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三十五章 女神の騎士‐idea‐(5)

「オーラ!」
 すぐにでも喜びたいところだったが、それよりも先にターヤは鋭く彼女の名を叫ぶ。
 その声で我に返らされたオーラは、目線だけでマンス達にヌアークを任せ、自らはすばやく魔導書を構え直した。
「〈空中浮遊〉」
 直後、落下していた男達が全員、ゆっくりとした速度に切り替えられる。彼らはそのまま斜めに動かされ、安全な〈結界〉内部にて、ようやく地面へと下ろされた。全員が憔悴しているようだった。
 次いでに彼女は、降下し始めていた巨体をもゆっくりと端に降ろした。
 ここまで完了したところで、ようやくターヤは息を吐き出した。それからサンダーバードを破壊しようかとも思ったが、放っておいても大丈夫そうだと踏む。それからマフデトと共に地面へと降り立ち、彼らの許まで駆け寄って治癒魔術をかけ始めた。
 一方、ヌアークは最大戦力が行動不能にされた事に思いきり顔を顰めていたが、しばらくして何事かが思い浮かんだらしく、一変して余裕を取り戻し始める。その視線が、ターヤへと移った。
「……そう言えば、あなた、あの《世界樹の神子》だそうね」
「!」
 ふと思い出したかの如く確認してきた声に、一通り治療を終えたターヤは思わず反応してしまった。まさか〔君臨する女神〕にまで知られていようとは思わなかったのもある。
 マンスを除く他の面々が判りやすい反応を見せる事は無かったが、彼らもまた内心では驚いていた。
 相手方の反応から確信を得たヌアークは、完全に余裕の笑みを取り戻す。
「その力、あたくしの為に使いなさい」
「っ!?」
 危険信号を感じて慌てて逸らそうとしたが、遅かった。一瞬でもしっかりと目が合ってしまえば、途端にターヤは指の一本さえも動かせなくなる。徐々に意識が薄れていくが、止めようとしても止められそうにはなかった。
 ヌアークが力無き者を従わせられる能力の持ち主であると、今更になってターヤは思い出してもいた。本人も制御できない能力だとは聞いていたが、今の今まで従わさせられた事が無かったので、自分は大丈夫だと思い込んでしまっていたのだ。確かに自分は《世界樹の神子》だが、それはあくまで〈生命の樹〉からの『恩恵』であり、ターヤ自身は一般人なのだから。
「ターヤ!」
 誰かに名前を呼ばれたが、それが呼び水とはなる事は無い。
(このままだと、わたし――)
『――ヌアーク!』
 しかし、ヌアークの目論見が成功する事は無かった。突如として割り込んできた頭に直接響いてくる声、そして彼女に飛び付いて姿勢を崩させた影があったからだ。
 相手の目が視線の先から外れた瞬間、ターヤは我に返る。そして、奥底からの声に導かれるようにして、すばやく杖を構えていた。
「『Lasciare nulla per cancellare tutto』――」
 早口気味に詠唱が開始される一方で、ヌアークは押さえ付けるようにして自身に抱き付いている年配のメイドの女性へと、怒りの籠った声をぶつける。
「どういうつもりなの、アリアネ!?」
『もう止めっぺ? そごさだと、おめぇさんは取り返しのつかねぇところまで行ってしまう』
 対して、アリアネと呼ばれた女性は訛った方言らしきインパクトのある言葉遣いながら、真剣な声でヌアークを諭そうとする。
 それでも彼女は思いきりアリアネを振り払い、駄々をこねる子どもの如く叫んだ。
「止めないでちょうだい! あたくしは、あたくしは……っ! あたくしに平穏な生活を与えなかった世界と、あの子達を脅かすあいつらを、何があっても赦す訳にはいかないのよ!」
 それは悲痛な叫びだった。事情を知らなくとも、ついつい感化させられてしまいそうなくらい、感情の籠った声だったのだ。無論、現在のヌアークにはそのつもりなど微塵も無いのだろうが。
 マンスが思わず胸を打たれたかのように、一歩後退しかけてしまう。

 けれども、アリアネはまるで我が子を叱る親のような厳しい顔付きのままだ。
『んだども言って、やってええ事といけねぇ事があるべ?』
 他者を洗脳してまで従わせようとしていた事と、人や魔物を強制的に動かしていた事を責められて、ヌアークは言葉に詰まる。奥底に残っていた僅かな罪悪感が、アリアネの言葉に押されて浮上すると同時、膨張し始めたのだ。
 仲間割れらしき様子を見せ始めた〔暴君〕側を、地上に居るメンバーは警戒しつつも遠巻きに見るだけだ。この隙に攻撃しようなどとは思わなかったからである。また、詠唱を紡いでいるターヤを疑問には思いつつも、どことなく普段とは異なる雰囲気に気圧される形となって、止めようとする者は居なかった。
 そして、その間にも彼女の詠唱は完成していた。
「――〈無〉!」
 少女が叫んだ瞬間、動かぬガラクタと化していたサンダーバードが消失した。まるで最初から存在しなかったかのように、塵の一つも残さずに。
「!」
 それにより意識を眼前へと引き戻されたヌアークは、その顔を驚愕に染める。そして次の瞬間には、玩具を壊された子どもように、今にも泣き出しそうな顔となっていた。
 対して、ターヤは怖いくらい冷静に彼女を見つめている。その目には光が宿っているようには見えず、その目に覚えのあるアクセルは即座に先代《世界樹の神子》が降りているのだと知った。
「なんて事をしてくれたのよ……」
「あなたはアリアネの言う通り、人としての道を踏み外すつもり?」
 宣告とは異なり、覇気の無い声で呟くヌアークをあくまでも正面から見つめながら、《世界樹の神子》は問いかける。
 その口調には、アリアネが驚いたように彼女を見た。
 ヌアークは悪事を指摘された幼子のように、どもりながらも弁解にも似た言葉を紡ぎ始める。
「そ、そんなの、あなたに言われるまでも無いわ。あたくしは、あいつらを殲滅する為にずっと戦ってきて、その為に〔君臨する女神〕を作って、従わせてしまった奴らを部下として使って、制御できなくてあの子達も従わせてしまったけれど、そのおかげで素直に言う事を聴いてくれるから危険な目になんて遭わせてないし、エフレムみたいに賛同してくれる人も現れたし……だから、だからあたくしは――」
「間違ってないって、言いたいの?」
 先を越され、ヌアークは思わず口を噤んでしまう。
 明らかに戦闘意欲が削がれ始めている彼女に呼応するかのように、グランガチもズラトロクもエフレムも構えを解いてそちらを窺っていた為、一行もまた警戒レベルを下げる。
「じゃあ、あなたが〔ウロボロス〕の人達を拷問したり殺したりしてきたのは、正義なの?」
 首を傾げる訳でもなく、ただまっすぐに《神子》は問を投げかける。
 仇敵の話題が出てきた事で、ヌアークは威勢を取り戻しかけた。
「そ、そうよ! だってあいつらは――」
「でもそれは、あなたの嫌いな〔ウロボロス〕と同じ事をしてるって事だよ。だって彼らを憎んでたのは、孤児達に生体実験をするのが許せなかったからなんだよね? だから、あなたは彼らに同じ事をし返してるだけなんだよ」
「っ……!」
 遮るかのように間髪入れずに返された発言に、ヌアークは言葉を詰まらせる。
 一行はそれよりも、だんだんと少女の声が、抑揚のある『ターヤ』のものへと戻ってきている事に驚いていた。まるで最初から同じ人格だったかのように、混ざり合っているようなイメージを抱かせられたのだ。
 一方のヌアークは、すっかりと普段の強さを失ってしまっていた。
「だって、だってあたくしは――」
「もうこんな事は止めよう? 確かにヌアークが〔ウロボロス〕を恨む気持ちは本物だったけど、でも本当は、少なからず罪悪感を覚えてたんだよね?」
 どことなく責めるような様子から一転、ターヤは諭すような声をかけていた。

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