The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十五章 女神の騎士‐idea‐(15)
「!」
流石に危機感を覚え、少しばかり傷を負わせてしまうのは避けられないのだと、オッフェンバックは知る。そして苦渋の決断でトランプを、今度こそオーラ目がけて飛ばした。
けれども、彼女はそれを踊るようにして瞬時に避けた。見覚えのあるその動きに目を見開いた彼の心臓部を、そのままの体勢から伸ばした手で拾い上げた短剣で、彼女は的確に狙う。先程レオンスが落として回収し忘れていたそれは、そこに深々と突き刺さった。
この瞬間、結局私は、とその唇が呟いていたのをアシュレイは見逃さなかった。
「――さよなら、ウェイド」
絞り出すように紡がれた声が、とどめの合図となった。
オーラが短剣を引き抜けば、そこから血がぼたぼたと幾つも地に落ち、オッフェンバックの身体はぐらりと前方向に傾く。そのままゆっくりと倒れていく彼の身体へと、オーラは思わず両腕を伸ばしていた。
「「!」」
ついつい驚いてしまった皆の視界で、彼を支えきれなかった彼女は、押し潰されるかのようにして地面に座り込む。それから緩慢な動作で自らに寄りかかっているかのような姿勢の彼を下ろし、膝枕をするかのように寝かせた。そうしてその頭を支えるかのように左手を添え、右手ではその頬に触れる。手を下した張本人でありながらも、そこには確かに悲しみと慈しみがあった。
オッフェンバックの心臓部には大量出血する程に深い傷ができており、その全身には先刻の《雷精霊》の攻撃によるダメージも蓄積されている為、彼が致命傷を受けている事は誰の目にも明らかだった。
二人が旧知の仲だと薄々勘付いている一行は、口を挟みたくともその気分にはなれない。彼らにはこちらに背を向けた少女と、その身体からはみ出している分の青年の身体しか見えなかった。
ようやく治ってきた体調に全くもって気付けないくらい、オーラは大きな喪失感に襲われていた。思わず彼の名を口の端から零す。
「ウェイド……」
「リべ、ラ……」
哀しげに伏せられた顔を、オッフェンバックがゆっくりと見上げた。
「そんな顔を、しないでください……最後に貴女と逢えて、貴女に終わらせていただけて……自分は、幸せです」
安心させようとするかのように、彼はぎこちなく微笑む。
それでも、最後の攻撃の際《リベラ=フルージオ》としての動きを反射的にとってしまっていたオーラには――それを過去の遺物として仕舞い込んでしまいたかった彼女には、その言葉は深々と突き立てられた杭でしかなかった。
そこには気付かず、オッフェンバックは本題に入る。
「〔ウロボロス〕を、動かしていたのは……《団長》、です。〔騎士団〕から、目を逸らさせる必要が、あったと……」
「結局、どこまでもあいつの掌の上って事ね」
これを耳で拾い上げたアシュレイは悔しげに呟くも、すぐに口を閉ざしてしまった。視線の先では、オッフェンバックが急き込んでいるらしかった。
反射的に彼を回復しそうになって、けれどオーラはそこで思い止まった。もう戻れないところまで来てしまった彼を自らの手で終わらせると決めたからには、最後まで貫き通さねばならなかったのだから。
咳と共に血を吐き出していたオッフェンバックは、それが落ち着くと再び口を開く。
「……約束は、守りましたよ。ですから、自分を褒めてください。貴女の仮面に、縋る事しかできなかった……自分を、あの時のように……」
縋るかのようにゆっくりと手を伸ばす彼を、オーラは哀しそうに見つめていたが、やがて頬に当てていた右手をそっと動かし、彼が顔の右半分に着けていた仮面を取り外す。それから伸ばされてきていた手を取ると、次の瞬間には、できる限りの強さで彼を抱き締めていた。
「「!」」
仲間の驚き声にはあえて振り向かず、彼女は彼を力の限りに抱き締める。これで最後だから、と内心で自らに言い訳をして。
それにより、自然とオッフェンバックの頬が緩んでいく。
「ありがとう、ございます……リベラ。あの時、あの日……貴女が、自分を助けてくださった御陰で、自分は、生きる道を見付けられたんです……。だから、最期に、これだけは……言わせてください。……感謝しています、俺の……俺だけの、女神――」
最期の力を振り絞って浮かべられた笑みに、彼女もまた笑い返す。
その瞬間、笑みを浮かべたまま彼はこと切れた。悔いなど無いと言わんばかりに安らかな死に顔だった。
それを見送りながら、優しげな声でオーラは呟く。
「……せめて、眠りの中では良い夢を、ウェイド――」
今にも泣き出しそうなくらい、震えてもいる声で。
その日の深夜、一行はムッライマー沼とエスペランサの中間付近のフィールドにて、野宿をしていた。流石にムッライマー沼の周辺は無理だったが、なるべく近くが良いとオーラに頼み込まれたからだ。
壊滅した〔ウロボロス〕のアジトには現在、彼女による〈結界〉が張られていた。残党や末端の捕縛、盗品の流通経路の追尾の為にも内部を捜査しなければならないが、〔軍〕の機能していない現状では、それも難しいからである。故に、一旦現状を保管しておくという判断を取る事にしたのだ。
夕食も片付けも終えた一行は、その場で一息つく。最近は一日一日が実に濃い為か、疲労が完全には回復せずに次へ次へと持ち越されながら、徐々に積み重なっているようなのだ。故に、食後の運動だなどと言って、アクセルが離れた場所で大剣を振り回す様子も見られない。また、誰も最低限の口以外を開こうとはしなかった。
オーラは少し離れた場所に一人で立ち、ムッライマー沼の方を見ていた。ちょうど一行には背を向ける形となっているので表情は窺えなかったが、その背中は小さく見えた。
弟のように思っていたのだ、とグィード達とオッフェンバックをムッライマー沼に埋葬した後、オーラは独り言のように零した。それくらい彼女にとって彼は別の意味で『特別』な存在で、しかし、とどめを刺す事を決断したのは彼女だった為、その心中を推し量って誰も声をかけようとは思わなかった。例え相手が非人道的な人物であろうと、今は彼女の気持ちを尊重しようと思ったからである。
しばらく彼女はそのままだったが、やがてゆっくりと腕を持ち上げた。続いて足が動き、最後には全身を動かし始める。最後には、歌らしき声も紡がれるようになっていた。
それは、舞だった。ゆるりとした速度ながらも優雅で美しい、けれど時おりどこか寂しげで悲しげな顔が覗く、舞だ。小さな声の鎮魂歌で彩られた、弔いの舞である。
「……綺麗だな」
ぽつりとレオンスが零した言葉は、その場の感想そのものでもあった。
そうしてまた誰も何も言わなくなるが、やがて今度はマンスが口火を切る。
「あのおにーちゃんは、オーラのおねーちゃんしか見えてなかったんだね」
独り言のような呟きだったが、答えを欲している事を知って、レオンスもまた口を開く。
「そうだな。二人の間に何があったのかまでは知らないけど、オッフェンバックにとってオーラは――いや、『リベラ=フルージオ』という存在は、自分の世界そのものだったんだろうな」
どことなく茶化すように、若干の私情も挟んでレオンスはマンスへと答えてやる。
彼に呼応するかのように、他の面々も声を出し始めた。
「彼女に対してだけは素直だったしね」
「まぁ、言動はいろいろと痛かったけどな」
スラヴィが思い出したようにそう言えば、アクセルがまるで自分の黒歴史かの如く、あからさまに目を脇へと逸らす。
「う、うん、そうだね」
苦笑いと共に彼に同意してから、ターヤは表情を直しながらオーラへと視線を戻した。
「でも、オッフェンバックにとってオーラが世界の総てだったみたいに、オーラにとっても、オッフェンバックはかけがえのない大切な人だったんだよ。本人がそう言った訳じゃないけど、きっとそうなんだと思う」
「あんたって、本当に――」
そんな彼女へと何事かを言いかけるも、すぐにアシュレイは口を噤んだ。
「何でもないわ、忘れて」
言いにくそうに、気まずそうに逸らされた視線から、ターヤは彼女が口にしかけた内容を何となく察せた気がした。
(でも確かに、わたしは自分の気持ちには気付くのが遅すぎたからなぁ)
他者の事になると何となく察せてしまう心も、自分の事に関しては、最後の最後まで全くと言って良い程気付けなかったのだ。アシュレイに呆れられてしまっても無理は無い。とは言え、彼女が言いかけたのは、全く別の話という可能性もあるのだが。
事情を知らないアクセル達は、何が何だかという様子で訝しげな顔をしていたが、彼らの疑問に答える者は居なかった。
そして、三度の沈黙が訪れる。
踊り続けるオーラを眺めながら、無意識のうちにターヤは胸の前でそっと両手を組み合わせていた。そのままゆっくりと瞼を下ろし、彼らの冥福を祈る。
皆もまた彼女に倣い、両手を組んだり目を瞑ったりした。まるでオーラに感化されたかのように。
それからしばらくの間、舞姫は月夜の下で舞い続けていた。
2014.04.23
2018.03.18加筆修正