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三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(5)

「過去は変えられねぇ。時精霊ならできるのかもしれねぇけど、既に起こった事を捻じ曲げるのは世界全体を歪めちまうらしいから、俺はしたいとは思わない。だから、俺はずっとアストライオスを殺した奴のままだ」
 あの日、アクセルは確かにアストライオスの望みを叶えたが、それは残された者にとっては禍根を生じさせる選択であった。現に、アクセルは彼の息子と娘から今尚、強い憎悪を抱かれ続けている。
「けど、それが俺の道だから。おまえらに恨まれようと命を狙われようと、俺はこれを背負ったまま生きていくよ」
 それでもアクセルは構わなかった。今でも思い出せば強い後悔に襲われるが、結局それは、あの日の自分が選んだ道なのだから。もう、その選択から逃げないと決めたのだから。
「だからって、開き直るつもりは無い。何度謝ったって、赦されねぇ事は解ってる。だから、おまえらもまた俺を殺しにくれば良い。けど、俺はもう簡単に殺されるつもりはねぇからな」
 それが、彼なりの償いのつもりであった。
 仇敵を見下ろしたまま、ブレーズもクラウディアも動けなかった。
 アシュレイの治療を終えたターヤは、そこでアストライオスからずっと預かっていたものがある事を思い出す。機会は、今しかないと思った。
「ブレーズ! クラウディア! アストライオスから、ずっと伝言を預かってたの!」
「!」
 瞬間、ブレーズの動きが一気に緩み、その眼がターヤを捉える。
 この好機を見逃さず、ターヤはずっと抱え続けていたものを、今になってようやく、伝言の相手であろう彼らへと返す。今度は叫ぶのではなく、しっかりと、はっきりとした声で。
「あの子に会う機会があったのならば、すまないと伝えてくれ、って」
「嘘だ!」
「こんな時に嘘なんかつかないよ!」
 即座に悲鳴にも似た否定の声が飛んでくるが、負けじとターヤもまた反射的に言い返していた。彼の最期に受け取った形見とも言うべき言葉を、当の受け取り手に否定されたくなどなかったのだ。
 必死の形相にも近しい面となった相手に面食らい、ブレーズは更なる反論の言葉がすぐには出せなかった。
「本当は、ブレーズとクラウディアも解ってるんだよね? これが、どうしようもなかった事なんだって」
「黙れ!」
「黙らないよ!」
 これにも、ターヤは相手を上回るくらいの勢いで言い返す。
「大切な人を殺された気持ちは、わたしには解らないけど、ただそれだけに固執してたら、大事なものを見落としちゃうよ!」
 彼女の言葉には、ブレーズが虚を突かれたように言葉を失った。
 それには気付かず、ターヤは思うがままに言葉を紡ぎ続ける。
「確かに、あなた達のお父さんを殺したのはアクセルだけど……でも!」
 いつの間にか俯け気味になりつつあった顔を、しっかりと持ち上げ直す。
「アクセルは、あの日から、ずっとずっと悩んでたんだ……ずっとずっと、今でも消えない後悔に囚われたままなんだよ! それは、ブレーズとクラウディアも知ってるよね?」
「っ……!」
 反射的に言い返そうとして、けれど青年は何も言えない。
「今すぐ恨むのを止めろなんて言えないし、干渉するべきじゃないって事は解ってる。……だけど、少しは冷静になった方が良いと思うよ。じゃないと、こんなの、誰も救われないままだよ」
 無意識のうちに、手は胸元の服を握り締めていた。ターヤが彼らに言っておきたかった事は、それで全てだった。
 ブレーズは、何も言わない。
 クラウディアもまた、何も鳴かない。
 相手方が交戦の意思を見せなければ、一行もまた構える事はしなかった。皆武器を下ろしており、オーラも既に〈結界〉を解いている。

「……俺様は、貴様がまだ赦せそうにない」
 それからしばらくは誰も何も行わなかったが、やがて、ゆっくりとブレーズが呟くようにして言葉を吐き出した。
「本当は、何となく解っていた。アストライオスが、闇魔に侵されていた事も……そいつが、それから救ってくれようとして、殺したのだという事も」
 絞り出したような声だった。納得はできなくとも、頭の隅で理解はしていたらしい。
 これにはアクセルが言葉を無くした。
 ブレーズの視線は、とうにアクセルからは外れていた。俯くように下方を向いた顔では、怒りやら憎しみやら悲しみやら理性やら、さまざまなものが鬩ぎ合っている。
「……だが! だからと言って、俺様とクラウディアが親を殺された事は事実だ! だからこそ、赦せなかった……赦したくなどなかった!」
 喉の奥から無理矢理出したような声に同調して、龍はそっと目を伏せる。
 同じだ、とブレーズとクラウディアを見上げながらマンスは感じた。
(あの人たちは、ちょっと前までの……おじさんを恨んでたぼくと、同じなんだ。でも、この人たちと赤は、ぼくたちみたいに親戚じゃないし、お互いが好きな訳じゃない。だから、簡単には割り切れないんだ)

「アストライオスが、復讐を望まない事など、頭では理解している! だが、本能は、仇を殺せと叫ぶ! ……ならば、俺様の、俺様達のこの怒りは、いったいどこへ向ければ良い!」

 今にも泣き出しそうな声だ、とターヤは思った。そしてやはり、大切な人を失った事など無いらしき自分では、彼らの気持ちなど理解できないのだとも痛感していた。

 クラウディアは、何も言わない。
「――っ!」
 更に何事かを紡ごうとして、けれどブレーズもまた、それ以上は何も言わなかった。
「……帰るぞ、クラウディア」
 その代わりとばかりに声をかければ、相棒はすぐにその意図を汲み取って、踵を返すように方向を転換する。そして、そのまま飛び去っていった。ブレーズは一度も振り返らなかった。
 一行もまた、その後ろ姿を見送る事しかしなかった。


 少し時間は遡って、まあまあな機嫌で〔騎士団〕本部に戻ってきたアンティガは、自室に戻ったところで諜報を担当している部下から急ぎの連絡を受けていた。
「……あの《番人》が、戻ってきたと言うのか」
 ただし耳を傾けるその表情は、実に苦々しげなものであったが。
 理由は単純明快、彼と対立関係にあるクレッソンの快刀たる《番人》が、六年ぶりに帰還したからである。アンティガは《番人》の顔を知らなかったが、その功績と実力、そして意味するところは知り得ていた。
 ここで言われる《番人》とは、その名の通りクレッソン専属の護衛である。彼自身ないしは彼に指定されたものを絶対に守りきる、というのがこの人物の本領であった。また、聞くところによると、防衛だけではなく攻撃や隠密行動においても他には引けを取らない技量を有しており、クレッソンからの信頼も厚いそうだ。
 故にこの人物が動くという事は、クレッソンが本気であるという事を意味してもいた。
「つまり、あの若造は本格的に動き出したという事だな」
「おそらくは《副団長》の仰る通りなのかと。奴の計画も、とうとう終盤に突入したのだと思われます。その為に必要な何か、あるいは自分自身を《番人》に護らせるつもりかと」
 自室の椅子に腰かけて頬杖を突きながら徐々にしわを寄せていくアンティガへと、その部下はあくまでも平静さを装った声で報告する。
「それと、見た限りでは、どうにも《番人》は若い女のようでした。おそらく歳は十代後半か、二十打前半当たりかと」
「つまりは、若くしてそれだけの名を上げていたという事か!」
 途端にアンティガは、ぎり、と歯を噛み締めていた。それが敵視するクレッソンの許に優秀な人材が居たからだという事は、部下達の目にも明らかである。
「たかが若造の快刀如き、小娘如きが……!」
 憤りを露わにするアンティガの意識を逸らさせようとするかのように、その部下は話題を変えた。

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