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三十三章 牙を剥く獣‐determination‐(1)

「ひとまず、私はヴェルニーさんを送り届けてまいりますね」
 このままでは埒が明かないと判断したオーラは、先に行っておくべき事を決めると、それを皆へと提示する。
 しかし彼女に応える者は疎らであった。何せ、一行は精神的に疲弊していたのだから。
 加えて、エマの件に引き続き、またしても〔騎士団〕に引っ掻き回された彼らは、もうずっと同じ場所から動けていなかった。街に戻る事もできず、ただそこに留まっているだけでは、身体の方にも疲労が蓄積していくのも無理のない事だったのだ。
 つまりは、個人差はあれど、一行はその全員が心身ともに疲れていたのである。
 それを知っていた為、元より返答には期待していなかったオーラは、言ってからすぐにソニアの拘束を解き、魔術で宙に浮かび上がらせる。それから彼女を連れて、これまた魔術で作った空間の捻じれを通り、どこへともなく出かけていった。おそらくは聖都なのであろう事は誰の目にも明らかだったが。
 その姿を見送ってから、ターヤはつい先刻と同じように、ただし今度はアクセルだけに目を向ける。
 彼は、今回も強い衝撃を受けたままの姿だった。ただし力無く座り込んでいる訳ではなく、首を下方へと下げて立ち尽くした状態である。それでも精神的に与えられた打撃の強さは、さほど変わらないらしい。
(やっぱり、何て声をかければ良いのか解らないや)
 出会った頃に比べれば自分は成長したと思っていたが、今は何一つとしてかけられそうな言葉が思い浮かばなかった。その事がターヤにとっては歯痒く、若干悔しくもある。
 皆もまた同じように適切な台詞が思い付かないのか、黙って遠巻きに彼を見守るだけだ。
「アクセル」
 だが、そこで彼の名をしっかりと呼ぶ者が居た。他ならぬアシュレイである。彼女はいつの間にか彼の眼前に立ち、仁王立ちとなっていた。
 けれども、案の定アクセルから返答らしきものは発されない。
 予想通りの反応にアシュレイは、はぁ、と呆れ顔となって息を吐き出した。
「あのねぇ。あんた、幾ら何でも精神的に弱すぎよ」
 適格としか言えない言葉にアクセルの肩がびくりと揺れ、けれど何事も無かったかのようにすぐ停止する。しかし、つい一瞬前までと比べると強張っているように見えた。
 明らかに図星を突かれたのだと判る彼に、アシュレイは溜め息をもう一つ零す。
「別に、責めてる訳でも責めたい訳でもないわよ。けど、そのままだとあんた、今に立ち直れなくなるわよ? ……あたしが言えた義理じゃないとは思うけど、もう少し強くなりなさい」
 それでもアクセルは応えなかった。ただし、その顔は尤もだと言うかのようにきつく引き締められていたが。
 これ以上は何を言っても無駄だと判断し、アシュレイはそこで切り上げる。
 それから小一時間くらいは何も起きず、アクセルに声をかけようとする者も居らず、途中でオーラが戻ってきたくらいだった。彼女はソニアを送り届けてきた事については触れず、他の皆も訊こうとはしなかった。
(お腹空いたなぁ)
 そして場違いだとは自覚しつつも、ターヤは空腹を覚えていた。何せ朝食以外は口にしていない上、連戦に続く連戦で疲労も蓄積していたのだ。幾ら休息を取っているとは言え、それだけで体力は簡単には回復してはくれない。しかも食欲は生理現象であり、生きていく為には栄養を摂らなければならない。逆らえる筈が無かった。
 そんな時だった。
「それにしても、もうとっくに昼を過ぎていたんだな。腹も空いてきたし、気分転換がてら遅めの昼食にしないかい? とは言っても、今食べると、夕食が入らなくってしまうかもしれないけどな」
 まるでターヤの思考を読んだかのように、レオンスが皆へと聞こえるように、若干の茶化しを含めながら提案してきたのである。思わず彼を見た彼女にウインクしてみせると、彼は再び皆を見回す。
 言われて他の面々も気付いた、あるいは同じことを思っていたらしく、反論する者は居なかった。
「それでしたら、今回は私が作らせていただきます」
「あ、ぼくも手伝う!」
 オーラが名乗り出れば、マンスもまた挙手する。
 かくして、とりあえずは何か腹ごしらえでもするかという話になった時だった。

「!」
 弾かれるように首都の方をアシュレイが見れば、一瞬遅れてオーラやレオンス、スラヴィもまたそちらを振り向く。
 ターヤやマンスも空腹を忘れ、また〔騎士団〕でも来たのかと緊張の面持ちでその方向を注視した。
 最初はアシュレイ以外の面子には何も見えなかったが、徐々に何かが空を飛ぶようにしてこちらに近付いてくるのが判った。その姿が確実に認識できる距離になった瞬間、皆の警戒レベルは一気に跳ね上がる。
「「!」」
「ブレーズ……!」
「やけに殺気立ってると思ったら、やっぱりあんたか」
 思わずアクセルは息を飲む。
 アシュレイは嘆息しつつも瞬時に盾になるかのように彼に背を向け、表情を引き締めてブレーズを睨み付けた。
「それで、あんた、何しに来たのよ?」
 答えの解りきった問いではあったが、相手の精神状態を図る為の物差しとしての意図もあった。
 これに対し、ブレーズは一行を睨み付ける眼付きを一気に強めた。そこから、彼が感情に任せて突っ走っているのだろう、と即座にアシュレイは推測する。
「クラウが……クラウが、俺様を見なかった! 俺様を唯一だと、心の底から信頼してくれたあのクラウが、俺様を……!」
「「!」」
(やっぱり、エマはもう……!)
 その言葉が意味するところに皆は驚き、そしてターヤは再び胸の痛みを覚える。
「ったく、こんな時に八つ当たりにしにくるなんて!」
 同様に感じながらも、アシュレイはその想いを振りきった。呆れたように嘆息してみせる。
 最早自分の世界に入り込んでしまっているらしく、繋がっているようで文脈が乱れている言葉を吐き出しながら、ブレーズは武器を構えた。
「貴様らのせいだ! そうでなければクラウが俺様を……! 貴様のせいだ!」
 彼が声の限りにそう叫ぶや否、それに呼応してクラウディアが一行――アクセル目がけて突進する。
「〈結界〉」
 相手の行動を予期して傍に寄ってきていたスラヴィはすばやく〈結界〉を構築し、一行全員を防御範囲内に包み込む。
 一直線に突っ込んできたブレーズとクラウディアは、案の定〈結界〉に真正面から衝突した。瞬間、薄い膜の内部にもその衝撃が伝わる。
「邪魔、だぁぁぁぁぁっ!」
 突撃を阻止された事により益々怒気を強め、ブレーズは咆哮する。
 それに応じるかのようにクラウディアが雄叫びを上げた瞬間、彼女の突撃の勢いが強化されて〈結界〉が揺らいだ。どうにも龍の咆哮には勢いや力を増す効果があるようだ。
「っ……!」
 珍しくスラヴィが眉根を寄せて吐息を零す。
 相手の攻撃がかなり強力なのだと知り、一行は武器を構えたり手にしたりしたまま、更に警戒を強めた。それから、アシュレイやレオンスは攻勢に転じる為の糸口を探す。幸い、相手は冷静さを欠いているので付け入る隙はありそうだった。
 逆に、ターヤとマンスは〈結界〉が崩れた時の為に、なるべく後方へと下がっておく。すかさずオーラもアクセルを引っ張るようにして連れながら下がり、三人を覆うように新たな〈結界〉を構築した。
 その直後、スラヴィは自ら〈結界〉を解くと同時に横側へと跳ぶ。
 他の面々も同様にその場から一旦離脱した為、ブレーズを乗せたクラウディアは、その勢いのまま地面へと突進する事となった。

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