top of page

三十二章 心に負う傷‐Ashley‐(6)

「その瞬間、あたしはあの男に飛びかかった。だけど、事前に付けられていた魔道具が、あの首輪が、それを許さなくて、あたしは無様にその場に倒れ込むだけだった。当時、その魔道具にはせいぜい反抗を制限するくらいしかできなかったから、あの男はあたしを用済みだって言って殺そうとした。だけど、その前にあの男の方が捕らえられたの。当時の《元帥補佐》だった、ニールによって」

 アシュレイは名称こそ口にしなかったものの、その首輪の魔道具が、エルシリアが着けられていた〈服従ノ首輪〉である事は、その場の全員が理解していた。
 そして、とうとうその名が出てきた事で、ターヤは思わず唾を飲み込んでいた。
「元々ニールは、あの男に不審と不満と抱いてたらしくてね、密かに同士を集めて、内部革命を起こす機会を窺っていたそうよ」

 どうやら前任の《元帥》は、内部においても不満が募るくらいには酷い人物だったようだ。

「ともかく、そうしてニールが新しい《元帥》になったんだけど、今度はあたしの処分の話になったの。前《元帥》に無理矢理従わされてたとは言え、〔軍〕自体を恨んでいるかもしれない危険な魔物だから、って。他にも魔人や獣人も従わせられてたんだけど、彼らは軒並み戦死しちゃってたから、残ってたのはあたしくらいだったのよ」
「そんなの……!」
 この話を聞いた瞬間、思わずターヤは声を上げていた。それは途中までしか言葉にはならなかったが、アシュレイには言いたい事は伝わったらしかった。
「そうね、確かに理不尽な話ではあるわよね。でも、あたしはまだ幸運な方だった。だって、ニールが絶対服従の〈契約〉を結ぶという名目で、あたしを救ってくれたんだから」
「だから、最初に守る為だった、って言ったんだ」
 ようやく脳内で話が繋がったらしく、マンスが驚きの声を上げる。
 皆もまた同じように思っている事は各々の表情から窺えた為、彼らに対してアシュレイは首肯した。
「ええ、本当に最初はそうだったのよ。だけど、同時にあたしはヘカテーという闇魔を生じさせてしまっていて、そのせいでニールを闇魔に感染させてしまったんだと思う。だから、ニールは徐々におかしくなっていって……気付いた時には、今のニールになっていたの」
「《元帥》が闇魔に、か。確かにそれなら、人が変わったっつー話にも納得がいくな」
 先程までの沈み具合はアシュレイの過去に対する衝撃により緩和されつつあるのか、通常に近い様子まで戻ったアクセルが独り言のように呟く。
「けど、それはおまえのせいじゃねぇよ。闇魔に感染するっつー事は、遅かれ早かれ、そいつは闇魔に憑かれてたかもしれねぇんだからな」
 すっかりと元通りに近くなっているアクセルに、皆は驚かざるをえなかった。
 そしてアシュレイは同様に驚くも、礼を述べるかのように彼へと微笑みかける。それから皆を見回した。
「前置きはここでお終いよ。ちょっと長くなりすぎたけど、あんた達には知っておいてほしかったから、事細かに話させてもらったわ。この後は……本題の、エマ様との関係についてだから」
 そこまで言ったところで、彼女はアクセルの様子を窺った。
 エマの名前に思わず両肩が跳ね上がりかけたアクセルだったが、大丈夫だと言うようにアシュレイと目を合わせて頷いてみせる。それでも、その顔には緊張の色が残されたままだった。
 それを知りつつも、本人の意地を尊重してアシュレイは全体に視線を戻す。
「あたしがエマ様と初めて出会ったのは五年前の、〈軍団戦争〉が停戦になった時だった。その時のあたしは助かった事に対する喜びもあったけど、あの子を護れなかった事に対する悲しみと自責の念の方が強くてね、ただそこに居るだけの状態だったわ。ニールからは呼ぶまでは好きにしてて良いって言われてたけど、何もする気にはなれなかったから」

​ 苦し気に、けれども懐かしむように、アシュレイは言葉を紡いでいく。

「そんな時、あたしはエマ様と出会った。どうしてエマ様がグライエル荒野の近くに居たのかは未だに解らないけど、もしかすると、前に居たギルドが少なからず心配だったのかもしれないわね」
「ちょっと待ってくれないか」
 そこでレオンスが話の腰を折った。
「エマニュエルは……いや、クラウディアは、やっぱり〔騎士団〕だったのかい?」
「ええ、そうよ。エマ様は元々〔月夜騎士団〕に属していたそうなんだけど……私情から、六年前に辞めたんですって」
 その『私情』というのが弟の仇を捜す為なのではないかという事は、一瞬アシュレイが言いよどんだところからも、皆の中では確実性を持ち始めていた。
 自然とアクセルに視線が集ってしまうも、彼は気にしないという態度を取り繕っている。

 彼の態度に感謝して、便乗する形でアシュレイは続きを紡ぐ。
「最初は知らない相手だから警戒したんだけど、相手が一人で戦場の跡地なんかに居るあたしを気遣ってくれて、優しくて歳の近い女性だっていう事もあって、すぐに懐いちゃったわ。それにきっと、あの時のあたしは愛に飢えてたんでしょうね。でも、エマ様のおかげで大分立ち直る事ができたのよ」
 当時に回帰するかのようにアシュレイは嬉しそうな表情になるも、すぐに我に返って元の真剣な顔付きに戻った。
「だから、本当はエマ様が女だって事は最初から知ってたのよ。でも、それはエマ様との契約だったから、ずっと黙ってたの」
「契約って、さっき言ってたのと同じ?」
「いいえ。ニールとの〈契約〉は正式なものだから強制力を持つだけど、エマ様との『契約』は本当に口約束なものだったわ。とは言え、当時は制御できなかった魔物化の力を抑えてくれた点では、正式な〈契約〉だと言えるのかもしれないけど」
 どこか興味深そうにマンスが問うが、アシュレイは首を横に振ってみせた。それから、後頭部でお団子を作っているリボンに触れる。
 詳しくは語られなかったが、その行動により、それが〈契約〉で使用されたのではないかと皆は推測した。もしかすると、そのリボン自体が魔道具なのではないのか、とも。
 当の本人は気付いていないのか、どことなく懐かしげな雰囲気を醸し出しながらも真面目な表情で続きを語る。
「知り合ってしばらく経ったある日、エマ様が自分のことをぽつぽつと話してくれた時があってね、そこで弟の仇を捜してるって事も、両性具有だって事も知ったのよ」

 そこまで自らの事を明かしたという事実こそ、やはり少なからず彼女に救われていた証なのだと、ターヤは確信する。

「エマ様のおかげで頑張ろうと思えるようになってたあたしは何か恩返しがしたくて、自分から協力を申し出たの。エマ様は断ったんだけど、あたしが必死になって何度も言うもんだから、遂には折れちゃってね、承諾してくれたのよ。その代わり、危険な事はしないでくれって言われたけど」
「もしかして、だから君はエマニュエルが好きだという態度を取り続けていたのかい?」
 と、そこで何かに思い当たったかのようにレオンスが口を開いた。遠慮がち且つ確かめるような様子だった。
 まさかと思った面々だったが、アシュレイはそれを肯定した。
「ええ、その方がいろいろと都合が良いと思ったからよ。好きな人が居ると公言しておけばエマ様と居ても不自然じゃないし、ニールはあたしには甘かったから、重要な仕事じゃない時は融通してくれると思ったの」
 あっけらかんとした声で答えるアシュレイだったが、実に何とも打算的な考えである。十歳にしてそのような思考になれたとは、などと思ってしまう皆であった。
 一方で、ターヤはレオンス同様に納得してもいた。
「やっぱり、アシュレイのエマに対する『好き』は、忠誠心とか尊敬って感じだったんだね」
「でも、男のエマ様に胸が高鳴ったのも本当よ?」
 悪戯っぽく紡がれたその言葉に、アクセルが目に見えて判るくらい動揺した。
 そんな彼の様子を一瞥してから、アシュレイはどこか柔らかい表情へと変わる。
「でも、それは恋なんかじゃなかった。自分でも知らないうちに、あたしはちゃんとそういう意味で好きな人が居たみたいだから」
 そう言って視線を寄越してきたアシュレイに、再びアクセルの表情が変わる。それは、紛れも無い期待だ。
「そ、それって――」
「とにかく、あたしとエマ様はそういう関係だったの」
「っておい!?」
 だがしかし、アシュレイは何事も無かったかのように表情も話題も戻した為、思わずツッコミを入れてしまうアクセルなのであった。
 けれども、その様子を見たターヤ達は安堵を覚えていた。

ページ下部
bottom of page