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三十四章 毒龍と大鷲‐antagonism‐(8)

「オーラが……」
 それにより、ターヤはオーラにもウィラードの声が聞こえているのだと知り、自身に彼の声が聞こえている理由も理解する。同時に、以前は聞こえなかったのがその恩恵を受けておらず、自分もまた未熟であったからだろうという事をも。
 ちなみに、ターヤとオーラの間では会話はできないようだった。
『それから、調停者に聞こえないのは、今の《世界樹》にはその余裕が無いから、とも言っていますね』
 続いて思い浮かんだ疑問は、即座にオーラによって間接的に解決されていた。《世界樹》に余裕が無いとはつまり、かの大樹の不調の事を指しているのだろう、とターヤは察する。
 しかし、すぐに今度は疑問が生じてきた。ついつい声に出してしまいそうになるのを何とか抑えてから、内心でウィラードへと問いかける。
(どうして、ウィラードは今、わたしとオーラと話せてるの? だって、ウィラードは今……)
『それは……』
 窺うように黒龍へと視線を戻したターヤに答えようとして、けれどウィラードは言葉に詰まった。
 続けて他の疑問もぶつけようとするも、我に返ったターヤは口を噤む。そうして相手からの返答を待った。
『俺は、いえ、ウィラードとなったニーズヘッグは、もう自分が何者なのかも判らなくなっていたんです。だけど『ウィラード』の身体自体に限界が来て、ニーズヘッグとしての本能が、闇魔の本能が呼び起こされて、俺は元の姿に戻りました。だけど、ウィラードとして培ってきた俺の心はそれについていけなくて、こうして身体と乖離している状態なんです。……でも、俺はニーズヘッグそのものだから、もう、元には戻れないんだと思います』
 やがて返された答えは、悲しみや悔しさなどが入り混じった声で紡がれた。
 最後の下りはターヤの思っていた通りだったが、それでもショックを受けずにはいらえなかった。二度と、彼と彼女は触れ合う事も話す事もできない、そう言われているのと同じ事だったのだから。
(じゃあ、メイジェルとはもう話せないの? ……もう、メイジェルとは一緒に居てあげられないの……?)
 そうなれば飲み込みかけていた言葉が口を突いて出てしまい、その内容にウィラードが息を飲んで唇を噛んだような音が聞こえた。
『っ……無理、だと思います。それに、今のメイジェルさんは、《ニーズヘッグ》にとっての大敵になってしまっていますから……』
 消え入るような声だった。苦しげで、悲痛そうな声だった。
 訊いてはいけないような気がして、それでも解らないままではどうしようもないと思ったターヤは、踏み込んでみる事にする。無論、遠慮がちではあったが。
(それって、どういう事なの?)
 勿論すぐには答えを得られなかったので、ターヤ自身も本当に答えたくないのならば、それで良いと思ってすらいた。
 けれども、もう逃げる気は無いのだと言うかのようにウィラードは震える口を動かす。
『メイジェルさんは、俺の……《毒龍ニーズヘッグ》の昔からの天敵、《大鷲フレースヴェルグ》なんです……。だから、今の俺達は本能で互いを憎み、どちらか片方になるまで……殺し合わなければ、ならないんです。……これは、俺も、本能で解ります』
 そんな事をしたくはない、けれど逃れられないんだ、と嘆くかのような若干の諦めが入った悲痛な声だった。どうやらニーズヘッグという彼自身のものである筈の肉体は、最早ウィラードの管理下を離れてしまっているらしい。
「……!」
 先程の以上の衝撃に襲われて、今度こそターヤは言葉を無くした。反射的にメイジェルの方を見れば、彼女は未だ頭を抱えて僅かに縮こまっていた。もしや、彼女はその《大鷲フレースヴェルグ》としての意識に飲まれかけているのだろうか、と思ったところで、ようやく先程の彼女の違和感に合点がいった。
 最初から互いを天敵として憎み、殺し合う事が定められていた二人。互いの想いを打ち明ける事すら許されなかった、二人。

「……どうして」
 どうして届かないんだろう、とターヤは思わず声に出してしまう。それくらい、理不尽さを感じずにはいられなかったのだ。ウィラードはメイジェルのことを一途に想っていて、メイジェルもまたウィラードのことを想っていたというのに。
(どうして、想いは届かないの? どうして……二人は、最後まで一緒に居る事すら許されないの?)
 何とかしたいという思いがターヤの中で膨れ上がっていくが、この状況で二人の為にできる事など、彼女には何一つとしてなかった。寧ろ、メイジェルと傷付けてしまう事しかできそうになかった。その事が悔しくて、それでもやはり何もできない。
『それが、俺達の運命だったんです。……俺はもう、あまり長くはもちません。だから、俺が飲み込まれてしまった時は、貴方が俺を消してくれませんか?』
 達観したような声で『運命』だと言いきり、自らの死を望むウィラードに何事か言ってやりたくて、けれど何をどう言えば良いのか判らずにターヤは言い返す事ができなかった。
 その間にも、何とか自身を苛む痛みを無視できる範囲まで抑えたメイジェルは、再びニーズヘッグへと歩み寄っていく。
「ウィラード、くん……!」
 まるで夢遊病患者のように、彼女は黒龍へと片手を伸ばした。もう片方の手は腹部の傷を押さえている。
 彼女の行動に気付いたターヤ達そちらに意識を奪われ、レオンスは一瞬躊躇うも、すぐに止めるべく声を張り上げた。
「離れるんだ、メイジェル! 彼はもう、俺達の……君の知っている『ウィラード』なんかじゃない!」
 けれども、メイジェルがその言葉に耳を貸す筈も無かった。彼女は止まる事など無く、先程抱き締めていた爪にもう一度触れようとしている。
「そんな事、無い! ウィラードくんは――」
 一瞬の事だった。
 労わるように、慰めるように手を伸ばしていたメイジェルの腹を、再度凶刃が貫いていたのだ。そこを押さえていた腕の一部諸共。
「「!」」
 瞬間、その場に居た全員が驚愕に襲われ、ターヤとマンスどころか、アクセルやレオンス達の顔すらも蒼くなる。
(ウィラード!?)
 慌ててターヤは心中で再び呼びかけるが、けれど、もう応える声は無かった。
 まさか、という思いに襲われて弾かれたようにオーラを見れば、こちらに目を向けていた彼女に首を横に振られる。それが、答えだった。
「っ……!」
 もう戻れないのだ、と知ってしまった彼女の顔からは、更に血の気が失せた。思わず開いている方の手で口元を押さえてしまう。もうメイジェルの知るウィラードが戻ってくる事は二度と無いのだと、解ってしまったのだから。
「……大丈夫、だから……だから、ウィラードくん――」
 対して、メイジェルの方は現在持てる全ての力を右腕に回し、近くて遠い彼へと一生懸命に再び手を伸ばしていた。だらりと垂れさがる形となってしまった左腕も広がった腹部の穴も気にせず、まるで泣き喚く赤子を宥めようとするかのように。
 これ以上は駄目だと思い我に返ったアクセルは、慌てて声を張り上げる。
「止めろ! もうそいつはおまえのことも判らねぇ! ただの闇魔になっちまったんだ!」
「違う、違うよ……あれは、ウィラードくんなのに……!」
 けれどもメイジェルは止まらない。最早何を言っても無駄としか思えなかった。
「何で解らねぇんだよ! 一度闇魔に脳を蝕まれたり完全に同化しちまったりしたら、人間だって助からねぇ! 元が闇魔なら尚更だ!」
 激情に任せてアクセルは叫ぶ。

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