top of page

三十四章 毒龍と大鷲‐antagonism‐(11)

『! 危ない!』
 だが、マフデトの声が聞こえた次の瞬間、彼は腹部に強い衝撃を覚えていた。事態を理解するよりも視認するよりも早く、それに弾かれるようにして身体が背後へと吹き飛ぶ。
(翼かよ……!)
 なす術も無く放物線を描いて宙を飛んでいく青年の視界に映ったのは、それまでは相手がいっさい使っていなかった翼だった。羽ばたく為に使う事はできないだけで、動かす事は可能だったのだ。それを即座く間に滑り込ませて敵を振り払ったのだろう。やられた、と思った時には遅すぎた。
 そのまま地面へと落下していったアクセルをマフデトは事前に掴まえたが、それを狙っていたかのようにニーズヘッグは豹と青年へと自由な前脚を振り下ろす。
 間一髪マフデトは避けるも、空中で強引に姿勢を変えたのがあまり良くなかったらしく、地面に叩き付けられるような形となってしまう。それでもアクセルだけは何とか護り通した彼女は、その衝撃で人の姿に戻ってしまっていた。
 そんな彼らへと、再度ニーズヘッグの毒爪が迫った時だった。
「――『Tu conosci la luce paga il buio』!」
 少女の朗々たる声がそこで完結し、一拍分の間を置いたのは。
 すばやく皆が振り向いた先では、少女の目がしっかりと見開かれていた。その足元にあった筈の魔法陣は、今や黒龍の頭上に出現している。
 そこでようやく《世界樹の神子》の事を思い出したニーズヘッグだったが、もう遅い。
 対して、ターヤは今すぐ逃げ出したいという思いに駆られてもいた。準備は、整った――整ってしまったのだから。
「――〈無限光〉っ!」
 魔術を発動させた瞬間、やはり反射的に目を瞑りたくなって、けれど断固としてそうはしなかった。最後まで目に焼き付ける事こそが、他ならぬ自身の責任だと思ったからだ。
 そして、ニーズヘッグを中心とした周囲一帯は眩き光に包まれた。
 瞬間、黒龍が劈くような悲鳴を上げる。《世界樹》に連なるものの固有攻撃、並びに光属性の攻撃は闇魔にとっての『毒』であるが故、彼もまた例外ではなかったのだ。今まで以上に強い力で暴れ回る黒龍だったが、制限を解かれた《土精霊》がその脚の拘束を解く事は無かった。加えて、その身体が光に溶けるかのようにして徐々に乖離していく。
 浄化されているのだ、とターヤは理解した。胸の痛みを無視できず、けれども、そこを空いている方の手で押さえたり掴んだりする事もできなかった。否、してはいけない気がしていた。
 ふと、ニーズヘッグの視線がターヤを捉える。そこに敵意や害意などは微塵も感じられず、ありがとう、すみません、と聞こえたような気がした。
(っ……ごめんなさい……!)
 途端にターヤは罪悪感でいっぱいになる。それでも声にはできず、内心で謝る事しかできない。
 一方、メイジェルは眼前の事態についていけていなかった。
「ウィラード、くん……?」
 眼を見開いたまま、その顔は訳も解らぬ赤子のように不思議そうな色を浮かべる。信じられないものを見たかのような、現実から逃避しようとしている様子だった。
「ウィラードくんっ!」
 しかし次の瞬間には現状を把握し、一転して悲痛な絶叫を上げながら、突き飛ばすようにしてオーラから離れて立ち上がり、彼へと手を伸ばして駆け寄ろうとする。
 治療も一応は終わっていた為、彼女は最初から止めようなどとは思わなかった。
 その姿に、ターヤは胸を更に鋭利な刃物で抉り取られたかのような痛みを覚えた。それでも、もう後には退けなかったし、元より退くつもりも無かった。杖を持つ手に力を込めて、これから向けられるであろうより強い痛みに耐える為の準備をしようとする。
 一方メイジェルが必死に伸ばした腕は、けれど彼には触れられない。彼女が触れる前に、彼は光の中へと消えていた。錯覚だったのかもしれないが、最期に黒龍に相応しくない柔らかな笑みを残して。

 腕が空を切った反動でメイジェルは前のめりの姿勢となり、そのまま地面に倒れ込むように膝を付いた。何も掴めなかった腕を、それでもそこに彼の残滓があるかのように抱き締めるような形にする。
「あ、あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 悲痛な絶叫だけが、その場に木霊した。
 何かしら声をかけたくて仕方なかったターヤだが、彼女は自分にはもうその資格が無い事を知っていた。
 皆もまた、ただ遠巻きに彼女を見る事しかできない。
「……ターヤぁぁぁぁぁ!!」
 やがてメイジェルは、すばやく振り向いて彼の仇と見定めた相手を睨み付けたかと思えば、即座に立ち上がるや相手目がけて突進していた。ニーズヘッグと戦っていた時と同じく、運動能力が高い事が窺える動きであった。
 慌ててレオンスが間に割って入って止めようとしたが、メイジェルは障害物を退かすのように彼を蹴り飛ばす。女性を力づくで止める事を躊躇っていたからなのか、彼はあっさりとそれを腹部に食らって軌道上から追い出されてしまう。
 アシュレイもまた向かおうとしたが、先程叩き付けられた影響もあってか、メイジェルがターヤの許まで辿り着く方が早かった。その片腕が振り上げられ、真っすぐに伸ばされた五本指が一直線に彼女の心臓を狙う。
 彼女に殺されるべきなのかもしれない、そう咄嗟にターヤは思ってしまった。
 けれども、それよりも先に間にオーラが割って入っていた。どうやら空間転移系の魔術を使用したらしく、まさに唐突に現れたのである。その手に持つ魔導書でメイジェルの手刀を受け止めた彼女は、それを弾き返した。
「邪魔を、しないで!」
 敵討ちの邪魔をされたメイジェルは、標的をオーラへと変更する。怒りに任せた動きながらも、的確に急所を狙うところはやはり只者とは思えなかった。
 対して、オーラはあくまでも無表情で、それら全てをいなしていく。背後にターヤが居る為、その場から一歩も退かず、あわよくば相手をこの場から遠ざけようとする。
 しかし、メイジェルもまた一歩たりとも後退しようとはしなかった為、二人はその場で高速且つ苛烈な応酬を行う事となった。
 かくして力と力が拮抗したそれは、全く進展する様子を見せなかった。
(このままでは埒が明きません、か)
 どうやって彼女を止めたものか、とオーラが思案しようとした時だった。
 突如としてメイジェルが動きを止めたかと思えば、両の腕で自身を掻き抱いたのである。そのまま屈伸するかのように上半身を折り曲げた彼女の背中からは、突如として白い翼が飛び出していた。
「「!?」」
 目を疑うような事態に驚愕せざるをえなかった一行の眼前で、徐々にその翼の持ち主は姿を現していく。ただし内側から背を突き破って出てきた訳ではなく、空間系の魔術を使用したかのように出てきた事についてだけは、幸いと言うべきだろう。
 そうして現れたのは、一羽の白い大鷲だった。
 全体を目にした瞬間、ターヤはこの鷲こそが《大鷲フレースヴェルグ》なのだと理解していたが、オーラを除く面々は、一人の女性の中からニーズヘッグに匹敵するくらい巨大な鷲が出てきた事への驚きを隠せてはいなかった。
 一行全員が各々の表情で見上げる中、大鷲はもう用は済んだとばかりに、どこへともなく飛び立っていった。
 すぐに小さくなって見えなくなってしまったその姿を見つめてから、オーラはそっとメイジェルの方に視線を戻す。
「!」
 だが、予想に反して彼女はまだ立っていた。立ったまま事切れたのではなく、そのままの姿勢で、あくまでもターヤへと射殺さんばかりの視線を向けながら。
「ター、ヤっ……!」
 憎悪の籠った声でターヤもまたそちらに気付き、今にも泣きそうな顔になる。

ページ下部
bottom of page