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三十五章 女神の騎士‐idea‐(14)

 しかし、それを制止する鶴の一声があった。
「ウェイド」
 決して大きくはなかったが、不思議と響く声だった。皆がそちらを見れば、オーラが決意を宿した瞳でオッフェンバックを射ぬかんが如く真っすぐに見つめながら、〈結界〉を出てレオンスの傍まで来ていた。
 対して、彼は火傷の痛みなどどこへやらとばかりに、恍惚とした表情に一転していた。まるで最初から、それしか待ってはいなかったかのように。
「レオンスさん、ここからは私が引き継がせていただきます」
「だが――」
「それが、私の義務ですから」
 有無を言わさぬ声で押しきられ、レオンスは反論の言葉を無くす。彼はそのままオーラの意図を組んだ《雷精霊》によって、引っ張られるようにして〈結界〉内部まで下がらせられた。
 ターヤはすかさず治癒魔術の詠唱に入っている。
 そちらは確認せず、オーラはオッフェンバックへと真っすぐに向き直る。もう逃げ出さないとでも言うかのように。
「貴方が私に『リベラ』を求めている事は、何となくは解りました。ですが、私はもう『リベラ』になどなる気は全くもってありません。ですから、今ここで私は貴方に決闘を申し込みます。貴方が勝って私がまだ存命だったのならば、私は貴方の御好きなようにいたしましょう」
 まるで自身を安売りするかのような言葉にレオンス達は制止の声を上げそうになるも、それよりも早く彼女は続きを紡いでいた。
「ですが、私が勝った暁には〔騎士団〕と〔ウロボロス〕の関係についても、貴方の口から直接話していただきます――そして、私に永遠に降っていただきます。これは、貴方と私との約束です」
 苦々しげで今にも泣き出しそうで、けれど揺るがない決心を秘めた顔と声だった。降る、という言葉が相手への殺害宣告を意味しているのだと、誰もがすぐに解ってしまうくらいには。
「ええ、承知しましたとも。貴女がそう仰るのならば、自分に異論はありませんよ、リベラ」
 オーラに対してだけは歪んだ従順さを見せるオッフェンバックは、彼女の目論見通り、この賭けに乗ってくる。そうして再び半分のトランプを自身の周囲で盾として展開し、残りを武器として相手へと差し向けた。
 魔導書を手に〈結界〉から飛び出したオーラは、それらを難無くかわしながら魔術を使う。
「〈流星群〉」
 瞬間、オッフェンバック目がけて、上空から無数の流れ星が降り注いだ。
 流石にこれは完全には受け止めきれないと判断したのか、彼は回避行動を取りながら、避けきれなかった物だけトランプで防御する。
「〈重力〉」
 その間にも、オーラは次の魔術を発動させていた。
 ようやく全ての流れ星を防いだところで、今度は上から見えない力によって地面に押し付けられ、オッフェンバックは強制的に屈ませられる。膝を付く事はしなかったが、地に押し付けられたトランプ諸共行動不能には陥らされた。
 片やターヤ達は、無詠唱で上級攻撃魔術を連発できると、これ程までに一方的で圧倒的なのかと実感する。頬を冷や汗が流れ落ちたような気すらした。
 片や当事者であるオーラは、取り繕った無表情で重力に抗っているオッフェンバックを見つめていた。ちりちりと身を焦がすかのように罪悪感と後悔に襲われてはいたが、今だけはそれを無視させてもらう。これくらいで終わってくれる相手ではないと、理解していたからだ。
「〈冥府の魔手〉」
 故に、彼女は次なる上級攻撃魔術を使用する。
 押し潰さんばかりの重力が消えたかと思えば、今度はオッフェンバックを中心として闇が広がり、そこから大量の腕が飛び出した。それは彼の全身を掴み、足元の闇へと引きずり込もうとする。
 流石にこのままでは分が悪いままだと思ったらしく、オッフェンバックは力を集中させた片腕だけは拘束から振りきり、すばやく懐に突っ込んだその腕で取り出した物へと〈マナ〉を注ぎ込んだ。

「っ……!」
 瞬間、オーラが時を止められたかのように停止する。そのまま彼女は全身から力が抜けたかのようにその場に座り込んでしまい、オッフェンバックを引きずり込もうとしていた闇は全て消失してしまう。
 これには他の面々が驚きを露わにした。
 そしてそうなれば、ようやく解放されたオッフェンバックはゆっくりと立ち上がり、再びトランプを操りながら彼女へと近付いていった。
「申し訳ありません、自分の女神」
 そう言いながらも彼が手にしているのは、煌々と神聖な光を放つ掌サイズの鉱物――〈星水晶〉の欠片と思しき物体を嵌め込んだ、一つの魔道具だった。加えて、その表面には文字らしきものが刻み込まれているようでもある。
 それが〈星水晶〉を利用した結界術式であると、オーラは即座に気付いていた。
「大変心苦しくは思っていますが、貴女を止めるには、こうする他には無かったのですから」
 本心から言葉通りに思っているらしく、申し訳無さそうな顔となってオッフェンバックはそう言いながら、魔道具を仕舞い込む。
 それにより身体の奥底に訴えかけてくるかのような負荷が消えた事をオーラは知るが、例え少しの時間であろうと〈星水晶〉の結界術式に囚われたという事実は、彼女に体調不良を引き起こさせていた。魔法陣も光すらも浮かび上がらない不可視の術式らしく、相変わらず自らの体調が悪化している点以外には、普段と何ら変わりなく思える。
 彼は彼女の前まで来ると、簡単に地面へと膝を付いて手を差し伸べた。
「それにしても、なぜ今の貴女はリベラではないと仰るのですか? 自分を今のようにしてくださったのは、他でもない貴女だというのに」
 嫌味でも皮肉でもなく、ただ純粋に感謝しているからこその疑問だという声だった。
 しかしそれが益々、身体の不調と戦うオーラの表情を歪ませる。
「それは、クレッソンさんから頂いたのですか?」
「ええ、そうですが」
「そう、ですか」
 戸惑ったような様子になりつつもオッフェンバックが肯定すれば、オーラはゆっくりと立ち上がる。まるで彼から差し伸べられた手など見えていないかのように。
 これには彼の方が悲しそうに表情を動かした。
「そのような状態になっても、あくまでも自分の手は取れないと仰るのですか? ……だが、自分のこの奇術は、《奇術師》という《職業》故に途切れる事は無い。幾ら貴女とは言えども、今の状態では、分が悪いのではないかとは思われますが?」
 普段とは異なり、心配したような色を覗かせながらオッフェンバックは忠告するが、オーラは無言を貫き通す。とは言え、その身体は時おり揺れている為、諸にオッフェンバックの持つ魔道具の影響を受けている事は誰の目にも明らかだった。
「っ――」
「レオンスさん!」
 遂に業を煮やしたレオンスは動こうとするが、オーラに鋭く名を呼ばれて《雷精霊》に押し止められた為、再び止まらざるをえなくなった。悔しげにその眉根が寄せられる。
 皆もまた加勢や手助けをしたかったが、彼女の意思を組んでしなかった。
 オーラは不安定な身体のまま、オッフェンバックへと向かっていく。けれども、そこには普段の後衛らしからぬ機敏さも速さも、いっさい見受けられなかった。魔術を使うでもなく、魔導書による打撃に切り替えているところからも不調が窺える。
 これには相手の方が戸惑っているらしく、向けられる攻撃をトランプで受け止めるだけで、反撃に転じようともしない。尤も、彼が彼女を攻撃する事自体が、元より不可能だったのかもしれないが。
 だが、このままでは埒が明かないと踏んだのか、オッフェンバックは遂に攻勢へと転じた。しかし、相手が相手だけに結局は手を抜いてしまい、命中率の高いトランプの軌道はオーラから僅かに外れる。
 この隙に、彼女はトランプの防御陣形を越えて、相手の懐へと潜り込んでいた。

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