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三十四章 毒龍と大鷲‐antagonism‐(1)

「――ただいま戻りました」
 リンクシャンヌ山脈から〔騎士団〕本部へと戻ってきたセレスは、けじめとしてまず門の所で立ち止まり、深々と一礼した。
「やあ、おかえり」
 しかし予想外の声をかけられて、思わず弾かれるように頭を上げてしまう。
 セレスを出迎えるかのように玄関先に立っていたのは、他ならぬフローランとエディットであった。
 その事に彼女は驚くも、すぐに表情を引っ込めて元の顔付きを貼り付け、彼らの顔がしっかりと見えるくらいの距離まで歩いていく。
「戻ってきたって事は、無事に《副団長》を始末できたみたいだね。こっちも、アンティガ派の奴らはあらかた片付けたところだよ」
 笑みを浮かべながら向けられた彼の言葉に、鋭く尖った何かを思いきり突き刺されたような感覚を覚えた。その正体を彼女は知っている。罪悪感だ。
 そんな彼女に気付いているのかいないのか、珍しくエディットが彼女へと声をかける。
「……待機」
「《団長》が執務室で待ってるってさ」
 セレス達には即座に飲み込めないエディットの言葉も、やはりフローランは普通の会話をしているかのように理解するどころか、相手に提示してすらみせる。
 いつもならばそれは羨ましいと感じるところであり、また、普段は避けられてばかりの彼女から事務的な内容とは言え話しかけられるのは嬉しい事だったが、現在のセレスにその余裕は無かった。
「了解しました」
 胸の痛みを押し隠す為に努めて事務的に装い、セレスは機械的に眼前の二人へと会釈する。それから逃げるようにその横を通り過ぎ、上階に位置する目的地へと向かった。
 彼女の背中を見送ってから、フローランは不思議そうな顔でエディットを見る。
「どうしたんだろうね? 何か変な物でも食べたのかな?」
「……不明」
 あくまでも通常運転な青年に、少女もまた普段通りに返すだけだった。


 少し時間は遡って、〔軍〕本部から脱出した一行は死灰の森にて合流し、勿論スラヴィが構築した〈結界〉内部に避難していた。
「だから、何でここを選ぶのよ」
 ニールソンとの一件のせいか普段のように激怒する気力も無いらしく、文句を零しつつも、その声には勢いの無いアシュレイである。肩を落とし気味にして溜息を零す様子は、何だかくたびれたおっさんのようでもあった。
「ここが首都周辺だと、逃げ込むのには一番適してるからだよ」
 スラヴィがいけしゃあしゃと答えても、やはり怒声は飛んでこなかった。
 そこから彼女が重症らしいとは皆が察していた。《元帥》とは対面しなかった四人も、彼と何かがあったのだろうという予想が付いていたくらいだ。
 けれども、決してそれだけではないのだろうとターヤは思う。脱出時に目にした頭を抱える彼女は、今も脳裏に焼き付いていたからだ。
「それで首尾は……と訊きたいところだけど、その様子だと、あまり芳しくはなかったみたいだな」
 話を先に進めるべく、あえてレオンスは踏み込んでいく。
 アシュレイも触れられる事はさほど気にならないらしく、真剣な顔付きに戻って首肯した。
「ええ、後少しのところで時間切れになったのよ。けど、やっぱり《元帥》は闇魔に憑かれてたわ。しかも《冥府の女神》ヘカテーの眷属、《地獄の番犬》ケルベロスにね」
「「!」」
 闇魔が憑いていたという予測しえていた事実よりも、その正体に対して皆は驚きを露わにする。

 そしてオーラは、思っていた通りだと言わんばかりの顔をしていた。
「やはり、そうでしたか」
 最初から知っていたかのような彼女の反応には触れず、アシュレイは続ける。
「今回は駄目だったけど、またあたしは行ってくるわ。何度だって、あいつを止めに行ってやる」
 強い決意の籠った瞳だった。奥では炎が揺らめいている。
 だがターヤは、そこに脱出時のアシュレイの様子が重なって見えてしまった。気になって声をかけようとしたのだが、それよりも早くアクセルが口火を切っていた。
「なあ、アシュレイ。おまえさ、〔軍〕から脱出する際に何か見たんだろ?」
「「!」」
 これには当の本人と、同じように感じていたターヤが反応を示した。
 彼女の反応を見てアクセルは残念そうな顔で苦笑する。
「俺が気付かないとでも思ってたのかよ?」
 気持ちを軽くしてくれようとしているのだと気付き、アシュレイは先程から溜め込んでいたものを素直に吐き出す事にした。
「執務室を飛び出した時に見たの。軍人達の中に、首輪の付けられた子どもが居たのよ。ニールは……《元帥》は、あの時と同じように、あたし達みたいな子を、魔道具で無理矢理従わせてたのよ……!」
「「!」」
 自身を掻き抱くようにしてアシュレイが吐露した瞬間、皆は衝撃に襲われていた。同時に、以前聞かされた彼女の過去を思い出しもする。
 そして、ターヤとアクセルは彼女の様子がおかしかった訳を知った。
「あたしが見たのは一人だけだったけど、多分、まだ居るんだと思う」
 自らを抱き締める腕に自然と力を込めながら、アシュレイは言葉を喉から押し出していく。そうする事で、寒気にも似たこの冷たく気持ち悪い恐怖を、自分の中から追い出してしまいたかったのだ。
 おそらくは、その事実と自身の過去とが重なってしまったのだろうとターヤは察した。幾ら狂ってしまったとは言え、命の恩人であるニールソンがそれに手を出してしまった事を、アシュレイは信じたくないのだろう。
 そこでふと、レオンスは皆に伝えるべき重大な事項がある事を思い出した。この空気を緩和させようとする意図も込めて、ちょうど話が途切れている今、それを声として紡ぐ。
「そうだ、〔軍〕を脱出した後に〔屋形船〕から火急の手紙が来たんだ」
 懐からその手紙を取り出しながらそう言えば、目論見通り、皆の視線が彼へと集った。
 同時に、ようやく納得がいったかのようにスラヴィが口を開いた。
「なるほど、だからさっきエスコフィエ目がけて鳥が飛んできたんだね」
「それで、火急の手紙って事は何かあったの?」
 心配の色を面に生じさせたターヤの言葉は、この場のほぼ全員の疑問を代表していた。
 全員に対して肯定の意を表すべくレオンスは首肯する。
「ああ。どうも、昨日〔屋形船〕を〔ウロボロス〕の《精霊使い》が訪れたらしいんだ」
「「!」」
 ウロボロスの精霊使い、と聞いて、皆の脳内に思い浮かぶ人物は一人しか居なかった。
「それで!? その人は何て――」
「落ち着け、マンスール」
 即座に掴みかからんばかりの勢いで跳び付いてきたマンスを優しく宥めてから、レオンスは話を先に進める。
「そいつは〔ウロボロス〕のアジトの位置を教えてきたそうなんだ」
「「!」」
 これには皆が呆気にとられてしまう。まさか、という表情になった者が殆どだった。
 マンスもまた驚愕の表情になっていたが、すぐに顔付きを一変させる。それは安堵したかのように、嬉しそうなものだった。
「そっか、そっか……!」
 その小さな両手が胸の前まで持ち上げられ、両方ともぎゅっと握り締められる。

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