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三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(3)

 彼女と入れ替わるように飛び出したレオンスは、ターヤの支援魔術を受けて、空中を軽々とすばやく動き回っていた。それでも足場の無い状態というのは慣れないらしく、普段ほどの俊敏さはなかったが、そこはスラヴィと《風精霊》がカバーしている。
 アシュレイのブレーズに対する悪態を聞きながらも、アクセルは最初からずっと眼前の光景を見ていた。そうして、ようやく思ったまま決めた事を口にする。
「やっぱり、俺はブレーズの奴に殺されるべきなのかもしれねぇな」
 途端、傍に居たアシュレイが思いきり眉を顰めた。窮地でもないというのに、こいつは何を言っているんだ、という顔になる。
「はぁ? あんた、まだ――」
「だから、今のうちに言わせてくれ」
 その言葉を遮るようにそちらを振り向けば、その顔に彼女が声を失う。
「おまえが好きだ、アシュレイ」
 それは間近に迫った死を受け入れたからこそできる、本音に溢れた安らかな笑みだった。
 アクセルのその顔と声を認知した瞬間、アシュレイは頭の中が真っ白になり何もできなくなり、そして両目を大きく見開く。これが散り際の美しさか、と現状も忘れて素直に感じてしまう程だった。
 近くに居たターヤとマンスとオーラにもこのやり取りは聞こえており、詠唱に集中する少女以外はそちらを見ていた。驚愕の表情と、複雑そうな表情で。
 一方、進展する気配の無い現状に痺れを切らしたブレーズは、一際力を込めて相棒の名を呼んでいた。
「クラウディア!」
 瞬間、龍は周囲に群がる敵は無視して、咆哮ではなく〈星水晶〉への呼び声を上げながら、下方の標的目がけて突進していった。下降の勢いも相まって、その速度と威力はどんどん増していく。
 レオンとスラヴィは止めようとするも、空中に慣れていない前者は追い付く事も叶わず、後者が放った鎖鎌や短剣などはその勢いに弾かれた。
 彼らに気付いたオーラは意識を引き戻し、先程まで以上に〈結界〉を維持せんとする。
 巨鳥は風を駆使してその弾丸を止めようとするが、龍が呼び起こした〈星水晶〉の力により思うように風を操れず、止める事は叶いそうにない。
 かくして簡単に標的を覆う最終防衛まで辿り着いたブレーズは、仇敵へと向けて力の限り槍を突き刺そうとする。
 オーラも負けじと現在自身が持てる全力を〈結界〉に注ぎ込み、何とか槍を弾き返そうとしていた。
 攻と防の力は最初のうちは鬩ぎあっていたが、クラウディアが声を上げれば上げる程、オーラは押されていく。
 これが自分の不調とは何ら関係無く、ただ単にクラウディアにより〈星水晶〉の力が上手に引き出されているだけだという事は、オーラ自身がよく解っていた。
(私が……《神器》が、幾ら〈星水晶〉を使われているとは言え、こんなところで――)
 だからこそ、悔しい。内心とは言え、ついつい『オーラ』を演じる事を忘れかけ、少なからず有していたプライドが鎌首をもたげるのが自分でも解ったくらいだ。
 それでも彼女の劣勢は揺らがなかった。寧ろ更に悪化していくだけだ。
「っ……!」
 とうとう相手の勢いを抑えきれず、オーラは後方へと吹き飛ばされるようにしてバランスを崩し、その場に座り込んだ。同時に〈結界〉が掻き消え、槍は無防備なアクセルへと迫る。例え無詠唱だろうが、誰かが何かを唱える暇も無い。
「今度こそ死ね――!」
 そしてアクセルは、向けられた憎悪を耳で受け止めながら、これで良いのだと言うかのように瞼を下ろす。
「――ばっかじゃないの!?」
 けれども、槍が標的まで届く事は無かった。
 不審に思ったアクセルは瞼を開けて、眼前に広がっていた光景に目を見開く。
 他ならぬアシュレイが、アクセルを庇うように横入りさせた素手で、その刃先を掴んで止めていたのだ。その顔は怒りに打ち震えており、片手を襲う激痛など気にならない程のものらしかった。

 この行動にはブレーズ達どころか、一行もが呆気にとられてしまい、アクセルに至っては誰よりも早く血の気の抜けた顔になっている。自分のせいだ、早く手当しなければ、という思いが脳内をぐるぐると回っていた。
 少女の手から滴り落ちる血は、その真下に水溜りを作っていた。
「あんたが全部悪いって訳でもないし、いろんな奴から許してもらえてるってのに、あんたって奴は、いつまでもうじうじして……! そういうところが、見てて腹が立つのよ!」
 ブレーズ達に背を向けているアシュレイは、槍の刃をしっかりと掴んだまま、ほぼ正面からアクセルを睨み付けてそう叫んだ。
 彼女の言う通りだった為、返す言葉も無くアクセルは俯く。
「なのに、あんな大きな爆弾を落としていかれたんじゃ、あたしも素直になるしかないじゃない」
 更に怒られるかと思っていたアクセルだったが、続けられたのは予想外の内容だった。思わず顔を上げれば、そこにあったのは仕方がないと言わんばかりの困ったような笑みだ。彼女が何を言っているのか、彼はすぐには理解できなかった。
 他の面々は殆どが急転していく状況についていけず、ブレーズとクラウディアもまた戸惑っている。
 そんな中で、アシュレイはしっかりとアクセルだけを見ていた。
「良い? あたしは一度しか言わないから、よく聴きなさい。――あたしも、あんたが好きよ、アクセル。ずっと頑なに認めようとはしなかったけどね」
 その言葉に、アクセルは心臓が止まったかと思った。
「だから、あたしを好きなら――好きにしたいのなら、意地でも足掻いて生き残ってみせなさい!」
 叫ぶや否や、彼女は再び首を眼前へと向けて敵方に意識を戻し、掴んでいた槍を横側に振り払うようにして離し、その両眼を思い切り見開く。
 そして次の瞬間、少女が居た筈の場所には、一頭の豹が佇んでいた。
「アシュレイ――」
 アクセルの呆けたような声には、豹は応えなかった。
「! マフデト……!」
 突如として巨大な豹と化した相手を目にしてブレーズが驚きを露わにすれば、逆に彼女は余裕の様子で笑う。
『あら、あんたが知ってるとは思わなかったわ。けど、知ってるのなら――簡単に倒せるとは思わない事ね!』
 言うや、彼女は至近距離に居るクラウディアへと向けて飛びかかった。
 危険を察した龍は瞬時に飛び上がって空中へと逃げるが、豹は跳躍する事でその後を追う。人の時でさえ足のバネはかなりのものであったが、豹と化してしまえば、それすらも目ではなかったのだ。
 加えて、マフデトにはアシュレイを上回る速度と体力もあった為、一旦地に下りても再度すばやく空中に戻る事など容易であった。
 クラウディアは避けながら〈星水晶〉を呼ぶが、そちらの力は《風精霊》によってぶつけられる風が中和してしまう。俊敏さも攻撃力も増したアシュレイへの警戒から、先程までの集中力が保てないのだ。
 しかもスラヴィと、ターヤに再び魔術をかけてもらったレオンも遅れて参戦した為、今度はブレーズとクラウディアが劣勢に追い込まれていた。
 そしてアシュレイが跳ぶと同時、立ち上がったオーラは再び同じ規模の〈結界〉を構築し直していた。次は負けるものかと内心で意気込みながら。
 眼前で繰り広げられる攻防を視界に収めながら、アクセルは先程まで抱えていた生への諦めが萎え始めている事に気付く。現金だとは思ったが、彼女の一言に突き動かされてしまったのだと知った。
(俺は……)
 それでも、頭の中は罪悪感と後悔とで埋め尽くされたままだった。死にたくないと強く思うようにはなったが、どうすれば償えるのかは未だに判らなかった。
(俺は……!)
 ぎゅっと、身体の横に下りている拳を握り締める。
「アクセルさん!」
 オーラの呼び声で我に返れば、無意識のうちにアクセルは〈結界〉を抜け出していた。

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