The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(6)
「それから、関係があるのかどうかは不明ですが、クレッソン派のブレーズ・ディフリングが、少し前に龍と共に本部を出ていったとの事です」
話を挿げ替えれば、アンティガもまたそちらに意識を向けようとして冷静さを取り戻す。何事も無かったかのように体裁を取り繕いながら、彼は思案し始めた。
「あの龍に、クレッソンは何やら密事を任せているようではあったが……もしや、その必要が無くなったという事か。いや、あの小僧の事だ、親の仇を討ちに向かっただけやもしれんな」
少し考えるも、その思考をアンティガは打ち切った。
報告はこれだけだったらしく、それを見計らったように部下は一礼すると退室していった。その際、隅の方で壁に背を預けていたセレスに一瞥をくれる事も忘れない。
彼女はそれに視線で応えるも、次の瞬間には気のせいであったかのように元の方を向いていた。
アンティガは気付いていないようで、退室していった部下など気にも留めずに何事かを思案している。大方クレッソンを打倒する案でも思索しているのだろうとは、誰でも予測の付けられるところではあったが。
「《副団長》」
ここで、それまでは黙って聴く側に徹していたセレスが声を発した。
部下の中では特に重用している彼女が発言を求めているともあって、アンティガはすぐに思考を切り替える。
「どうした、アスロウム」
許可を出せば、まず彼女は一礼した。それから自身の考えを述べ始める。
「失礼を承知で申し上げますが、今はクレッソン派の勢いが優っている様子。ですから、いっその事、この場は捨てた方が良いのかもしれません」
案の定、彼女の言葉にアンティガは険しく眉根を寄せた。
「吾輩に無様に逃げろと言うのか」
「いいえ」
プライドの高すぎる上司はそう言えば不機嫌になる事は目に見えていた為、セレスはすぐに首を横に振った。彼に解るようにしっかりと大きく。
「《団長》が本格的に動き出したのですから、幾ら《副団長》とは言え、簡単に打開策は打てないものかと思われます。それに、相手はある意味では宗教染みたカリスマ性で着々と勢力を広げており、今やこの本部を掌握しにかかっていると言っても過言ではありません。ですから、この場に拘らない方が得策ではないのかと、私は考えました。幸い、リンクシャンヌ山脈の方に行けば、以前より私と密通している者が居りますから、この場に留まるよりは動きやすくなるのではないかと」
あくまでも《副団長》を落とさないように気を使いながら、セレスは説得を試みた。これは彼女なりの賭けでもあったのだ。
しばらく、アンティガは彼女から視線を外さずに試案を重ねていたが、やがて悪くないとでも言うかのように、眉間のしわの数を減らす。
「……なるほど、貴様の言う事にも一理あるな。ならば、今夜遅くから明日の未明にかけて、吾輩達は〔騎士団〕を捨てる。まずは吾輩と貴様が先行してその者の許へ向かい、後から順に部下共をついてこさせよう。その為にも、貴様はすぐにでもその者に連絡を取った後、部下共にこの事を通達しておけ。良いな?」
「了解しました」
下された命令に対して、しっかりとセレスは一礼する。
それを最後まで見届けずに椅子を回して背を向けたアンティガは、これでも信用している部下の目が細められた事には、ついぞ気付けなかった。
ブレーズとクラウディアが去った後、日も暮れ始めてきていたので、一行は今夜はこの場で野宿をする事にした。結局昼食は夕食と合同になり、先刻の言葉通りにオーラが作り、マンスやターヤが手伝う形になっていた。
アクセルも先刻とは打って変わり、レオンと共に野宿の為の場を整えていた。とは言え、彼はブレーズとクラウディアの事が完全には頭から離れていないようだったが、表面上は普段通りだったので、誰もそこに触れようとはしない。
ちなみに、本日の夕食はオーラ特製のカレーライスだった。ルーはマンスの為に甘口気味だったが、ほっかほかの白い米と一緒に口にすると、辛口派でも満足の出来栄えである。野菜も食べやすい一口サイズに切り揃えられており、しっかりと中まで火が通されていた。
特に食べ盛りの男性陣が何杯も食べ、鍋の中を綺麗に平らげたのは言うまでもない。
ターヤもまたお代わりを頼みながら、オーラは料理が上手なんだなぁと思った。そう言えば、初めてアクセルとエマと会った日の夕食もカレーだったなと思い返して、少しだけ胸が痛みもした。アクセルの方は、見られなかった。
そうして少し早目の夕食を終え、片付けまで行った後、一行は用意した焚火の周囲に集っていた。何をするでもなく、ただ座っていたり話していたりと、ゆったりと過ごしていたのだ。
と、少し離れた場所に腰を下ろしてぼんやりとしていたアクセルは、そこでアシュレイが見当たらない事に気付く。
(あいつ、どこに行きやがったんだ?)
見渡す限りでも気配を捜す限りでも見つからなかった為、離れた場所に居るのだと解った。ちょうどアクセルも思考を完全には整理できておらず、彼女にも話があったので、これを好機と捉える。
(言わ……なくても良いか)
誰かに一言残しておくべきかとも思ったが、何だかからかわれそうな気もしたので気が引けた。普段の自分の事はすっかりと棚に上げているのだが、当の本人は気付いていない。
なるべく気配を消してそっと立ち上がったアクセルは、皆からは離れるようにしてアシュレイを捜しに行く。しばらくかかるかとも思ったが、彼女の気配はすぐに掴めた。それを頼りに向かった先は岩場だった。彼女は、そのうちの一つに背を預けて座り込んでいる。ごくり、と唾を飲み込んでからアクセルは口を開いた。
「おまえ、こんな所に居たのかよ」
「何だ、あんたか」
振り向いたアシュレイは相手がアクセルだと知るや、溜め息をついてみせた。
「随分な物言いだよな」
はぁ、と息を零しながらアクセルはアシュレイに近付いていき、その隣に腰を下ろして胡坐を掻く。あの時のデレっぷりはどこに行ったんだと嘆くも、面にはいっさい出さない。
彼女は彼の行動を咎めるかのように視線を寄越したが、何も言わなかった。
そのまま二人の間には無言が流れる。この空気に耐えかねたアクセルは、思いきって本題に入る事にした。無論、遠慮がちになってしまったが。
「……あのよぉ、俺ら、両想いって事で良いんだよな?」
「!」
瞬間、アシュレイが顔を真っ赤に染め上げ、座ったままの姿勢で飛び上がれそうなくらい両肩を大きく跳ね上げる。
この反応から否定ではない事を確信し、アクセルは顔と態度には出さず安堵した。否定されていたら、真面目に立ち直れなかったかもしれなかった。
「なあ、アシュレイ。俺のこと、好きなんだろ?」
相手は顔を真っ赤にしたまま無言を貫く。
それでも、これが肯定だと解っているアクセルはそれで良かった。ただ、その右目に巻かれた包帯が目に入ってしまい、完全に浮かれた気分にはなれなかったが。
「あたしの右目が、気になる?」
だからこそ、タイミング良く聞こえてきた声には心臓が飛び出すかと思った。
「あ、ああ。幾らおまえが元軍人とは言っても、女の顔に一生ものの傷を作らせちまうなんて、最低だよな。……本当に、ごめん」
座ったまま深々と頭を下げる。つい数秒前までの軽く調子に乗っていた自分が、無性に恥ずかしく感じられた。
アシュレイはそんな彼をじっと見ていたが、やがて声を紡ぎ始めた。
「そうね。あんたは、あたしの右目を失明させてくれたわ」
「っ……!」
他ならぬ本人の口から飛び出したその言葉が、アクセルの胸を強く抉る。再び、諦めが奥底から浮上し始めかける程だった。