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三十二章 心に負う傷‐Ashley‐(8)

 互いに顔が見える距離まで来ると、アンティガが一行を見回す。
「なるほど、《暴走豹》が〔軍〕を辞めたという噂は確かだったようだな」
 そうして彼が値踏みするかのように偉そうな態度をとれば、それに負けず嫌いのアシュレイが刺激されない筈が無かった。
「わざわざ噂の真偽を確かめにくるなんて、《副団長》の地位はよっぽど暇みたいね」
「その言葉は《元帥》の寵姫を辞めた小娘に返そう。貴様とは異なり、これでも吾輩は多忙な身分であるからな」
「あら、最近はクレッソンの後手に回ってるって話か、あたしは聞いた覚えがないけど?」
「黙れ!」
 挑発するような皮肉合戦の最中にアシュレイが向けた一言が気に障ったらしく、瞬間的にアンティガは噴火した。つい数秒前までの余裕に塗り固められた表情など想像できない程の形相であった。
 それまでの偉そうな態度との変わり様に目を瞬かせるターヤだったが、すぐに相手が攻撃に転じてくるかもしれないと気付いて慌てて気を張り直す。
 益々その場の空気は張り詰められていくが、アンティガは激昂したまま片手を持ち上げ、そして指と指とを擦り合わせて合図を出した。
 その直後、一行目がけてセレスが幾つもの爆弾を投げてきた。
「〈結界〉」
 即座にスラヴィが結界を張り、ターヤとマンスとオーラは構え、アシュレイは誰よりも速く飛び出す。
「!」
 だが、そこで彼女は嫌な予感を覚えた。突如として別の気配が後方に現れたからだ。
(これって――)
 慌てて振り向いた時には、全てが遅かった。
 リンクシャンヌ山脈を構成する岩山のすぐ傍には、いつの間にか一行の後ろをとるように法衣を纏った女性が現れており、彼女は無言で持っていた杖を振ろうとしたからだ。
 同じくそこでの伏兵に気付いたスラヴィやレオンス、アクセルも止めようとするが、それを阻止するかのように一行の周囲に爆弾が落下した。
「「!」」
 それは地面に衝突した瞬間、もうもうと煙幕を吹き上げて僅かな時間ながらも一行の視界を奪う。
 同時に、その場に何かを突き立てる役割も果たしたようだった。
「「!?」」
 しかしその『何か』を確かめる前に、一行を囲むようにして〈結界〉の如き薄い膜が発生する。それは同時にスラヴィが構築していた〈結界〉を掻き消し、アシュレイ以外の全員をその内部に閉じ込めていた。
 突然の事態に皆は驚かざるをえなかったが、アクセルはそれよりも、先程見えてしまったその術者の方に意識を奪われていた。
「ソニア!」
 思わず上げられた声に、え、とターヤは驚きの声を上げた。
 そうこうしている間にも多量ではなかった煙幕はすぐに霧散していき、再び一行は視界を取り戻す。
 そこに立って杖を手にしていたのはアクセルの言う通り、他ならぬソニアであった。けれども、その目には普段のような生気も光も宿っておらず、まるで心が崩壊しているかのように死んでいる。アクセルの呼び声にすら全く反応を見せないところからして、尋常ではなかった。
 明らかに様子のおかしい彼女を見て、ターヤは先刻のクライドとエルシリアが〔騎士団〕に従う形となっていた事を思い出し、アクセルはアンティガへと激怒の矛先を向けた。
「てめぇ、ソニアに何をしやがったんだ!」
「何、少しばかり自我を奪って操り人形としただけであろう。永続性ではないからな、安心するが良い」
「っ……! この野郎……!」
 アクセルの怒りなど何のそのとばかりに愉快そうな声で説明するアンティガに、彼が益々怒気を強めたのは言うまでもない。

 アシュレイもソニアのことは好きではなかったが、この仕打ちは許されるものではないと思った。
「随分と姑息な手を使うのね。流石は〔騎士団〕だこと」
「クレッソンが貴様らを計画の駒として数えている事など、既に承知しておる。ならば、今ここで貴様らを消してしまえば、あの若造の企みを挫く事ができるという訳よ」
 激情の色など最初から無かったかのようにすっかりと脇に追いやり、アンティガは相手を見事なまでに自身の策に嵌めた事への優越感に酔い始めていた。もうアシュレイの皮肉にも反応すらしない。
 その間にも、既に現況を打開すべくオーラは何度も魔術を使おうとしていたが、何回構築しようとしても即座に魔術は霧散してしまっていた。体調は大分回復しているので自身が原因ではないと整理したところで、彼女はもう一つの有力な要因がある事に気付く。
「これは……〈反魔術〉を〈結界〉として応用した術式ですか。それを、ヴェルニーさんが持っているあの杖の魔道具に刻んだのですね」
「流石は《神器》と褒めておくべきなのだろうな」
 アンティガの応えこそが回答そのものであり肯定であり、オーラは僅かに眉根を寄せた。それでも弱みは見せないとするかのように、悔しさらしき色は滲ませない。
 一方、ターヤもまた何もできない事に焦燥を覚えていた。自分達が囚われている場所が〈反魔術〉の効果を持つという事は、《世界樹の神子》としての力も形無しだからである。オーラと同じように何度試してみても使えなかったのだから、つまりはそういう事なのだろう。
 魔術が使えない面々は物理攻撃で壊せないものかと試していたが、そちらの方も何ら効果は無いようだった。
「くそっ、固ぇな……くそっ!」
 ソニアを良いように使われている上、アシュレイが一人敵に囲まれているとあって、アクセルは人一倍焦りを露わにしていた。
「また魔道具に隠されてヴェルニーの接近にも気付けなかったし、してやられたね」
「流石にまだ《策略家》は健在って事か」
 スラヴィとレオンスもまた解決策が見出せないらしく苦々しげな顔をしており、マンスは困惑と混乱の入り交じった表情であった。
 そして、ターヤは焦りと不安とに駆られていた。
(アシュレイはそこに居るのに、わたし達は何もできずにただ見てる事しかできないの?)
「さて、《暴走豹》がどのようにしてこの場を切り抜けてみせてくれるのか、せいぜい楽しませてもらうとしよう」
 一行とは対照的に、アンティガは愉快と言わんばかりに嗤っている。
 セレスの目は、最初から心を殺しているかのように死んでいた。
 周囲には何十人という騎士達、眼前には幹部級の《爆弾魔》と第二位に立つ《策略家》という布陣の中、アシュレイは背後の仲間達を護る為にたった一人で戦わなければならない状況に追い込まれていた。


 ほぼ孤立無援に等しい立ち位置に置かれてしまったアシュレイは、表には出さないように気を付けながらも内側では歯噛みする。幾ら敵方の大半は相手にもならない雑魚とは言え、体力的に時間制限のある彼女には、一人でこの場を切り抜けられる自身など無かった。
 たった一つ、とある手段を除いては。
 けれども、アシュレイ自身は不確定な要素を当てにするのは自爆も同然と考え、その手段には頼らない方向で何とかしなければと思案していた。
「おいアシュレイ、良いからおまえは一旦引け!」
 一方、状況が芳しくないと踏んだアクセルは彼女を心配するあまり、思わずタブーとも言える言葉を放ってしまう。ソニアのことも気がかりであった彼は、すっかりと冷静さを欠いていた。
 瞬間、あ、と皆は現状も忘れかけて、呆れたようにアクセルを見てしまう。
 そしてアシュレイは、皮肉にもその発言で決意する事ができた。プライドという名のスイッチを、しっかりと最奥まで押されてしまったが故に。

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