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三十二章 心に負う傷‐Ashley‐(3)

 それでも構わずターヤは続けた。
「いつから好きになってたのかは判らないんだけど、エマがあっちに行っちゃった時、凄く胸が痛くなって……それでようやく解ったの。わたしはエマが好きだったんだ、って」
「そう、だったの……」
 つい先程まで落ち込み自責の念に囚われていた事も忘れて、呆気にとられたままアシュレイは何とか相槌を打つ。しかし、すぐに疑問を向けた。
「でも、何でいきなり、その話をあたしにしたのよ?」
「やっぱり、エマのことを一番解ってたのはアシュレイだと思うから、何となく言っておきたかったの。……何だろ、好きな人の家族に話すっていう感覚なのかな?」
 お世辞でも何でもなくただ思ったままに言えば、それを察したアシュレイがばつの悪そうな顔になる。目付きもまた、相手の様子を窺うかのようなものになった。
「あたしが、エマ様を好きだと知ってても?」
 どことなく試すような色合いを含んだ声だった。
 しかし、それが彼女が言うような意味ではない事にターヤは気付いていた。故に、彼女は再び首を横に振ってみせる。
「それはわたしと同じ『好き』じゃないよ。だって、アシュレイがそういう意味で好きなのはエマじゃなくて、アクセルなんだよね?」
「!」
 ターヤが確信を持って尋ねるように言えば、即座に変化したアシュレイの表情が肯定を示した。彼女はすぐにそれを引っ込めるも、その後も同様の色が窺える顔をしていた。
「いつから、気付いてたの?」
 頬を徐々に赤く染めていきながらも、アシュレイの周囲には幾つものクエスチョンマークが飛んでいた。あれだけ何度も判りやすい様子になっておきながら、当の本人はターヤには全く気付かれていないと思っていたらしい。
 意外と抜けたところのある彼女を可愛いと感じつつ苦笑しながら、ターヤは答える。
「いつって言うか、気付いたら何となくそうなのかな、って。だってアシュレイ、アクセルがソニアと話してたりすると明らかに不機嫌になるし、でもそれを隠したがるし。でもエマ相手だとそういう事はあんまり無いし、それにアシュレイのエマに対する『好き』って、何だか忠誠心みたいな感じだったから」
 思っていた事、感じていた事を口にすれば、途端にアシュレイが大きな溜め息を吐いた。羞恥を通り越して、最早解りやすい自身への呆れに変わってしまったようだ。
「って事は、全員に気付かれてるんでしょうね。スラヴィやレオンスには何度かからかわれたから、気付かれてるんだろうとは思ってたけど」
「うん、多分みんな気付いてると思うよ? でも、これで堂々と言えるようになるね」
 苦笑いを浮かべたままそう言えば、今度は呆れの対象がターヤへと変わる。
「あんたって、本当に訳の解らない奴ね」
 けれどその顔は困ったように笑っており、こちらが本心なのだと判るものだった。
 少しは元気なってくれたのだろうか、とターヤは少しばかり安堵する。
 すると、まるで図ったかのように、アシュレイが笑みを浮かべたまま眉尻を下げていく。
「でも、そんなあんただからきっと、エマ様の様子に気付いてあげられたのね」
「アシュレイ……」
「やっぱり、あたしじゃ駄目だったの。エマ様の理解者には……役不足だったのよ」
 再び膝に顔が埋められる。先刻よりも手には力が籠っているようだった。
 何と声をかければ良いのか、やはり今回もターヤには解らなかった。ただ、あくまでも憶測の範疇ではあったが、これだけは言っておきたい事があった。
「それでも、エマはアシュレイが傍に居てくれて、救われた事もあると思うよ」
「……!」
 アシュレイが息を飲む音。

 これ以上はこの場に居座らない方が良いだろうとターヤは判断した。
「じゃあ、わたしはそろそろ、みんなのところに戻るね。アシュレイも、急がずにゆっくり考えた方が良いと思うよ。慌てちゃうと、きっと益々こんがらがっちゃうと思うから」
 そう言いながら立ち上がり、踵を返して皆の居る場所まで戻ろうとする。
「ターヤ」
 けれども思いがけず名を呼ばれ、思わず立ち止まって振り向く。アシュレイは相変わらず、こちらに背を向けて膝を抱えて座った姿勢のままだったが、ターヤは聞き間違いだとは思わなかった。
 少し時間を要してから、ようやくアシュレイは本題に入る。
「話してくれて……聞いてくれて、ありがとう」
「ううん。わたしの方こそ聞いてくれて、話してくれて、ありがとう」
 向けられた言葉に同じく思ったままを返し、ターヤはその岩場から離れて元の位置まで戻ろうとする。
 だが、その途中で、彼女は少し離れた位置の岩から覗く黄色い頭を見つけてしまった。
「スラヴィ」
 驚いて立ち止まると同時に名を呼べば、ゆっくりと少年が振り向くようにして姿を現す。その顔は普段通りの無表情でありながら、どこか申し訳無さそうだった。
「……ごめん、聞くつもりは無かったんだ」
 彼にしては珍しく、躊躇いがちな謝罪だった。
 しかし、スラヴィが故意に盗み聞きをするような人物ではないと知っているからこそ、ターヤは首を横に振る。
「ううん、わざとじゃないんだから気にしてないよ」
 それは本心からの言葉だった。
 これを聞いたスラヴィはすまなさそうな色は残したまま、今度は提案をしてきた。
「なら、俺で良かったら話を聴くよ?」
 突然且つ急な申し出にターヤが目を瞬かせれば、彼から補足が入る。
「君にはイーニッドの事で世話になったから、何かできる事があればしたいんだ」
 そこまで感謝される程の事はしていないのだが、と更に瞼の開閉を行ってしまうターヤだったが、本人がそこまで思っている事は解ったので指摘も訂正もしない。その代わり、こちらにもまた本音のままに応えた。
「ううん、わたしは大丈夫だよ。ありがとう、スラヴィ」
 すると少年は、適わないとでも言うかのような様子になる。
「君は、本当に強いんだね」
 心底羨ましげな声だった。
 けれども、彼が思っている程自分は強くないのだと、再三ターヤは首を振ってみせる。
「そんな事無いよ。だって、今だって、エマのことを考えると胸が痛くなるから」
 そっと、触れるくらいの強さで自身の胸に触れる。そこにはまだ、先程までの痛みが残っていた。エマのことを思い浮かべれば、途端に再開するくらいには。
 しかし、今度はスラヴィが首を横に振る番だった。
「俺からしてみれば、君は充分強いよ」
 イーニッドとの一件を知っているターヤにとってみれば、実に説得力のある言葉である。その為、ついつい彼女の表情は苦笑いになってしまった。
 一方その頃、レオンスはアクセルの許を訪れていた。
 しばらくは放置しておくべきかとも思ったのだが、本人曰く『ちょっと』アシュレイを捜しにいったターヤと、さりげなくその後を追ったスラヴィがなかなか戻ってこなかった。これは話し込んでいるのだろうと踏み、そうなればもう一人の方も放っておくべきではないとの脳内結論に至ったからである。
 故に彼はオーラとマンスに断ってその場を離れ、アクセルのところまでやってきていた。
「まだ落ち込んでいるんだな」
 未だ微動だにもしない青年をほぼ正面から見下ろしながら、若干の揶揄を含んだ声を落とす。案の定反応は見受けられなかったが、構わずレオンスは続けた。

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