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三十四章 毒龍と大鷲‐antagonism‐(5)

 しかし、メイジェルの言う『ウィラード』なる人物は判ったものの、彼女がターヤに向けた言葉の意味までは誰も解らなった。それ程までに『ターヤが殺す』という言葉は皆の中で現実味を持たず、また、彼女とウィラードとの間に接点は見当たらなかったからだ。
「ウィラードくん、下がってて」
 メイジェルは具合の悪そうな彼を支えたまま庇うような姿勢になっており、その眼は疑惑の色を灯してターヤへと向けられている。完全な敵意ではないにしても、そうなりえる可能性のある濃さだった。
 それが胸を突き刺し、ターヤは思わずそこを押さえてしまう。
 そちらを一瞥してからアシュレイは口を開いた。
「だいたい、どこのどいつが、あんたにそんな事を吹き込んだ訳?」
 小馬鹿にしたような声だったからか、メイジェルの意識が彼女へと移る。彼女は受けて立つかのような顔付きとなって、けれど不安そうなものへと戻った。
「〔騎士団〕の《団長》が、言ったの。ターヤが、ウィラードくんを殺す、って」
「「!」」
 彼女から発された言葉を受けて、一行の顔色が一変する。同時に当事者以外が反射的に顔を見合わせていた。
 逆にアシュレイは、益々心底呆れたと言わんばかりの表情となる。
「あんた、ターヤの友人なんでしょ? ウィラード・チェンバレンとどんな関係なのかは知らないけど、あんたは友人よりも他人の言葉を信じる訳?」
「そ、それは……」
 尤もだとは自覚しているらしく、メイジェルは言葉を詰まらせて俯きがちになる。その視線がターヤへと動き、続いてウィラードへと移った。
 彼は困ったように彼女を見ており、諭そうとするかのような声をゆっくりと紡ぐ。
「メイジェルさん……あの人の、言う通りです。その、まずは、落ち着いてください」
「で、でも! キミに何かあったら、アタシは……!」
 けれどもメイジェルが冷静さを取り戻す気配は無く、彼女は未だに焦燥と不安と疑惑とがごちゃ混ぜになった様子だ。錯乱しかけているようでもあった。
 一方、アクセルはウィラードに対して違和感を覚えていた。
(あいつ……なーんか引っかかるんだよなぁ)
 以前、流通中心街カンビオの酒場で見かけた時には特に気にならなかったのだが、今は彼に対して猜疑心を抱かざるをえなかったのだ。そう、まるで宿敵が化けの皮を被っているかのような。
「……!」
 そこまで考えたところで、アクセルは一つの仮説に行き当たってしまった。同時に弾かれるようにしてウィラードを注視してしまう。まさか、という思いだった。
 そんな彼には気付かず、レオンスはこの好機に再び口を開いていた。
「ウィラード、いったい何があったんだ?」
「それが……昨日、メイジェルさんと二人で居た時に、いきなり〔騎士団〕の《団長》がやって来て……そう、言ったんです」
 体調の悪さとはあまり関係の無さそうな、随分と歯切れの悪い声だった。
 何かを隠しているのだとレオンスはすぐに勘付くも、ひとまずは触れないようにする。
「ターヤがおまえを殺す、そう言ったんだな?」
「はい……」
 ウィラード自身は、メイジェルと一行のように困惑しているという様子ではなかった。寧ろ自身に都合の悪い点をぼかしているかのような、ばつの悪そうな色を垣間見せてもいた。
 付き合いの長いレオンスはそこから、やはり彼は何か隠しているのだと確信に近い結論を導き出す。
 一方、それに目敏く気付いたのはアシュレイとアクセルもであった。前者は彼の様子がどこかおかしいと察する程度ではあったが、後者は益々自論に確信を得ていく。
「なるほど、とうとう周囲にまで手を回してきましたか」
 相手の意図が少なからず読めたのか、後方に居たオーラが苦々しげな顔で呟く。それからウィラードとメイジェルを見た。
「ウィラードさん、とりあえず貴方は、そのままメイジェルさんと一緒に居てさしあげてください」

 次に、視線はターヤへと移される。
「ターヤさん、貴女はこちらへ」
「!」
 この言葉で何かに気付いたらしく、ウィラードが目を見開いてオーラを見た。
 彼女は何も言うなとばかりに己の唇に人差し指を添えてみせ、すぐにターヤを手招く。
 訳が解らないターヤではあったが、オーラの言葉を疑う理由も無い為、素直に従って後方へと下がった。まるでウィラードから距離を取るかのように。
「……すみません、オーラさん」
「いえ、貴方の為にも彼女の為にも、こうした方が宜しいかと」
 申し訳なさそうな顔になったウィラードに、オーラは首を振ってみせる。気にするなと言うかのように。
 しかし、彼の顔付きがそちらに動く事は無かった。
「でも、俺は……それでも、もう、駄目なんです……」
 益々眉根を下げて今にも泣き出しそうにも見える顔へとウィラードが転じれば、即座にその言葉から事態を理解したオーラが驚愕の表情を浮かべる。それから彼女はすばやくメイジェルを向いた。
「メイジェルさん! 今すぐ彼から離れてください!」
「!」
 決死の表情にメイジェルは驚くも、すぐに駄々を捏ねる子どもの如くいやいやと激しく首を横に振る。
 一行もまた突然一転した彼女の言動に虚を突かれていた。
 周囲には構わず、オーラは必死にメイジェルへと訴えかける。
「そのまま隣に居られては、貴女だけではなく彼にも危険が及んでしまうからです!」
 あくまでも真摯なまでに呼びかけるオーラに、メイジェルは思わず警戒を解いて視線を向けてしまう。顔は困惑に染まり、足はその場から動かなかったが、警戒の色は薄れていた。
 もう一押しかとオーラは口を開きかける。
「っ!?」
 その直後、ターヤは唐突に強く激しい悪寒を覚えていた。反射的に自身を掻き抱きながら見た先に居たのは、ウィラードその人だった。どうして、などと思う暇も無かった。
 なぜなら視界の端では、アクセルもまた苦々しげな表情で彼を見ていたのだから。
 また同時にウィラード本人もそれまでとは一転し、急な頭痛に襲われたかのように頭を抱えた。
「っ……!」
 苦悶の呻き声を漏らした彼は、そのままメイジェルを突き飛ばすようにして離れ、ふらふらと軸の安定しない様子のまま距離を取るように後退していく。その顔からは大量の汗が噴き出していた。
 逆に彼女は、彼に拒絶されたように感じたのか呆然と見ているだけだ。
 一方、ターヤとアクセル、そしてオーラの様子を目にした一行は条件反射で構えていた。
「あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 かくして、その場に居る全員からの注視を受ける事となった青年だったが、とうとう彼は耐えかねたのか、絶叫にも似た悲痛そうな悲鳴を上げる。
 瞬間、その影からいっせいに大量の黒い靄が噴き出した。
「「!」」
「ウィラードくん!」
「ウィラード!」
 そこで我に返り慌てて彼に駆け寄ろうとしたメイジェルと、それよりも早く彼女を制したレオンスの声が重なる。
 無論、一行の驚愕も。
 そしてアクセルは、自身の予感が正しかった事を確信していた。
「くそっ、やっぱりかよ……!」
 悪態をついた彼に皆が一旦意識を奪われている間にも、青年の姿は噴出した靄に覆われていった。そうして彼を包んだ黒い靄は一つの形をなし、やがて靄のようなおぼろげな存在ではなく、一つの確固たる存在としてその姿を顕現させた。

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