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三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(11)

「イメチェンよ、イメチェン。女っていうのは、気分転換に格好を変えたくなるものなのよ」
 実に適当且つ、彼女を知る者ならば嘘だと見抜ける答えである。
 けれども、ニールソンは元からそこまで興味があった訳ではないらしく、また片目でも彼女ならば問題無いとでも思っているのか、ふーん、と表情は変えずに意味深で曖昧な返事を返すだけだった。そしてまた話題を変える。
「それにしても、君がここまで来れたって事は、ユベールくんは負けたんだ。……それとも、わつぃにはもうついて来れないのかな?」
 この言葉でターヤは、ニールソンもまたユベールの揺らぎに気付いているのだと知った。もしや彼は現在危機的状況に立たされているのではないか、との不安も覚える。
 けれども、アシュレイは相手の言葉を鼻で笑い飛ばしただけだった。
「はっ、随分なお笑い種ね。まさか、このあたしが、ユベール・カルヴァンごときに傷の一つでも付けられると思ってた訳? 笑わせないでほしいわね。あんた、それでもあたしの元飼い主だったのよね?」
 とことんニールソンとユベールをけなしているようでもあったが、その実さりげなくユベールをフォローしているのだとターヤは気付いていた。
 だが、ニールソンにとって、そこは大して重要ではなかったらしい。寧ろ、揚げ足を取るかのようにアシュレイへと矛先を向ける。
「そうだよ、あっちゃんがわつぃを裏切らなければ、今頃は《巫女》様の力を使って、全部掌握できてたかもしれないんだ。つまり、最近他のギルドに侵攻してるのはね、あっちゃん、君のせいなんだよ。だって、わつぃの計画を狂わせたのは、あっちゃんなんだから」
「ふざけんな! そうやって人のせいにしてんじゃねぇよ!」
 まるで一から十までアシュレイ一人が悪いと言わんばかりのニールソンに反発し、アクセルは弾かれるようにして叫んでいた。
 しかしアシュレイ以外の声は聞こえていないのか、ニールソンが止まる気配は無い。
「だって、わつぃは力を示さないといけないんだよ。じゃないと、誰もわつぃのことなんか認めてくれないからね」
 どこか熱に浮かされているかのように自らの世界に浸りながら喋る彼は、その本質の端を覗かせてもいた。
「ニール……」
 相手は既に自分達にとっての敵なのだという事実を一瞬忘れかけ、アシュレイはついつい慣れ親しんだ愛称を口にしてしまう。無論、すぐ我に返りはしたが。
 そこでニールソンの目がターヤを捉えた。
 反射的に身構えてしまった彼女から、彼は視線をアシュレイへと戻す。
「でも、ちょうど《巫女》様もそこに居るし、チャンスをあげても良いよ、アシュレイ・スタントン」
 唐突且つ高圧的なニールソンの物言いに、アシュレイは怪訝そうに眉を顰めた。
「その男を殺して《巫女》様をわつぃにくれるなら、元通りの席をあげても良いかなぁと思ってるんだ。どうかな、悪い話じゃないと思うよ?」
 その男、がアクセルを指す事は誰の目にも明らかだった。つまりは邪魔者を排除して、当初の予定通り《世界樹の神子》を自分の許に連れてこいという事らしい。
 ついついターヤとアクセルはアシュレイに視線を集めてしまう。それでも、心配している訳ではなかった。
 その通り、アシュレイは揺るぎない眼付きでニールソンを睨み付けるだけだ。
「馬鹿にしないで。あたしはもう、あんたとは袂を別ったの。ここに居るのは〔軍〕の《狩猟豹》でも《暴走豹》でもない。ただのアシュレイ・スタントンよ!」
 そうして元上司であり恩人でもあった青年へと向けて、しっかりと宣言してみせた。
 瞬間、ニールソンの顔から残っていた笑みが完全に消え去る。
「そっか……あっちゃんは、もうわつぃの手は取らないんだね。――それなら、もう要らないや」
 それから彼は、重力に従って下ろしていた足を両方とも持ち上げて机に乗せた。ようやく開かれたその眼は、まるでアシュレイのように鋭く獲物を狙い定めており、一点の光も無い漆黒に染まりきってもいた。

(こいつは……もう、戻れねぇところまで闇魔に浸食されちまってる!)
 そして、相手の変貌ぶりとその眼を視認した瞬間、アクセルは直感的に事態を悟っていた。ぎり、と無意識のうちに歯を噛み締めてしまう。
 彼のその動作から、同様に感じていたターヤは同じく確信を得て、そしてアシュレイは相手を討つ覚悟を決めた。故にすばやく問う。
「アクセル、あいつに憑いてる闇魔は解る?」
「おまえに憑いてたのは《冥府の女神》ヘカテーだから……多分、その眷属だろうな」
 言われて真っ先にアシュレイの脳内に思い浮かんだのは、消息の知れぬ《地獄の番犬》ケルベロスであった。
「けど、俺も相手に憑いてる闇魔の正体が判る訳じゃねぇし、違う可能性もあるからな」
「ええ、解ったわ」
 アクセルの補足に了承を示してから、アシュレイはニールソンを見る。彼はもう笑みを浮かべてはいなかったが、相手を見下しているらしく、攻撃を仕かけてくる気配は無い。それに、幾ら狂ってしまったと言っても、正常な判断ができていない訳ではないようなので、彼は時間が経てば経つほど自身が有利になり、相手が不利になると気付いているのだ。
 もう一人くらい連れてくれば良かったかとも思ったが、それも後の祭りだとしてすぐに思考から振り払う。
「良い? 増援が来るまでの僅かな時間が勝負よ。それに、悪いけど自分の身は自分で護りなさい」
 後方の二人を視線だけで窺いながら早口気味に告げれば、声無き肯定がアシュレイに返される。仲間達も覚悟が決まっている事を認識するや否や、アシュレイは即座に跳躍してニールソンへと襲いかかっていた。
 アクセルもまた遅れて跳びかかっていき、ターヤはまずは自身の護りを強化する為の詠唱に努める。
 真っ先に相手へと肉薄したアシュレイだったが、レイピアの切っ先が届く直前に獣の勘が働く。瞬時に跳び退れば、一瞬前まで彼女が居た場所からは犬の顔が飛び出していた。
 その顔にアシュレイは見覚えがあり、その感覚にターヤとアクセルは覚えがあった。
「ケルベロス……!」
 やはりか、という思いが心中を占める。実際に彼女達が《地獄の番犬》ケルベロスと相対した事は無かったが、《冥府の女神》ヘカテーの宿主であったアシュレイは、ケルベロスの姿に既視感と確信を覚えていたのだ。
 彼女の反応から、アクセルも自身の推測が正しかった事を知る。
「〈防護領域〉!」
 その間にも、ターヤは自身の周囲に防御魔術を発動させていた。本家よりは性能も範囲も劣るが、魔術として再構築された〈結界〉の簡易版である。
 すばやく次の詠唱に移った彼女とは反対に、アクセルとアシュレイは相手との距離をじりじりと測っていた。
 ニールソンはその場から一歩も動いていないが、その周囲はいつの間にか黒い影に覆われており、犬の首はそこから飛び出していた。しかもまだ一つしか姿を現していない為、油断はできなかった。何せ《地獄の番犬》の首は三つあるのだから。
 加えて、アシュレイの攻撃は闇魔には届かない為、彼女は囮役を買ってでるくらいしかできそうになかった。昨夜の特訓と彼女の驚異的な順応性、そして気配を読む事でそれらの穴をもカバーしている為、もう目の件には何ら問題は無かったが、そこに安堵していられるような状況ではない。
 かくして迂闊に動けず、二人はタイミングを計ってもいたのだ。
(あたしが生み出した闇魔の眷属に憑かれた、あたしの元上司、か)
 そうしながら、皮肉な事だとアシュレイは内心で自嘲してもいた。飼い主とペットの関係は、宿主と闇魔とでは逆転していたのだから。
 とにもかくにも停滞してしまった戦場だったが、これでは埒が明かない上に時間を無駄に浪費するだけだと踏んだアシュレイは、再度ニールソン目がけて跳び出す。
 彼女の行動にアクセルは一瞬面食らうも、すぐに気を引き締めて大剣を構え直した。そうしてタイミングを見極めようとする。

ショツバライヒ

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