The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(4)
「「!」」
その事にブレーズが気付けば、クラウディアはいっそう強く声を上げた。アシュレイの一撃を食らう事も覚悟しての、捨て身の行動だった。
瞬間、〈星水晶〉の輝きが急激に増し、その威力が周囲一帯へと見境無く放出される。
「「っ……!」」
思わず一行は防御の姿勢をとってしまい、その隙にブレーズを乗せたクラウディアは仇敵へと再度突撃する。
誰よりも早くその事に気付いたアクセルだったが、彼は構える事も逃げる事もしなかった。ただ、まっすぐに彼らを見つめただけだった。
相手の行動に一瞬だけブレーズとクラウディアが躊躇しかけ、けれども槍はまっすぐに標的へと突き刺さんばかりに向かう。
やはり駄目だったのか、とアクセルは表情を崩す。
だが、直前に、その間にはアシュレイが盾になるかのように飛び込んでいた。持てる力を全て振り絞ったのか、その獣化は解けていた。
「「!」」
アクセルが、皆が、そしてブレーズが驚きを露わにする。彼は咄嗟に凄まじい反応力で槍を引き戻したが、やはり完全には間に合わず、その刃先がアシュレイの右目を掠る。その勢いにより、血と何かが宙を舞った。
「アシュレイ!」
それが何なのか理解した瞬間、ターヤは詠唱も放棄して弾かれるようにして叫んでいた。自らの顔が蒼ざめているのが見えずとも解った。
他の面々もまた、彼女の右目が抉られた事に衝撃を受けていたが、当の本人は片手で患部を抑えながらブレーズと対峙する。片目を失った事は顔と掌の間を流れる血からも承知済みだろうに、まるでその事にはさして興味が無いかのようだった。
一方、ブレーズは限界まで目を見開いて彼女を見ていた。驚愕と後悔と信じたくない気持ちが入り混じったような表情のまま、彼は次の行動に移ろうとはしない。
それを察したアシュレイは彼を捨て置き、背後のアクセルを振り向く。右手は目元から離されており、その惨状が一行の目にも映るようになる。既に瞼は落とされていたので実際の様子は不明だが、軽傷でない事は明らかだった。
彼女の痛々しい様子は自分のせいだと、今度は頭がしっかりと理解してしまった為、アクセルの顔から先程以上に血の気が失われる。足から力が抜けてその場に座り込み、首は自然と下を向いてしまった。
「――アクセル!」
その肩を掴まれ、強く揺さぶられる。思わず見上げた先には、閉じた片目から血を流しながらも、変わらぬ強い顔で直視してくる少女の姿があった。直視したくない筈なのに、どうしてか目が離せなくなる。
「あんた、いつまでそうして愚図ってるつもりよ?」
アクセルは、座り込んだまま何も言えない。
彼のその態度に、アシュレイは益々眉根を顰める。
「そうやって命を捨てようとするなんて、何考えてるのよ?」
アシュレイは完全に敵に背を向けており、アクセルはすっかりと気の抜けた状態だ。
手を下すには絶好の機会だったが、ブレーズは動こうとはしない。一応スラヴィが〈結界〉の範囲を広げて皆を覆ってはいるが、彼は先刻己が行ってしまった所業に対して呆然自失の状態になっており、これを好機として敵に襲いかかる思考には至らないようである。彼が〔騎士団〕の一員でありながら、実際は敵を殺す事ができないくらい甘いという、いつぞやのオーラの言は確かだったのだ。
クラウディアは仇敵を気にしつつも、ブレーズの心情を理解しているらしく彼の指示を待っている。
当面は大丈夫そうだと安堵しながらも、ターヤは緊張を保ったまま前方を見ていた。
「あんたが《暴れん坊》とその龍の父親と、クラウディアの弟を殺してしまった事を、ずっと後悔して、引きずり続けてるのはよく解る。あたしだって……母親と妹を、この手で殺したようなものだもの」
逃れられない何かと対面したかのように、ぎゅっとアシュレイは目を閉じた。しかし、すぐに開く。
「でもね、そうだとしたらモンスターはどうなるの? モンスターを倒すって事は、殺す事とほぼ同じじゃない。それとも、あいつらは人に害なす存在だから、倒しても良いの? モンスター……いえ、動物と魔物にだって家族は居るわ。あたしが――《マフデト》が、そうであるように」
その言葉で、アクセルは気付かされる。眼前の少女もまた、獣化してしまえば《モンスター》に分類され、駆逐の対象とされてしまう存在なのだと。
「でも、だからって、その後悔を無かった事にするなとは言わないし、自分達に危害を及ぼすモンスターを倒す事を躊躇うなとも言わないわ。それに、あんたは《守護龍》をその手にかけたんだろうけど、彼を助けた事には変わりないもの。あたしはその場には居なかったけど、ターヤ達がこんな嘘を言う筈が無いって、知ってるから」
ちらりと一瞬だけアクセルの後方を見てから、アシュレイは彼に向き直る。
「何が正しいか、後悔してしまってもその後どう行動するか、それを決めるのは、結局いつだって最後は自分自身なのよ。あたしも、そうやって乗り切った、乗り切れた」
彼女は一旦言葉を切る。そして、しっかりと眼前に居る相手の目を覗き込んだ。
「でも、それは一人じゃなかったから。仲間が――あんたが、居てくれたから」
「……!」
その言葉で、何かが動いた気がした。
「だから、自棄になってないで、贖いたいのなら、せいいっぱい足掻いてみせなさい、アクセル・トリフォノフ!」
声に力を込めて、アシュレイは言いたいことを全てアクセルへとぶちまけた。これでも届かなかったらどうしようかという不安が、少しばかり鎌首をもたげる。
しかしアクセルは顔を俯けながらも、その口角を僅かに上げていた。
「……ああ、そうだな。結局俺は、自分がアストライオスを殺したっていう事実から逃げてただけなんだよな。だから、あいつの家族と顔を合わせたくなくて、死ぬ事で、もう二度とその事実と向き合わないようにしようとしてたんだ」
はは、と口からも顔からも自嘲が零れ落ちる。けれども、それは今までのような自暴自棄なものではなかった。
「俺は、ちゃんと向き合えてすらいなかったんだな」
見上げたアシュレイの顔は、小さな驚きに彩られていた。
「気付かせてくれてありがとな、アシュレイ」
「お安い御用よ」
礼を述べれば、アシュレイもまた彼女らしい余裕に満ちた笑みを浮かべる。それでも、どこか安堵が潜んでいるようではあった。閉じられた右目から流れ落ちる赤が、痛々しい。
アクセルは膝に手を付いて立ち上がると、今度こそ真正面からブレーズとクラウディアに向き直る。こちらの方が先決だと思った。それに、ターヤが慌ててアシュレイの許に駆け寄ってきているのも知っていたからだ。
「ブレーズ、クラウディア」
決意を込めて名を呼ぶ。彼らは応えなかったが、攻撃は行ってこなかったので、今はそれで良いとアクセルは思った。
「アストライオスを、おまえらの親を殺したのは俺だ。……本当に、ごめん」
「っ……!」
深々と頭を下げれば、ブレーズが息を飲むのが解った。その身体が震え、槍を持つ手が動きかけたが、やはり攻撃までは転じてはこない。
クラウディアも反応は見せていたが、同じく行動には移さなかった。
反射的に構えていた面々は、それを見て戦闘体勢を解いた。相手も本当は解っているのではないかと感じた上、今はアクセルの意思を尊重したかったからだ。
ターヤもまた、アシュレイに治癒魔術を施しながらも、意識の四分の一くらいは彼らのやり取りに割いていた。不安は完全には拭えていなかった。
しばらくしてからアクセルは頭を上げる。これからが勝負だった。
「今でも、他にも方法があったんじゃないかって思うんだ。アストライオスを死なせずに済む方法が、あったんじゃないか、って。……けど、あれが、あの時の俺の精一杯だった」
言いながら、自らもまた当時の事を思い返す。