top of page

三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(7)

「だから、その……せ、責任を取りなさいよ!」
 だからこそ、続けられた言葉をすぐには理解できなかった。しばらくそのまま固まった後、ゆっくりとぎこちない動作でアクセルは上半身を元に戻し、アシュレイを見る。その顔は、先程以上に熱を発していた。
「え、えっと……今、何て言ったんだ?」
「だっ、だから! あ、あたしを傷物にした責任は……とっ、取ってくれるんでしょうね!?」
 訊き返されてしまったアシュレイは、最早やけくそとばかりに頬を益々赤く染めながら、叫ぶようにして問うていた。
 アクセルは呆気にとられていたが、すぐに顔付きを変えた。思わず笑みが零れ落ちる。
「取ってやるよ。おまえが俺に愛想を尽かすまでな」
「っ……! と、当然でしょ!」
 その柔らかく優しい表情を見てしまったアシュレイは、すぐには言葉が出なくなる。故に、ついつい顔を背けてしまった彼女に、アクセルは苦笑して顔を近付けた。
 逆に、アシュレイは後方へと引き気味になる。
「な、何よ」
「俺のせいだから責任を取るのは構わねぇよ。けど、どうやって取るんだよ?」
 意地の悪さを発動しながら問えば、アシュレイは恥ずかしそうに目を逸らした。
「そ、そんなの……決まってるじゃない」
「俺は具体的な方法が知りてぇんだよ」
 反応を楽しみつつも、やりすぎないように気を付けながら、アクセルは解っていない振りをする。
 それを知っていたアシュレイだったが、どうにも普段の調子が出てこない。怒る気にも手を上げる気にもなれなかったので、いっそう相手の方を見られなくなるだけだった。
「だから、それは――」
「それは?」
「……し、知らないっ」
 その先が言えずに口籠ってしまったアシュレイに更に詰め寄るアクセルだったが、とうとう極限まで真っ赤になった彼女は、ぷいと明後日の方向に顔を背けた。
 いかにも子どものような仕草に、思わずアクセルは苦笑してしまう。それから、これまで以上に意地の悪い笑みとなった。
「そう言や、俺が死ななかったら、おまえを好きにして良いって言ってたよな?」
「は、はぁ!? だっ、誰もそこまでは言ってないわよ!」
 弾かれるように彼女が振り向く。流石にこれ以上は羞恥が持ちそうになかった為か、しおらしさはどこへやら、普段通りのアシュレイが戻ってきていた。
 そうすれば、アクセルはそれで良いんだとばかりに普通に笑う。
「そうそう、やっぱりアシュレイはそんな感じだよな! 大人しかったりしおらしかったりするおまえなんか、らしくねぇよ」
「あんたねぇ」
 冗談だと解った瞬間、アシュレイは脱力感とほんの少しの物足りなさを感じた。それを何が何でも隠し通す為、顔はまだ赤かかったが呆れたように息を吐き出してみせる。
 そんな彼女を微笑ましそうに見ていたアクセルだったが、ふと表情を一転させる。
「この話はまたいつかで良いんだけどよ、おまえには、別に頼みてぇ事があるんだ」
 真剣な声を受け、まだ頬から熱が抜けきっていない事も忘れて、アシュレイは彼と目を合わせる。
「ブレーズとクラウディアの一件は、自分の中では、一つの区切りが付けられたんだ。けど、エマの件は、まだまだかかりそうなんだよ。……だから、おまえに見ていてほしいんだ。ちゃんとまた、あいつと正面から向き合えるように」
 伝えるべき事をしっかりと紡ぎながら、アクセルは最初からずっと、真っすぐに彼女の目を見ていた。
 まるで別人のような彼に一瞬面食らうも、アシュレイは受けて立つとばかりに、普段通りの余裕さを醸し出す笑みで受け止める。
「良いわよ、ちゃんと傍で見ててあげるわ」

「ああ、宜しくな」
 先程までの甘い空気もどこへやら、二人は互いに強い信頼の垣間見える笑みを向け合った。
「ところで、片目になると、やっぱり視界も変わるのか?」
 そして赦してもらえると解れば、アクセルは気になっていた疑問を口にする事にした。いきなり隻眼になってしまうと、その感覚に慣れるまでがかなり大変だと聞いた気がしたからだ。
 案の定、アシュレイは少しだけ渋い表情で頷いてみせる。
「ええ。視界が半分になったって訳じゃないんだけど、距離感は掴みにくくなったわ。とは言っても、普通に動いたり戦ったりするくらいなら、常に気配を読んでれば問題無いんだけど。でも、完全に慣れるまでは少しかかりそうね」
「それでも少しなのかよ……そうだ!」
 さほど困っていない様子且つ、良い意味で化け物染みている彼女に呆れ交じりに感嘆しかけて、そこでアクセルは思い付く事があった。
 これにはアシュレイが訝しげに目を細める。
「何よ?」
「なら、今から俺と特訓してみねぇか? おまえだって悠長にやるつもりは無ぇんだろ? だったら、今のうちに少しでも慣れちまった方が得だと思うぜ。それに、これも責任を取る一環って事でよぉ」
 突然の申し出に今度は目を丸くしたものの、すぐにアシュレイは受けて立つと言わんばかりに交戦的な笑みとなった。
「ええ、そうね。お願いするわ、アクセル」
「おう、任せとけよ!」
 すばやく立ち上がった二人は、同時にそれぞれの武器を抜刀する。ただしアクセルは構えた姿勢のまま停止し、アシュレイは距離感を掴もうとして、その場で空を刺突してみたり斬ってみたりする。それから、納得したように呟いた。
「やっぱり、料理の手伝いや細かい事をするよりは、戦闘の方が動きやすいわね」
「まじかよ。それってマフデトの力もあるのか?」
 この言葉にはアクセルも苦笑するしかない。幾ら日常的な動作よりも戦闘の方が気配を読んで動く事が容易かろうが、視覚に頼る部分も大きいと思っていたからだ。
「ええ、それもあるわね。獣の嗅覚って事よ」
 アシュレイは首肯する。自嘲する訳でも無く、そうある事が自然だと、心の底から思っている声色だった。
 やはり彼女は強いと感じながら、アクセルは声をかける。
「なら、いっちょ攻撃してこいよ。実際にやってみたら、また違うかもしれねぇぜ?」
「そうね。――行くわよ!」
 気合いを入れ直すかのように叫び、アシュレイはアクセル目がけて突進する。もし手元が狂ってしまっても、彼ならば怪我は負わないだろうと信頼している彼女に躊躇は無かった。無論、その思いを口に出すつもりは無かったが。
 アクセルは殆ど動かず、大剣の刃を盾にするかのように構え直す。
 アシュレイの突きは、真っすぐ吸い込まれるようにしてその中心に直撃した。
「おっ、通常攻撃なら問題無さそうだな」
「これだけだと簡単に避けられちゃうわ、よ!」
 軽いやり取りを交わしている途中でアシュレイは急加速したかと思えば、アクセルの横へと回り込んで刺突する。
 これに何とか反応したアクセルは、その間に大剣を割り込ませて防いだ。
 ただし、今度は中心からは少しだけずれた場所に当たっていた為、思わずアシュレイは眉を潜める。
「っと……正面からよりは、ちっとばかし精度が落ちてるな」
 アクセルが言い終わると同時、アシュレイの姿が掻き消える。次いで、四方八方に彼女の姿が見えては残像のように消えていった。高速撹乱移動を試すつもりなのだ。
 いつどこから来ても良いように感覚を研ぎ澄ませていたアクセルの背後に、気配は下り立った。
「!」
 即座に振り返って構えた大剣に、一直線に迫ってきたレイピアがぶつかる。先程以上に正確性は落ちていたが、アクセルもアシュレイも充分修正できる範囲内だと思っていたので、もう口に出したり顔を顰めたりする事は無い。

ページ下部
bottom of page