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三十五章 女神の騎士‐idea‐(6)

 図星であった為、ヌアークは気まずそうに顔を俯けがちにして、周囲から視線を逸らす。確かに〔ウロボロス〕のメンバーを拷問したり殺したりする事に、罪悪感は覚えていなかった訳ではない。それでも、これが孤児院の人々の為に――否、自分の為になるのだと信じて疑わなかったのだ。無論、拷問する事を楽しんでいたのも、紛れも無い本心だったのだが。
 すっかりと戦う気力を失くしてしまったヌアークは、項垂れたような姿勢になる。
 そんな彼女の許まで行くと、エフレムは慰めるかのようにそっと頭を撫で始めた。
 するとヌアークは、弾かれたように彼の胸元に顔を埋める。その両手が、彼の服をしわができるくらい強く掴んで握り締めた。
 そのままの体勢では危ないと思ったのか、エフレムはズラトロクの背から、そっと片腕で彼女の身体を抱き上げた。頭を撫でていた方の手付きが更に優しくなる。
 一行は歳相応としか思えないヌアークに脅かされながらも武器を収めており、ターヤは説得が成功してくれたことに内心で安堵してもいた。殆ど無意識のうちに感情に押されるようにして紡いだ言葉だったので、相手に届くかどうか不安でもあったのだ。
 かくしてその場は静寂に包まれたが、しばらくしてエフレムがヌアークに小声で何事かを離しかけていた。少し間を置いてから彼女がゆっくりと頷けば、彼は一行へと向き直る。
「……ヌアーク様は、御両親と生き別れておられるのです」
 唐突に躊躇しつつもエフレムが語り出したのは、ヌアークの過去と思しき話だった。
 何事かとは思いつつも、一行は黙って耳を傾ける事にする。
「御覧の通りヌアーク様は《マレフィクス》ですから、世間の風当たりはとても強いものでした」
 マレフィクス。それは髪と目の色、あるいは両目の色が異なる者を指す。この世界では髪と両目は同色というのが根強い常識である為、彼らは『異端』と認識されて、種族を問わず迫害の対象とされるのだ。しかも、それが人間以外であれば尚更だ。ただし白髪に赤い目を持つ《アルビノ》は神聖視されているので、また別なのだが。
 そう言えば彼女がそうであった事を、今更ターヤは思い出していた。幼女ならぬ残虐性や大人びた様子、あるいは彼女に心酔する男達などの方が印象に強く、そちらは奥の方へと押しやられてしまっていたからである。しかも、彼女を《マレフィクス》だからと言って差別する者を見た事が無かったから、というのもあった。
 彼が語っている間、当の本人は押し黙っている。悪いところを指摘された小さな子どものように、唇を引き結んで拗ねたような表情で彼にしがみ付いていた。
「そして、ヌアーク様はドウェラーでもあらせられる為、御両親と共に移り住まれた先では、二重の意味で迫害を受ける事となってしまわれたのです」
「! じゃあ、前にぼくより年上だって言ってたのって、ドウェラーだったからなんだね」
 ようやく合点がいったらしく、マンスが納得のいった顔で呟く。
 ヌアークの外見年齢は八歳くらいだが、二年で一歳分しか成長しないドウェラーならば実質十六歳という事になるので、確かにマンスよりも年上なのだろう。
 少年に頷いてみせてから、エフレムは続ける。
「そのせいで、ヌアーク様は御両親と生き別れになってしまわれてしまいました。それ以降の消息は、未だに掴めておりません」
「……その後、あたくしを救ってくれたのが、ディルファー孤児院の十代くらいの人間の少女だったのよ」
 彼の言葉を継ぐようにしてヌアークは口を開いていた。まだ若干泣いているかのような声でもある。
 今度はレオンスが理解したらしき顔付きとなった。
「だから、君は人間が嫌いだと公言しておきながら、人間であるレオカディオの娘達と、あの孤児院の人達を傍に置いて護ろうとしているんだな」
「ユリアのことを御存知だったのですね。……はい、ヌアーク様が人間でありながらも子ども達の他に彼女達を重用するのには、そのような理由があらせられるのです」
 レオンスはエフレムの勘違いを訂正する事はせず、黙って聞く姿勢に戻っていた。

 語り手は再びエフレムへと戻るも、彼の顔は僅かに曇ってしまう。
「ですが、その少女は、他種族を排斥しようとする人間達に殺されてしまいました。皮肉にも、その件がヌアーク様のドウェラーとしての能力を目覚めさせる事となってしまわれたようですが」
 その能力こそが、力無き者を強制的に従えさせてしまう能力なのだろう、とターヤは思った。もしかすると、それが故に制御できないのかもしれない、とも。
「私がヌアーク様と御逢いしたのは、そのすぐ後です。私もまたハーフエルフであり迫害されてきた身でしたから、ヌアーク様の思想に賛同するのに時間はかかりませんでした」
「だから、おまえらは〔君臨する女神〕を作ったんだな」
「はい、その通りです。それにギルドリーダーとしてヌアーク様が名を馳せていれば、御両親が気付いてくださる、あるいは情報が入ってくるのではないかと踏んでいたのもありました。……私の話は以上です。聞いてくださりありがとうございました」
 アクセルの言葉に頷いてから、エフレムは深々と頭を下げる。今までとは異なり、やけに礼儀正しい所作だった。
 その変わりようにターヤは思わず目を瞬かせてしまう。
「つまり、さっきあんたから襲いかかってきたのは、マンスが羨ましかったからなのね」
 一方全てを聴き終えたアシュレイは、最初にヌアークが見せた激情の理由を理解して、呆れたように息を吐き出した。それでは完全に、単なる八つ当たりではないかと言わんばかりに。
 相手が彼女だという事もあってその態度に反応しつつも、正論だと解っているのでヌアークもエフレムも反論はしない。
「でも、何でその話を俺達にしたの?」
 不思議そうに首を傾げながらスラヴィが発したのは、皆もまた気になっていた部分だった。
 途端にエフレムは、どことなく困ったような顔となる。
「それは、ヌアーク様を悪く思われたくはなかったから、なのでしょう」
 自分でもなぜ話したのか解らないと言いたげな様子だった。まるで自然と言葉が口から出てきてしまったとばかりに。
 それを耳にして、ターヤは何となく理解できた気がした。
「そっか、エフレムにとってヌアークは『特別』なんだね」
「はい。この方は、私の大切な方ですから」
 あくまで『主人』などという言葉を使わなかったところから、エフレムが自分の言いたかった意味を汲み取ってくれたのだとターヤは知る。そしてそうだと知るや、つい微笑ましくなってきてしまって、自分でも知らぬうちに微笑んでいた。
 柔らかな笑みを向けられてしまったヌアークは驚いたように目を丸くするも、すぐに顔を背けてしまった。まるで恥ずかしがるかのように、赤くなってしまった顔を隠すかのように。
「さてと、ここからはあたし達に任せてほしいんだけど、異論は無いわよね?」
 そんな彼女に対し、アシュレイは待っていたかのように本題を振った。
 するとヌアークはそれまでの大人しげな様子もどこへやら、異議ありとばかりに顔を顰める。
「いいえ、あたくしはまだ戦えるわ。……それに、もうこの子達や、同じギルドのメンバーを傷付けるような事なんてしないもの」
 そう言いながら彼女は手を伸ばし、先程からずっと傍で待機しているズラトロクの頭をそっと撫でた。申し訳なさそうに労わるような手付きへと、大丈夫だと答えるかのようにズラトロクは小さく鳴いた。そんな彼へと笑みを零してから、続いて〈結界〉の中に寝かせられ、アリアネの介抱を受けている男達を見る。後悔しているような、けれどまだ受け入れがたいと思っているかのような、複雑な表情だった。
 アシュレイはそこに関して呆れたようにヌアークを見ていたが、何も言おうとはしなかった。代わりに先の件について口を開こうとするも、どうせ意味は無いのだろうと思い止まったので止めた。見れば、相手も同じような事をしていた。
 こうして互いの主張は平行線を辿っていた上、何も言っても相手の意思は変わらないだろうと踏んだ二人は、互いに黙る他無かったのである。
「ヌアークさん」
 そうしてできてしまった沈黙を破ったのは、他ならぬオーラだった。彼女はまっすぐ真剣な瞳でヌアークを見つめている。ようやくこの時が来たと言いたげでもあった。

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