The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十五章 女神の騎士‐idea‐(8)
アクセルに至っては、若干の揶揄を込めた顔になっている。
そちらを目敏く見つけて一睨みしてから、アシュレイは続いてユルハを見た。
「あとは、親子水入らずで話してください」
その言葉通り、彼女はそれ以上何も言おうとはしなかった。壁まで下がって背を預け、いつものように両腕を組む。空気と思ってくれて構わないというポーズだった。
ヌアークはそこに込められていた皮肉にも気付かず、アシュレイの言動にすっかりと目を丸くしている。彼女の事なので、厳しい内容を向けられるとばかり思っていたのだろう。
彼女なりの気遣いに苦笑しつつ、ターヤもまたヌアークへと声をかける。
「とにかく、まずはちゃんと、二人で話した方が良いと思うよ。その後、これからの事を考えれば良いんだよ。ね?」
大丈夫だと言うかのように笑いかければ、またしてもヌアークが何事かを呟いた気がした。それからすぐに彼女は了解したと言うかのように頷いた為、そちらにターヤが触れる事は無かった。
そしてユルハは再度一行へと頭を下げる。
「本当に、本当に、アリガトウゴザイマシタ」
皆もまた、もう一度気にするなとばかりに手や首を振ったりする。
続いて彼が向き直ったのは、オーラだった。
「それと、今まで本当にアリガトウゴザイマシタ、オリーナサン」
確信を持った声と共にわざわざ個別に頭を下げてきたユルハに、彼女は目を丸くする。それから気付かれていたのかと言うように苦笑いを浮かべ、そしてすぐに安堵の笑みとなった。
「いいえ。貴方が娘さんと再会できて、本当に良かったです。私も、これでやっと胸の荷を降ろせたような気がします」
「アナタには、幾らお礼を言っても足りないのデショウネ」
「私は、そのようなことを言っていただけるような人物ではありませんよ。現に、ヌアークさんの所在を掴んでおきながら、今の今まで何もしなかったのですから」
寧ろ申し訳無さそうな笑みとなったオーラに、ユルハは違うのだと教えるかのように首を横に振ってみせた。
「それでも、あの日アナタが言ってくれた言葉が、今の今までワタシを頑張らせてくれたんデス。ですから、本当にアリガトウゴザイマシタ」
嘘偽りなど一片も無い、本心からの言葉と笑顔だった。
故に、オーラもまたつられるようにして照れくさそうに笑う。
「……はい」
それから彼女は真剣な面持ちでヌアークを見た。
「ヌアークさん、先程の話を蒸し返すようで恐縮ですが、〔ウロボロス〕の件は私達に任せていただけないでしょうか。貴女も御父上と再会されたばかりですし、積もる話も多いかと思われますので」
「……あなたって、意外と強かで計算高いわよね」
「さて、いったい何の事でしょうか」
呆れたようにヌアークが息をつくが、オーラはあくまでもどこ吹く風だ。
そこに対して更なる呆れを見せつつも、彼女は仕方ないと言わんばかりの顔になる。
「まぁ良いわ。今のあたくしには武器も策も無いに等しいのだし、久しぶりにお父様に逢えたのだから、あいつらの事はあなた達に譲ってあげても良いわ。ただし、手を抜くのは承知しなくてよ。あたくしの代わりに行くと言うのならば、しっかりと〔ウロボロス連合〕を止めてきなさいな」
ほぼ元通りになっているらしく、その口から紡がれた答えは実にヌアークらしいものだった。それでも言わんとしているのは、後はオーラ達に任せるという内容である。
これを聞いた一行は互いに顔を見合わせた。
「はい、確かに承りました」
オーラはスカートの裾を摘んで優雅に一礼してから、踵を返そうとする。
「それと」
だが、まだ言いたいことはあるのだと、引き止めるかのように声が飛んできた。
振り向こうとした姿勢で止まったオーラの目に映ったのは、恥ずかしそうに頬を赤くしたヌアークの姿だった。
「その、礼くらいは、言っておいてあげるわ。……ありがとう」
耐えられなくなったかのようにふいと顔ごと視線を背けて、彼女はそうとだけしか言わなかった。ただし上辺だけの言葉という訳ではなく、プライドが高いからこその素直になれない言葉である。
それに気付いているからこそ、オーラは怒る事も呆れる事もしない。
「はい、どういたしまして」
ただ、無自覚にオリーナとしての心底嬉しそうな満面の笑みを浮かべながら、そう返しただけだった。
ミーミル報道本社を後にした一行は、そこでカソヴィッツ父娘とその傍に控えているエフレムに挨拶をして別れた。どうやら三人はこれからユルハの家に行くようだった。
「オーラは、ヌアークとユルハさんをずっと再会させたかったの?」
再びムッライマー沼を目指す途中、ターヤは先程から浮かんでいた疑問を向けた。今訊いておかないと忘れそうな気がした為、言わなくても良いとは解っていても、ついつい訪ねてしまったのだ。
問われた方のオーラは驚いたような顔になるも、次の瞬間には懐かしげな様子に変わっていた。
「そうですね、かれこれ十年前からそう思っていました。……私情やヌアークさんの事情もありまして、これ程までも遅くなってしまったのですが」
「そっか。良かったね、やっと叶えられて」
「はい」
祝福するように微笑めば、本心からの柔らかな笑みが返された。
「さ、行くわよ。〔ウロボロス〕を潰す為にも、《鉱精霊》や人工精霊を助ける為にも」
そこで一区切りと見たアシュレイが本来の目的を告げた事でその会話は終了し、どことなく和やかなままの空気もまた終わりを告げる。
ターヤは皆と同じように表情を引き締め、心中で自らに気合いを入れる。
そしてマンスは、誰よりも決意の色で塗り固められた顔付きとなっていた。
「うん!」
かくして脳内を切り替えた一行は足を速め、ムッライマー沼へと到着する。鼻を押さえながら周囲に注意深く視線を向けていると、いつから待っていたのか、今まで幾度となく顔を合わせてきた《精霊使い》が枯木の陰から姿を現した。その顔には、今までは無かった覇気が見え隠れしている。
「こちらっす」
特に何を訊く訳でも説明する訳でも無く、彼は簡潔にそれだけを口にすると、普段の調子で踵を返して歩き出す。
一行もまた何も言わず、彼の後についていった。
先導する《精霊使い》は、人が歩く事で形成されたらしき曲がりくねった道から外れ、悪臭を放つごみの山へと踏み入っていく。躊躇の色など一欠片も見られない行動だった。
逆に、一行はそれを目にして躊躇ってしまうも、一人が意を決して追いかければ、残りの面子も後に続く。
かくして全員が《精霊使い》に追いつけば、彼はごみの山の一角――その下方に置き去りにされた元は重そうな蓋を、横へと押すように動かした。そうすれば、そこからぽっかりと僅かな灯りに照らされた穴が顔を覗かせる。
「ここが、〔ウロボロス〕のアジトの入り口……」
「他にも幾つか出入口はあるんすけど、ここだと、一番楽にミネのところまで行けるんすよ」
ごくりとマンスが唾を飲み込めば、最初に下りるべく梯子に足をかけながら《精霊使い》が説明を入れてきた。
ミネ、という呼称が誰を指しているのか即座には気付けなかった一行だが、最初に《鉱精霊》を指し示しているのだと理解したのはマンスだった。そして、彼女本人がそう呼ばせているのだという事も。
(ってことは、このおにーちゃんはミネラーリに認められてるんだ。だってミネラーリだって精霊なんだし、だめだと思った奴には愛称なんか教えないだろうし)
精霊のお墨付きだと解れば、マンスは益々嬉しく思えてきていた。一時期は殺してやりたいとすら思っていたが、今では彼が精霊を大切に思えるようになってくれた事を喜んでいる。人は変われるのだと少年は実感していた。