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三十四章 毒龍と大鷲‐antagonism‐(7)

 慌ててターヤは杖を手にして彼女に駆け寄ろうとするが、レオンスに止められる。
「少し待ってくれ。まずは彼女を落ち着けるか眠らせない事には、どうにもできないだろう?」
 どうして、と言う前に青年が先手を打っていた。
 尤もな発言だったので、ターヤは何も言い返せずに黙るしかない。
 ひとまず彼女を言いくるめてから、レオンスはメイジェルへと駆け寄っていく。
 同じく意図を見抜いていたオーラとアシュレイもまた前方へと向かい、アクセルも動きかけるも躊躇って足を止めてしまった。
 だが、誰一人として彼女の許に辿り着く事は無かった。
 なぜなら、再び黒龍の爪が彼女へと襲いかかっていたのだから。
「「!」」
 そして慌てて速度を上げた彼らを嘲笑うかのように、黒龍の爪は易々と女性へと到達していたのだから。そして地面まで突き刺したのか、大きな音と共に砂や石、砕いた地面の欠片などが周囲へと飛び散った。
 その凄まじい勢いに、近くに居た面子が反射的に顔や頭を腕で護る。
「メイジェル!」
 弾かれたように血相を変えてターヤは名を呼ぶ。
 同様に皆も唖然として前方を見ていたが、やがて砂埃が晴れた時、そこに立っていたのはメイジェルだった。特に先程以外の外傷も無いらしくターヤは胸を撫で下ろしかけて、そこで彼女の様子がどこかおかしい事に気付く。
「……メイジェル?」
 彼女の桃色の瞳は、猛禽類の如き鋭さを得ていた。


 メイジェル・ユナイタスは、眼前の光景を信じたくなどなかった。ウィラードが黒龍になってしまった事までは飲み込めたが、それ以外は信じたくなどなかった。ターヤ達がウィラードを殺す事も、彼に自分が傷付けられた事にも、もう一度その爪が迫っている事にも。
 殺される、と思った。本気だ、とも。けれども、メイジェルは呆然と襲いくる凶刃を見上げている事しかできない。ウィラードくんに殺されるなら、とも思ってしまった。
 その直後、奥底から囁きかけてくる声があった。相手は敵だ、殺せ、と。そしてそれに導かれたかのように、メイジェルの身体は動き出していた。今にも自身を貫こうとしていた爪へと手を伸ばし、真正面から受け止める。その勢いと重さに押されて周囲の地面が凹んで砕けた欠片が飛び散ったが、当の本人は全くダメージを受けていなかった。
「メイジェル!」
 誰かに名を呼ばれた気もしたが、外野など今はどうでも良かった。彼女の意識は、あくまでも眼前の黒龍にしか向けられていなかったのだから。
ようやく砂埃が引いて視界が開けたところで、再びメイジェルはニーズヘッグと向き合う。
「……メイジェル?」
 再度名を呼ばれた気がしたが、やはりそちらは気にならなかった。本能は、頭は、眼前の敵を殺せと叫んでいる。それに応じて本人の意思など関係無く身体は動き、黒龍へと襲いかかった。幼少期に仕込まれた動きで襲いくる爪は避け、自らの爪や蹴りは確実に当てる。ただの人の身でしかない自身の攻撃が闇魔に効いている理由など、今の彼女は気にもならなかった。無論、外野が驚愕している事にも気付かない。
 どうしてこんな事になっちゃったんだろう、とぼんやりと宙に浮かぶ想いをメイジェルは内心で見つめる。それでも、身体に刻み付けられた本能が戦闘を止めてはくれなかった。
「《大鷲フレーズヴェルグ》……」
 しかし、ぽつりと零された誰かの呟きを耳が拾い上げた瞬間、メイジェルは我に返っていた。まるで夢から覚めるように、急激に皆底から引き上げられたかのように。
「メイジェル!」
「――ウィラードくんっ……!」
 三度同じ声に名を呼ばれるが、そちらは耳にも入らず、渾身の力を振り絞ってメイジェルは眼前の爪を抱き締めていた。同時に戻ってきていた痛みと奥底から語りかけてくる声に思考を塗り潰されそうになりながらも、離さないとばかりに腕に力を込める。

「ごめんなさいっ、アタシ、キミをセレスの代わりにしてた! 二度と同じ間違いをしたくなくて、キミを彼女の身代わりにしてたの……!」
 だが、既に闇魔と化してしまった青年に彼女の声は届かない。
 それでも、メイジェルは腹部にできた大穴からの出血、並びにそこから自身を蝕んでいる毒に伴う激痛を無理矢理にでも抑え込みながら、想いの丈を吐露していた。
「でも、ウィラードくんが大切なのも本当なんだよ! ……誰かの代わりなんかじゃなくて、本当に好きだったんだよ……!」
 今にも泣き出しそうな声で紡がれた本音に、彼女を振り払おうとしていた黒龍の動きがぴたりと止まった。緩慢な動作でその巨体が動き、激痛にでも襲われているかのように蹲るような姿勢となる。メイジェルに抱き締められた爪は、そのままに。
「ウィラード、くん……?」
 希望を宿したかのような目となってメイジェルは彼を見上げ、
「っ……!?」
 しかし、奥底から自らに呼びかけてくる声が強さを増した為、思わず彼から離れて両手で頭を抱えた。ずきずきと痛みのように押し寄せてくるそれを先に振り払おうと必死になる。
 一方、一行は、目まぐるしく変化していく眼前の光景についていくので精一杯と言えば精一杯だった。なぜか突然人が変わったように黒龍を攻撃するメイジェル、それを見たオーラの苦々しい呟き、これまた唐突に元に戻って黒龍の爪に抱き付くメイジェル、その口から発された『セレス』という名前。
 そして、互いに痛みを堪えるかのような状態となってしまった二人。
「いったい、何が起きたんだ……?」
 アクセルに解らなければオーラぐらいにしか解らないのではないのだろうか、と彼の呟きを耳にしながら、ターヤもまた眼前の様子から目を離せずにいた。メイジェルからは既に先程のような違和感は覚えられなかったが、何かがおかしいのは事実だった。
 他の面々もまた事態を測り兼ねているのか、介入しようとはしていない。
『知って、いましたよ。貴女はいつも、俺ではなくてセレスさんを見ている事も、何もかも。……でも、最後に「好き」だと言ってもらえて、俺は、幸せでした。例え、この声が、貴女には届いていないのだとしても』
「!」
 とにかくメイジェルを先に治療するべきだろうか、と思った時だった。突如として脳内で響くように聞こえてきた青年の声に、思わずターヤは過剰に反応してしまう。慌てて周囲を見回すも、彼女以外には聞こえていないようだった。
(あれ、空耳? それにしては、やけにはっきりしていたような……?)
『俺の声、貴女には聞こえているんですか?』
 またしても先刻と同じ声で驚いたような言葉が脳内に反響し、今度こそ少女はその方向へと視線を走らせた――黒龍と化した青年へと。
(もしかして、ウィラード?)
 幸か不幸か、声にはならなかったが為に自身以外の誰にも聞かれる事の無かった声に、しかし脳内では答える者が居た。
『はい、俺はウィラードです』
 この突拍子も無い回答に少女は目を瞬かせ、終いにはあんぐりと大きく口を開けて固まってしまう。その間にも、なぜ自分には彼の声が聞こえているのだろうか、という疑問がぐるぐると脳内を回っていた。オーラに訊こうとも思ったが、彼女は離れた場所に居たので声はかけづらかった。
 明らかに動揺している少女に気付いているらしく、青年が困ったような声で答える。
『多分、それは、貴方が《神子》だからなんだと思います。もし話し合える闇魔が居るのなら、と《世界樹》が今代の《神子》には闇魔の声が聞こえるようにしたそうなんです。……そう、《神器》が教えてくれました』
 彼の言う名に反応して即座に前方に居る彼女へと視線を動かせば、まるで話を聞いていたかのように目だけで返された。

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