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三十五章 女神の騎士‐idea‐(9)

「ミネって、もしかして《鉱精霊》の愛称?」
「そうっすよ」
 確認の為に紡がれたターヤの言葉には肯定が返される。
 そうこうしながらも全員が梯子を下り終えれば、《精霊使い》は前方へと続く廊下を進み始める。特に慎重になっていないところからするに、この辺りはまだそれ程警戒しなくても大丈夫なのだろう。
 先頭を行くその背中を眺めながら、マンスは何となく口を開いていた。
「そう言えば、おにーちゃんの名前は何て言うの?」
 思い浮かんだままに少年が口にしたのが、それだった。この場においては異質とも言えるその質問に、けれど《精霊使い》は一瞬だけ呆気に取られたかのように肩を動かしただけで、すぐに答えを寄越す。 
「グィード・ガッツァニーガっす」
 随分と自信と誇りを持った声だった。それが意味するところなど一行には解らなかったが、オーラだけは一瞬だけ微笑ましげな顔となる。
 随分と言いにくそうな名前だな、と密かに思ってしまったターヤである。
「言いにくい名前っすから、ギドで良いっすよ」
 その直後、困ったような笑みと共に紡がれた言葉に思わず身を竦めてしまうが、グィードはターヤの方を見てはいなかった。どうやら今までの経験からそう補足したらしく、つまるところ、大半の者から言いにくい名前だと言われてきたようだ。
「はい、ギドさん」
 本当にそう呼んで良いものなのかと一瞬躊躇した面々だったが、オーラだけは素直に頷いていた。どこか含みのある声のようでもあった。
 それが意味するところは一行には解らなかったが、グィードは理解できたのか、こそばゆそうに目を逸らす。頬には僅かに赤みも差しており、まるで他者に恋人との仲を指摘されたかのような、今までとも現在のものとも異なる表情であった。
 あまりに見慣れなさすぎて目を瞬かせたり見開いたりする一行だったが、グィードはすぐに元の顔付きへと戻っていた。その視線が向けられた先では、道が左右に分かれている。
「ここからは二手に別れるっす。俺はミネを助ける為に右に行くんで、皆さんは左に行って直接リーダーを叩いてほしいっす。そこを曲がった後、真っすぐ行けばリーダーの部屋に着くんで。ただ、ここからは見張りも多くなるんで、注意は怠んないでくださいっす」
「うん、分かった」
「ああ、任せとけよ」
「ところで、それが君の素だったっけ?」
 一行はこぞって了承の意を見せたが、そこでふと気になったかのようにスラヴィが首を傾げた。
 言われてみれば確かに、グィードの素の口調は「~っす」という語尾が付かないものであった筈だ。最後に会った時に激情をぶちまけていた口調がそれだったというだけなので、実際のところは判らないのだが。
 予想外な問いを向けられた方のグィードは、一瞬目を丸くしてから苦笑を浮かべる。
「ずっとこっちを使ってたんで、癖になってるんすよ」
「そうなんだ」
 単にふと思い浮かんだだけだったのか、スラヴィはそうとだけ返した。
「じゃあ、ミネを助けたら俺も合流するんで、それまではお願いするっす」
「うん、こっちは任せておいて!」
 気合が入ったマンスの答えを聞いてから、グィードは右の角を曲がっていった。
 それを見送って少々時間を置いた後、一行は互いに目を合わせて頷き合うと、走り出して左の道へと飛び込んでいく。そのまま少し行けば、前方に〔ウロボロス〕のメンバーの姿がちらほらと見えてくるようになった。彼らは一行に気付くと応戦ないしは応援を呼びに行こうとするが、それよりも速く、主にアシュレイとオーラが彼らを気絶させる事で阻止していた。

 そのまま曲がる事無く道なりに進んでいけば、確かに今まで視界に入ってきた物とは明らかに異なる、重厚そうな扉が行き止まりに鎮座していた。どこからどう見ても重要な場所です言わんばかりの物体である。
 これにはアシュレイが呆れ顔になって息を吐き出したかと思えば、次の瞬間には思いきり蹴飛ばしていた。その際、彼女の足が豹のものになっていたのは、決してターヤの見間違いなどではないだろう。
 かくして硬そうだった扉は見事なまでにひしゃげ、蝶番を巻き込んで壁と別離し、そのまま真っすぐに部屋の中へと倒れ込んだ。
「邪魔するわよ」
 突然の事態についてこれていないらしく、室内に居た面子は目を瞬かせながら、一行と壊された扉を交互に見ている。
「て、敵襲だ!」
 やがて、その内の一人が我に返ったように叫べば、途端に彼らは顔色を変えて慌て出した。
 この光景を目にしたターヤは、ついつい意外と統率の取れていない組織なのかもしれないと思ってしまった。
「落ち着け!」
 そこに、僅かに焦っているかのような声での叱責が飛んでくる。
 いっせいに〔ウロボロス〕のメンバーが振り向いた先――部屋の最奥には大きな机と椅子が一つ置いてあり、そこには一人の男性が腰を下ろしていた。おそらくは彼が『リーダー』なのだろうと一行は睨む。
「貴様達は何者だ? なぜこの場所が判った?」
 やはり彼もまた動揺しているらしく、その言葉と声からは慎重な様子が窺えた。
 これには先頭に居たアシュレイが答える事にする。
「そうね……〔暴君〕の代行者、とだけ名乗っておこうかしら」
「「!」」
 わざと含みをもった声でアシュレイがその名を出せば、今度こそ相手方の顔色が一変した。
「き、貴様ら、〔暴君〕の手の者か!」
 リーダーもまた装っていた冷静な仮面を暴かれて恐怖に上ずった声を上げ、慌てて近くの出入り口とは別の扉とその傍に居る部下へと目配せする。逃走経路でも確保しようとしているのかどうかはともかくとして、それだけ〔ウロボロス〕にとって〔暴君〕とは何よりも警戒すべき対象であるようだ。
 別に嘘は言っていない為、一行は誰も訂正しようとは思わなかった。
「そこまで解れば、あたし達がここに来た理由は言う必要も無いわよね?」
 相手方にとっては死刑宣告にも等しい言葉をアシュレイは突き付ける。
 襲いかかったところで返り討ちにされるのが関の山だと解っているのか、〔ウロボロス〕のメンバーはじりじりと一行を取り巻くように距離を測るだけだ。武器を手にしてはいたが、攻撃へと転じてくる様子は無い。
 逆に、その様子から〔ウロボロス〕にはもう人工精霊も居ない事を察し、一行は余裕を持てていた。この様子だと、この場に居る面子の戦闘能力も高が知れているからだ。
「ああそうそう、内部構造が単調なのはどうかと思うけど? 人工精霊が居なければ苦戦させられる事も無いし、楽にここまで辿り着けたわよ。無いとは思うけど、次は構造から考え直す事ね」
「その忠告は、ありがたく受け取っておこう……」
 遠慮が無く挑発の意図を隠そうともしないアシュレイの言葉により、リーダーは額に青筋を浮かばせかけるも、何とか持ち堪えた。また、彼女をどこかで見た事があるような気もしていたが、すぐに気のせいだろうと脳内で結論付ける。
「だが、賭けに勝ったのは私の方だ!」
 そして、彼が余裕の表情を浮かべてそう叫んだ瞬間だった。
「「!?」」
 急に足が固定されたかのように動かせなくなった為、一行は驚く。何事かと視線を下ろした彼らの目に入ってきたのは、急速に鉱物化し始めている自らの両足と、いつの間にか足元に浮かび上がっていた魔法陣だった。
 これが《鉱精霊》を利用した術式である事に、一行は即座に気付く。

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