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三十四章 毒龍と大鷲‐antagonism‐(12)

 メイジェルは最早、仇敵への敵意と殺意だけで動いていた。
 もう彼女はただ敵討ちの為に動くだけの亡者でしかないのだ、とそこでオーラは理解する。それならば、彼女にしてあげられる事は一つしかなかった。
「〈稲妻〉」
 故にオーラは魔術を使用した。躊躇いは押し隠しながらも、なるべく痛みを感じなさそうなものを選んで。
 直後、頭上から落ちた稲妻がメイジェルの全身を下まで駆け抜けた。悲鳴を上げる間すら与えられなかった。
「……ウィ、ラード、くん……!」
 掠れきった声で彼の名を必死に呼んで手を伸ばそうとしながら、メイジェルは風に煽られた立て看板の如く地へと倒れ伏す。そしてそのまま、二度と動く事は無かった。瀕死の状態であった彼女には、充分すぎたのだ。
 その光景に、ターヤは目を限界まで見開く。それでも、オーラを責める気には微塵もなれなかった。寧ろそうさせてしまった事が申し訳無さすぎて、同時にメイジェルへの罪悪感でもいっぱいになる。よろりと金縛りが解けたかのようにようやく動いた足がオーラの横を越え、ふらふらとメイジェルの許まで辿り着いた。
「ご、めん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
 結局どうしようもなくなった彼女がその場で泣き崩れる一方で、アシュレイはオーラに視線を向けていた。呆れと困惑とが混ざったような顔付きだった。
「あんた……」
「私は、元より人殺しですから。……それに、ターヤさんの手を、汚させたくはなかったんです」
 遮るように発されたオーラの声色は、実に淡々としたものに作り上げられていた。まるで捨て鉢になっているかのような言い方だったが、皆にはそれが彼女なりのターヤに対する配慮だと解っていた。故に、誰も何も言えない。
 アシュレイも、それ以上は口にしなかった。
 横たわった女性の遺体の横に座り込んだ少女は、俯いて地面に両の拳を押し付けたまま、泣きながら謝罪の言葉を吐き出し続けている。
 誰一人として、そんな少女に声をかける事のできる者は居なかった。


「……そっか、メイは、今度こそ眠れたのね」
「「!」」
 恐いくらい静寂な空間に、突如としてやけに落ち着いた声が割り込んできた。
 それにより皆が弾かれたようにそちらを向き、そして驚愕や警戒などといった色を顔に浮かべた。
「セレス……」
「何の用よ?」
 いつの間にかそこに立っていた人物の名をターヤは口にし、アシュレイは先日の恨みも若干込めて睨み付ける。
 一行の視線の集った先に立っていたのは、他ならぬセレスであった。
 何をしに来たのかと殆どの面子が警戒する中、彼女は普段の陽気さもどこへやら、悼むような表情で地に横たわるメイジェルを見つめていた。
「虫の知らせがあったらから、急いで来てみたのよ」
 アシュレイの問いに答えてから、セレスは郷愁するかのような顔となる。
「あたしとメイはね、親友だったのよ」
 そうして唐突に零された彼女の言葉に、皆は何事かと困惑の目を彼女に向ける。同時に、先程メイジェルが口にした『セレス』が、やはり彼女を指していた事をも知った。
「あたしの本名はセレステ・キラ・アトキンソンって言ってね、今は無き貴族の一人娘だったのよ」
 その名に聞き覚えのあるアシュレイはぴくりと眉を動かす。
「という事は、あんたは〈アトキンソン内乱〉の時の生き残りなのね。公には、アトキンソン家は、あの事件で全員が死亡した事になってるけど」

 アトキンソン内乱。それは十三年前に聖都シントイスモで発生した事件だ。貴族の中でも力を有していたアトキンソン家にて、当主の一人娘が当時その家で所有されていた奴隷を先導して反乱を起こすも、最終的には一家も使用人達も奴隷も全員が屋敷と共に焼け落ちた、という内容である。
 察しが付いたらしきアシュレイの言葉にセレスは頷く。
「そう、あたしは、その時の唯一の生き残り。そして、その〈アトキンソン内乱〉の時に、メイは死亡した筈なのよ。だって、あのクソ親父に、あたしの目の前で殺されたんだから」
「「!」」
 怒りを押し隠そうとするかのように何度か途切れるセレスの言葉に、特にターヤとレオンスは目を見開いた。いったい彼女は何を言っているのか、とすら思ってしまった程だ。
 だが、オーラは最初から知っていたようだった。
「仰る通り、その際にメイジェルさんは一度亡くなられております」
 彼女がそう言うものだから、そうだったのかとしか皆は思えなくなった。
 そしてセレスは、そこで初めてオーラという名の《情報屋》が居る事に気付いたらしく、どことなく縋るような視線を彼女へと向けた。
「ねえ、《情報屋》さん。どうして……どうして、メイは――」
「その疑問に御答えする為にも、まずは《毒龍ニーズヘッグ》と《大鷲フレーズヴェルグ》の因縁について御話しさせていただきます」
 その二つの名をターヤは既に耳にしていたが、他の面々は前者だけ、セレスは両方とも初めて聞いたという顔であった。
 故に、まずオーラはそこについて触れる事にした。
「まず《毒龍ニーズヘッグ》とは、上位闇魔の中でも特に力を持ち、龍の一人として数えられる事もある、特殊な闇魔を指します」
 セレスが居る為、話はそこから始まった。一行にとっては復習とも言える内容だ。
「かの黒龍は触れたもの全てを蝕む毒を有しており、その毒をもってして《世界樹》を根から腐らせようとしていました。その為に《世界樹》が選び出し特別な加護を与えたのが、《大鷲フレースヴェルグ》と呼ばれる聖獣です。彼らは顔を突き合わせる度に争いましたが、互いの力は拮抗しており、いつまでも決着が付く事はありませんでした。そして、それを見かねてその仲を決定的に悪化させ、互いを本能で憎むよう定めさせたのが、《世界樹》に住む魔物《ラタトスク》でした」
「ラタトスクって、あの栗鼠のことよね?」
 以前、世界樹の街にてかの栗鼠に傷口を突かれた事を思い出したのか、アシュレイが若干苦虫を噛み潰したかのような顔となる。
 彼女に対してオーラは首肯してみせた。
「とは言え、ラタトスクさんも、好きであのような性格となってしまわれた訳ではありません。不和を引き起こす――それが魔物《ラタトスク》の能力でもありました。それが決して直す事のできないものであるが故に彼は荒み、最終的には現在のような性格となってしまわれたそうです」
「そっか、大変だったんだね……」
 あの自ら喧嘩を売りに行っているかのような性格の意味するところを知ってしまったマンスは、ついつい同調して同情してしまっていた。
「けど、対象二人の間に不仲を引き起こすと解っていて、その能力を使った事があるのなら、同情の余地なんて無いと思うけど?」
 しかし、少年の言葉はスラヴィによってばっさりと斬り捨てられた。
 むぅと頬を膨らませたマンスから視線をオーラへと戻し、スラヴィは何事も無かったかのように、普段通りの調子で確認の為に問う。
「話を元に戻すけど、ラタトスクのせいで、ニーズヘッグとフレースヴェルグの仲は落ちるところまで落ちたって事なんだ?」
「端的に言い表すならば、そうなるかと」
 結論として、そういう事だった。後は、ここからどのようにしてウィラードとメイジェルの件に繋がるか、である。
「ですが、ある時、ニーズヘッグは唐突に姿を消しました。《世界樹》さんが世界樹の民に調べさせた結果、かの黒龍がすっかりと力を無くして人に成り果て、闇魔としての行動はいっさいとらず、まるで一人の人間のように、人間界で暮らしているという事が判りました。それが、ウィラードさんです」
 その名に、セレスは特に反応らしき反応は見せなかった。故に、彼女が彼の事を知っていたのかどうかは誰にも判らなかった。

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ライトニング

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