けれどもニールソンが紡いだのは、あくまでも救いようの無い言葉だった。
 その瞬間、アシュレイがその場に頽れたような錯覚をターヤは覚えてしまっていた。
「……そう、あんたは、もう完全に戻れないのね……もう、絶対に元には戻れないのね」
 彼女の感覚を肯定するかのように、アシュレイは喉の奥から絞り出したかのように悲痛な声を吐き出す。
 自分とアクセルに向けられたであろう声に、ターヤは呼吸音で答える事すらできなかった。
 彼もまた、答えようとはしなかった。
 そして、その沈黙が何よりの肯定であると理解していたアシュレイは、それ故に最後まで残っていた僅かな迷いを今度こそ完全に捨て去った。本当は、彼が狂気に落ちたのは嘘であってほしいという気持ちも少しだけあったのだ。
「それなら、やっぱり、元部下としてけじめをつけるのは義務よね。……だから、他でもないあたしがあんたを止めるわ!」
 寸分の狂いも無く心臓へと真っすぐに向けられたレイピアこそ、アシュレイの覚悟の象徴であった。
 これを目にしたニールソンの表情から笑みが掻き消える。
「じゃあ、やれるものなら、やってみせてよ」
 けれども、すぐに何事も無かったかのように元に戻っていた。そして彼が軽く両手を持ち上げてみせた瞬間、その後方からぶわっと影が噴き出す。
「「!」」
 即座に皆が戦闘体勢へと移っていく中、ニールソンは何を考えたのか椅子から机上へと移動していた。よっこいしょ、などという緩いかけ声すら上げている。
 その隙を狙い、アシュレイは一直線に彼自身へと突撃していた。
 だが、それを待っていたかのように、机の下にまで広がっていた影からケルベロスの首が飛び出す。
「ちっ!」
 予測はしていたので余裕で回避したアシュレイだったが、思わず舌打ちを零していた。
 その間にもレオンスとスラヴィ、そしてアクセルが敵の許へと向かい、ターヤが詠唱を開始している。
 一方、マンスはこの狭い場所では四精霊も動きにくいだろうと考え、また建物を壊すのはどうにも忍びなかったので、モナトを呼ぶ事にしていた。
「来て、モナト!」
 だが、相棒が姿を現す事も、呼びかけに応える事も無かった。

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