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三十四章 毒龍と大鷲‐antagonism‐(4)

「――失礼します」
 ノックが数回行われたかと思えば、次の瞬間には扉が開かれていたのだ。
 返事を待てないその性急さに、ヌアークは不機嫌だと言わんばかりに眉を顰めてやった。しかしそれだけに留めたのは、相手が最も信頼のおける相手であるエフレムだと解っていたからである。
「なぁに、そんなに慌てて。何があったって言うのよ?」
 無論、応える声には棘を含ませてやったが。
 だがエフレムは叱責は甘んじて受けるつもりであったらしく、すばやくヌアークの下まで来ると膝を折った。そしてすぐに口を開く。
「無礼を承知で報告させていただきます。先日、〔ウロボロス連合〕の《精霊使い》の一人が〔盗賊達の屋形船〕を訪問したとの情報を入手しました」
 瞬間ヌアークの目が見開き、けれども即座に細められた。
「それは、確かなのかしら?」
「はい。以前より〔屋形船〕に潜入させている者の報告ですので、確かかと」
 すっかりと頭を本業の方に切り替えた主に倣い、エフレムもまたしっかりと頷いてみせる。
「それで、その《精霊使い》が〔屋形船〕を訪れた理由は解るのかしら?」
「それが、何でも〔ウロボロス〕のアジトの場所を教えに来たそうです」
「!」
 エフレムがそう言うと同時、直前の軽い揶揄を含んだ余裕のある様子からは一転、ヌアークは思わず椅子から立ち上がりかける程に驚きを露わにしていた。
「それは本当なのね!?」
「はい。それと〔屋形船〕を選んだ理由としては『改心させてくれた相手が〔屋形船〕のギルドリーダーと共に居たから』などと言っていたそうです」
 あくまでも落ち着いた態度でエフレムが対応すれば、ヌアークもまた衝動と激情を一旦胸の内に押し込む。そして何事も無かったかのように再び腰を下ろし、思案顔となった。
「改心させてくれた相手、ねぇ。あたくしには、あの四精霊と契約したという子どもくらいしか思い浮かばないのだけど」
「私もそう思います。〔屋形船〕のギルドリーダーと共に居た、というところからも、そう考えられるかと」
 ヌアークが意味あり気に視線を寄越せば、エフレムは同意する。
 その事に満足しながらヌアークは特に重要な点へと触れた。
「それで、そのアジトの場所もきちんと報告されたのかしら?」
「勿論です。……皆を動員されますか?」
「いいえ。幾ら龍が居ると言っても、子ども達の遊び相手に神父様の手伝いと、ここを手薄にする訳にはいかないもの。それに、あんな奴ら、あたくしとあなただけで充分だわ」
 自信満々にそう答えてから、ヌアークは弾かれるようにして巨大な椅子から立ち上がる。それと同時に手にしていた書類をそこに置き、跪くエフレムの横を通り抜けて速足で扉へと向かった。
「出るわよ、エフレム」
「畏まりました」
 女王の言葉に深々と頭を下げるや否や、執事もまた即座に立ち上がってその後に続く。
 そうして正面玄関から外へと出るべく廊下を歩く二人だったが、その途中でふと思い付いたかのようにヌアークはエフレムへと問いかけた。無論、理解しての事である。
「ところで、今日はユリアの姿を見かけないのだけれど?」
「セアド・スコットのところです」
 答えるエフレムは普段通りの表情を取り繕っていたが、その奥に潜む苛立ちをヌアークは見抜いていた。
「あら、エフレム、まるで愛娘を盗られた父親のような顔よ?」
 からかうように彼女はくすくすと笑い声を零す。最近のユリアナとセアドの行動から、二人が一緒に居るであろう事は容易に想像できたので、先程の入室の意趣返しに意地悪してやったのだ。
 するとエフレムは今度は仮面の裏に反撃の色を覗かせた。
「そう仰っているヌアーク様こそ、あまり面白くないという御顔をなされているように思われますが?」

「あら、やっぱりあなたには隠せないのね」
 これにヌアークは肩を竦める振りをしてみせる。一見すると普段通りに見える彼女も、エフレムが指摘した通り、内心ではそこまで快くも思ってはいなかったのだ。
「ユリアが嬉しそうだから何も言えないのだけれど、あたくしも、まるで愛娘を盗られた母親のような心境だわ。まだ二十歳にもなっていないと言うのにね」
 ふぅと息を吐き出した彼女の顔には、先程までとは異なり、ありありと心情が現れていた。
 これにはエフレムも思わず言葉を無くす。ついつい思い浮かんでしまった言葉は飲み干す事で抹消した。
 そんな彼に気付いているのかいないのか、ヌアークはすぐに表情を引き締める。そこに浮かんでいたのは、怒りと憎しみと嘲りと軽蔑とを含んだ〔君臨する女神〕が誇る《女王陛下》の笑みだった。
「それよりも、今は目先の事の方を優先するわよ」
「仰せのままに、我らが《女王陛下》」
 すばやく仕事モードに切り替えた女王とその執事は、仇敵の許へと向かう。


「答えて! ターヤが、ウィラードくんを殺すの? そんなの……そんなの、嘘だよね!?」
 突然の言葉に困惑して固まったターヤなど気にせず、メイジェルは焦った様子で詰め寄るようにして彼女へと問いかける。
 他の面々もまた呆気にとられる中、レオンスは聞こえてきた仲間の名に反応してもいた。
「ちょ、ちょっと待ってメイジェル! 何でいきなりそんな話に――」
 ようやく相手の言っている内容を飲み込めたターヤは、ひとまず落ち着かせようとする。
 だが、メイジェルは止まる気配が無かった。
「嘘だよね!? 嘘だって言ってよ!」
 相手に自らの声が届いていない事を察したターヤは、思わず皆へと縋るように視線を向けてしまう。何せ親しい相手に必死の形相で詰め寄られるのは初めての事だったので、どうすれば良いのか解らなくなってしまったのだ。
 同様に置いてけぼりにされていた皆だったが、現状では埒が明かなさそうなので、とりあえず介入する事にする。
「落ち着けよ、メイジェル。いったい何があったんだい?」
「ねえ、答えてよ!」
 宥めるべく優しく落ち着いた声色でレオンスは声をかけるが、やはりメイジェルには聞こえていないようだった。これは只事ではないと彼が踏んだ時、第六感がこちらに向かってくる一つの気配を捉える。それは、彼がよく知りえている人物のものだった。
「――メイジェルさん……!」
 同じく察していた面々が瞬時にそちらを向けば、一人の青年が駆け寄ってきていた。
 遅れて首を回したターヤ達も彼を目にする。
 そして、メイジェルはこの声には反応を示していた。
「ウィラードくん!」
 瞬間、彼女はターヤから離れて彼の許へと駆け寄っていた。呆気無いくらい簡単に。
 青年は体調でも悪いのか、途中で前方へと頽れかけ、けれど間一髪でメイジェルに抱き留められて支えられる。
 それまでは彼女の言う『ウィラード』が誰なのか全く解っていなかったターヤだったが、これによりその人物の顔を把握する。同時に、彼に見覚えがある気もしていた。倒すまではいかないものの、気持ち的には小首を傾げる形となる。
(あの人、確かレオンのギルドの人だったような……?)
「あいつ、確かあんたのところのメンバーよね?」
 同じくそこに気付いたアシュレイがレオンスに確認した事で、ターヤもまた確証を得た。
「ああ。あいつはウィラード・チェンバレンと言って、〔屋形船〕の一員だよ。メイジェルとは特に仲が良いんだ」
 一行が彼とはさして懇意にしていた訳ではなかった事を思い出したレオンスは、簡単に彼を紹介する。

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