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三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(12)

 駄目元でレイピアを突き出したアシュレイだったが、予想通り、それは影の中から飛び出してきた脚のような物体に阻まれる。同時に死角から二つ目の首が襲いかかってきたが、これも難無く避けた。
 対して、今と見たアクセルは動こうとするが、それを見越していたかのように近くまで影が伸びてきていた。それに彼が気付くと同時、そこから最後の首が飛び出す。咄嗟に身体の前に構えた大剣がそれを阻むが、影は彼らを牽制するように床で蠢いていた。
 それらを見たニールソンがくすくすと嗤う。
「あっちゃんの攻撃はわつぃには届かないし、わつぃは影をどこまでも伸ばせるのにね?」
「言ってなさい! あんたの暴挙は今ここで止めてみせるわ!」
 ついつい反射的に言い返しながら、アシュレイはニールソンの意識がケルベロスと同化しつつある事を悟った。影に潜むケルベロスを『わつぃ』と言い表したのが良い証拠だ。
(ニール……!)
 情が無い訳ではない。寧ろ、今でも本心では捨てきれていないくらいだ。アシュレイにとって、ニールソンとは命の恩人であり気の置ける相手であり、そして兄のような弟のような、家族に似た大切な存在でもあるのだから。
「っ……!」
 ぎりっと歯と歯を噛み合わせ、彼女はその感傷を再び奥底へと追いやる。
 とりあえず、ケルベロスの首は全て出揃ったのだ。アクセルの攻撃をケルベロスへと通す為にも、彼女は相手に隙を作らせねばならなかった。また、ニールソンはターヤを狙う気は無いらしかったが、ここにもどのような意図があるのか解ったものではない。どこまでも油断は禁物であった。
 とにかく先手必勝、とばかりにアシュレイは三度目も跳び出す。
 同時に首の一つが影に潜って移動し、阻まんとばかりに正面から飛び出してきたが、アシュレイは今度は真っ向からぶつかっていった。レイピアと犬の牙とが衝突して火花が散る。
「正面からぶつかってくるなんて、とうとう頭まで獣になっちゃったの?」
「馬鹿言わないで。あたしは最初から獣なのよ? それくらい、あんたが一番よく知ってるわよね?」
 皮肉には開き直りで返す。
 これ以上は待っていても無駄だと踏んだのか、アクセルもまた攻撃を仕かけていた。彼は首二つと脚四つを相手にする事となっていたが、流石は調停者一族、その身に刻まれた加護によりハンデをものともしていなかった。
 彼から気を逸らさせる意味でも、アシュレイは気になっていた疑問を相手へとぶつける。
「だいたい、どうしてそこまで《神子》の力を欲しがるのよ?」
「そんなの、世界を掌握する為だよ」
 案の定、気分の良いニールソンは答えてくれた。
「世界?」
 けれども突然スケールが大きくなりもした為、アシュレイは戸惑いを露わにしてしまう。また、先程彼が口にした『全部』というのが世界を示していた事にも気付いた。
 彼女の困惑に気付いているのかいないのか、ニールソンは構わず続ける。
「だって《巫女》様は〈世界樹〉の代理人なんだよね? なら、その力を使えば、世界なんて簡単に掌握できちゃうとは思わない?」
 やはりそこまで知っていたのか、と詠唱に集中するターヤ以外の二人は確信した。
「けど、闇魔のあんたが、その《神子》様に触れられるとでも思ってる訳?」
「そんなの、やってみなきゃ判らないと思うよ?」
 挑戦的な声には挑戦的な声でニールソンが返すや否や、後方に向かってじわりと伸びていたらしき影からケルベロスの尾が飛び出し、一人詠唱に集中するターヤを狙う。アクセルが引き返しても間に合う距離ではない上、アシュレイは踵を返せそうにない状況だった。
 しかし、それは二人が予想していた通り、ターヤを取り巻く支援魔術によって阻まれた。
 ニールソンが舌打ちすると同時、彼女の伏せられていた瞼が押し上げられる。
「〈裁きの光〉!」
 ターヤの堂々とした声が室内全体に響き渡った瞬間、その場一帯が眩い光に覆われる。

「!」
 その眩しさと神聖さに、思わずニールソンは両腕で目元を覆い、ケルベロスは悲鳴を上げながら影の中へと撤退する事で、これを間一髪で避けた。
「アクセル!」
「おう!」
 けれども、鋭く名指しされたアクセルが、好機とばかりに大剣を振りかぶっている。標的は、ニールソンの足元に広がる本体と思しき影だ。
 身の危険を感じたケルベロスに同調してニールソンはその場から逃げ出そうとするが、それは事前に背後に回っていたアシュレイが首元にレイピアを突き付ける事で阻止した。
「これで――」
「!」
 だが、終わりだとアクセルが言いかけたところで、アシュレイの耳がこちらに向かってくる何百人分もの足音を捉えた。加えて、懐かしい気配をも。その正体を知った事で、アシュレイの両目が大きく見開かれる。
「「!」」
 また、彼女が停止したかと思いきや、弾かれるように扉があった方向を見上げた事で、ターヤとアクセルも時間切れを悟る。それでもターヤは詠唱を速度だけ上げて継続した。
 しかし、その僅かな隙を突き、影から出した脚でアクセルとアシュレイを強襲する事で、ニールソンは拘束も危機をも脱出していた。
「あーあ、結局わつぃを倒せなかったねぇ? 止められなかったねぇ?」
 そして三人から距離を取った彼は、現状を認識してくすくすと楽しげに嗤う。そこには明らかな嘲りが含まれていた。
「ニール、あんた――」
 すっかりと蒼ざめてしまった顔でアシュレイは声を上げるも、最後までは言えずに途切れてしまう。彼もまた嗤うだけで答えなかった為、肯定なのだと彼女は理解してしまった。
「っ……!」
 それが真実である事に強い衝撃を、目的を果たせなかった事に悔しさと屈辱を覚えるも、これ以上この場には留まっていられないと判断したアシュレイは即座に二人を見る。
 同様に潮時だと悟っていたアクセルは頷き、ターヤは元々ニールソンとケルベロスにぶつける筈だった魔術の矛先を、この場へと突撃してくる軍人達に変更した。
「〈浄化の円陣〉!」
 振り向く事はできなかったので杖の先端だけを対象へと向けて叫んだ瞬間、そこから何かが飛び出すのが解り、すぐに後方から衝突音や悲鳴が聞こえてきた。
 これを合図に三人は執務室から飛び出し、ターヤにより昏倒させられた増援には目も暮れず、元来た廊下を走り出す。今回ばかりは我侭も言っていられず、ターヤはアクセルに抱えられる事となった。その彼は追いかけてくる敵へと、度々衝撃波をお見舞いしている。
 そして、アシュレイは先頭を突っ走って敵の気配を探りつつルートを選択しながらも、つい先程垣間見してしまった光景を忘れられずにいた。逃げる事に専念している二人は気付かなかったようだが、執務室のすぐ前で昏倒していた増援の中には、まだ年端のいかない子どもと思しき一人の少年が居たのだ。加えて、その首には見覚えのある首輪が着けられていた。
(あの気配、やっぱり勘違いなんかじゃなかった……ニールは、ニールはっ……! あの男と同じように、あの子達を魔道具で従わせてるんだ!)
 過去の忌まわしい記憶がフラッシュバックし、思わずアシュレイは両目を瞑り、両手で耳を隠すように頭を抱えてしまう。それでもすぐに現状を思い出して振り払うと、ついでに残りの仲間達の気配を捜した。彼らの気配は掴めなかったが、心配は要らないだろうと結論付けて逃走ルートの選定を急ぐ。
 そんな彼女に、ターヤは何となく気付いていた。無論、その理由がニールソン本人の状態とは違う事も。アクセルに背負われるように抱えられていたので顔は後方を向いていたが、アクセルが衝撃波を放つ為に方向を転換した際、頭を抱えているのが見えてしまったのだ。そして、その様子から恐怖に襲われている事をも直感的に感じ取ってしまっていた。
(アシュレイ――)
 それでも今は声もかけられず、ぎゅっと杖を握り締めるしかない。

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