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三十五章 女神の騎士‐idea‐(1)

「それにしても、ウィラードったらまだ帰ってこないのね」
 酒場のカウンター席に腰かけてジュースをちびちびと飲んでいたファニーは、ふと思い出したかのように唯一の出入口を一瞥した。
 すると男達も、そこで初めて気付いたかのように意識をその話題へと向ける。
「そう言やウィルの奴、昨日メイちゃんのとこに行ったきり戻ってきてねぇよな」
「メイちゃんが心配すぎて〔ユビキタス〕にでも泊まってんのか?」
「そうかもしんねぇな。どうにも、今回のメイちゃんは引きずってるみてぇだしなぁ」
「メイちゃん、大丈夫なのかねぇ……」
「いや、彼女は強いから、そんなに心配しなくても大丈夫だって。寧ろウィラードの方が、何やかんやでネガティブになって慰められてねぇか心配だな」
 誰かがふざけてそう言った途端、どっと男達の間で笑いが起こった。
「確かに! 簡単に想像できちまうな!」
「メイちゃんもウィルのことは憎からず思ってるみてぇだし、案外、あいつの顔を見て復活できたりしてっかもしんねぇぜ?」
「そうだと良いよなぁ。ウィラードの恋が適うと良いよなぁ」
 男達に託される形となった会話は、急流の如くすぐに話題が移り変わり、若い二人の恋路を応援する周囲というような微笑ましい空気になっていた。
 その様子も呆れたように、けれど同意するかのようにファニーは眺めていた。
 そこでふと、誰かが思い出したように口を開く。
「つーか、あの手紙はもうお頭に届いてんのかねぇ?」
「ああ、〔ウロボロス〕の件のやつか。……しっかし変わった奴だったよなぁ、あの男」
「ほんと、〔ウロボロス〕の奴なのかよって思うくらい、真っすぐで良い奴だったよな」
「お頭の事も知ってるみてぇだったしな」
「ってか、俺らも加勢にし行かなくても良いのかねぇ?」
「でもレオンのことだから、協力は頼まないで任せとけくらいしか言わなさそうよね」
 ファニーがどことなくからかうように言えば、再び室内が笑い声に包まれる。
「そらそうだ! お頭ならそうしそうだよな!」
「だな! 何せお頭も《情報屋》の嬢ちゃんも《暴走豹》の嬢ちゃんも居るんだし、負ける筈がねぇよな!」
 すっかりと場の雰囲気が、レオンス達が戻ってきたら祝宴を催そうというものに変わった時、酒場の中に一羽の鳥が飛び込んできた。それに気付いたファニーの許まで来て止まった鳥の片足には、小さく細長く折り畳まれた紙が結び付けてある。
「あら、噂をしてたら返事が来たみたいね」
「多分、これから〔ウロボロス〕のアジトに向かうって報告なんだろうな」
「どうせなら、倒してから、くれれば良いのによぉ」
 この言葉により、三度笑い声が上がる。
 ほぼ楽観的な空気となっていたファニー達〔盗賊達の屋形船〕は、その手紙がウィラードとメイジェルの死を告げるものであるなどとは、微塵も思いはしなかった。


 メイジェルとウィラードの埋葬は、世界樹の街にて行われた。
 あの辺りだとモンスターに掘り起こされるかもしれない上、クンストまでは少し遠いからとターヤが頼み込んだのだ。形だけとは言え、闇魔をこの場に葬るなどとリチャードは難色を示していたが、《世界樹》とヴァンサンは特に気にした様子も無かった。寧ろ、前者はすぐに許可を出してくれ、後者は手伝ってすらくれた程だ。
 そうして丘の上――大樹からは離れているものの、比較的近くにできた二つの墓標の前で手を合わせ、大樹と少年に礼を述べてから、一行はその場を後にした。
 セレスと別れたのは、元の場所に戻ってきてからだ。埋葬を行っている内に大分心の整理が付けられたのか、彼女はほぼ普段通りの様子に戻っていた。
 それでも、ターヤは彼女の顔をまともに見られそうにはなかったが。

 去り際に、セレスは礼だと称して情報を残していった。
「良い? これから《団長》は北大陸に行って、そこの中心で計画を最終段階に移行させるらしいわ。でも、何をどうするとか、あたしも全てを教えられている訳じゃないの。だから、特にターヤさんとオーラさんは充分に気を付けてよ? どうにも《団長》は、二人を計画の要として見ているみたいだから」
「はい、承知しております」
 オーラが応えたのに続き、ターヤもまた無言で首肯してみせる。まだ、上手く声を出せそうにはなかった。
 セレスが上司に対してあまり良い感情を抱いていないのだと、何となくではあるが察していた面々は、彼女の言を疑おうとはしなかった。
 無論、あのアシュレイでさえも口を挟む事は無かった。
「君こそ充分に気を付けてくれよ、セレス」
「ありがたく受け取っておくわ」
 レオンスの忠告にそう応えてからセレスが去ったのを見送った後、彼は全員を見回す。
「彼女のことも心配だけど、まずは当初の目的を果たさないとな」
 そして視線はマンスへと向けられる。
 少年は、何かをひたすらに我慢しているような顔をしていた。彼なりに逸る気持ちを落ち着けて、冷静で居ようと努めているのだ。
 まずは〔ウロボロス連合〕を潰すのが優先だとレオンスは言いたいのだ、と皆は理解する。
 ターヤもまた、いつまでも沈んでいてはいけないと思い、心中に渦巻くものを入れ替えるべく、自身の両頬を思いきり叩いた。じんじんと響く両側からの痛みと、両目を瞑っていたので実際のところは判らないが皆の視線を感じながら、ゆっくりと目を開ける。
「うん、行こう」
 やはり皆はこちらを見ていたが、大丈夫だと示すべく、ターヤははっきりと声を発しながら全員を見回した。
「あんた、もう大丈夫な訳?」
 それに対して、アシュレイの問いかけは実に直球だった。
「うん、わたしはもう大丈夫だよ」
 わたしは、というところをついつい強調してしまったが、言い直したり訂正したりする事はしなかった。
 アシュレイは、そう、と返しただけだった。だが、突如として瞬時に後方を振り向く。
 何事かと皆も見た先からは、まだ豆粒くらいにしか見えない二つの人影が、こちらに向かって歩いてきていた。片方は四足歩行の動物らしき影に腰かけており、その他にも一つ追従している影があった。
「何だか近くで凄い音がしたと思ったら、あなた達だったのね」
 互いに顔が視認できる距離まで来るや、その片方――〔君臨する女神〕の《女王陛下》ヌアーク・カソヴィッツは、先手を取ろうとするかのように声をかけてきた。今日もまた彼女の足になっているのは、白シャモアの魔物ズラトロクだ。
 無論、もう片方は言わずもがなエフレムである。
 予想外且つ現状においては少々面倒な第三者の登場に、一行は自然と警戒を滲ませていた。
 そんな彼らを見渡してから、ヌアークは僅かに目を細めた。
「ところで、あなた達も〔ウロボロス〕のアジトに向かうつもりなのかしら?」
 探りを入れるような鋭さだったが、それよりも一行は、彼女が口にした言葉の方に意識の大半を奪われる事となる。とは言え、それを大半は顔に出さないよう制御したのだが、流石にターヤとマンスには無理だった。
 二人の表情から肯定の意を汲み上げたヌアークは、やっぱりねと言いたげに笑む。
「え、何で知って――」
 知られてしまったからは開き直る事にしたターヤだったが、その答えとなりえたのは別の人物の言葉だった。
「やっぱり、あいつらのやりとりを聴いていたんだな」
 困ったような、けれど予想通りと言わんばかりの顔で、レオンスがヌアークへと確認をとっていたのだ。

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