The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十二章 心に負う傷‐Ashley‐(12)
瞬間、全ての爆弾がいっせいに起爆し、周囲を炎と硝煙の香りとが覆う。
「〈消去〉」
遅れて、どこか焦ったような声でオーラの魔術が発動される。
瞬く間に炎も火薬の臭いも消え去り、そこでターヤは恐る恐る瞑っていた目を開ける。
「……!」
開けて、言葉を失い息を飲んだ。
それは、皆もまた同じ事だった。
一行は中途半端に構築された〈結界〉の中に居たが、アクセルとターヤの前方向までは間に合わなかったらしく、その部分はアシュレイが盾代わりとなる事で補っていたのだ。その背までは見えなかったが、諸に爆弾を受けているであろう事は明らかだった。
一行の目の前で、豹は人の姿へと戻る。一行全員を見回してから、アシュレイは安心したように表情を和らげた。
「無事みたいね」
その顔には苦痛の色も無く、身体にも目立った外傷は無さそうだったが、彼女がこちらに背を向けた事で、その髪が肩の近くまで焼け落ちてしまっていた事に皆は気付く。その代わりか、背中に傷は無かったのだが。
爆発の一瞬前に安全地帯まで退避していたセレスもまた、唖然とした顔でアシュレイを見ていた。まるで自分の仕出かした事に、今になってようやく気付いたかのようだった。
「アシュレイ、髪が……」
思わずターヤが震える声で呟けば、そこで初めてアシュレイは気付いたようだった。手を回してすっかりと短くなってしまった髪に触れ、状況を把握して胸をちくりと刺されたような痛みに襲われる。それでも、そこまでの衝撃は覚えなかった。
「ああ、別に良いわよ。また伸ばせば良いじゃない」
「でも……」
髪は女の命だと言う。アシュレイ自身も髪の手入れはきちんとしているようだったので、それが燃えてしまったのに全く気にしていない訳はないのではないか、とターヤは思っていた。
自分の事のように心配するターヤにアシュレイは困ったように苦笑し、それを見たアクセルは助け船を入れようとする。
「別にそのままでも良いじゃねぇかよ。俺は髪が短い方が好みだぜ?」
「あんたの好みなんて、知らないわよ」
フォローしているのだかアピールしているのだか判らない言葉に、はぁ、と溜め息が一つ零れ落ちる。それでも、彼の言葉に悪い気はしなかった。
「使えない雑兵共め……!」
絞り出したかのような地を這う声が聞こえ、皆はそちらを見る。
その声の主であるアンティガは気絶して倒れ伏す騎士達、並びにセレスを睨み付けていたが、すぐに一行へと標的を変える。
また、倒れたソニアは念の為オーラの魔術で拘束されており、その手から離れた杖の魔道具もまた地面にがっちりと固定されている。こちらも、もう心配は要らなさそうだ。
「所詮、これがあんたの底って事よ。自分を過信しすぎなんじゃないの?」
今度はアシュレイが相手を挑発する番だった。先程までもお返しとばかりに、彼女は馬鹿にした態度となって相手の敗因を指摘する。
これに乗って顔に血管を浮かび上がらせかけたアンティガだったが、またしても何とか持ち堪えた。それから次はこちらの番だとばかりに顔に余裕を貼り付け、大仰な仕草となって口を開く。
「ならば、貴様はどうなのだ? これまで、自らの意思で動いてきた事があったと胸を張って言えるのか?」
相手の変わり身の早さに面食らいつつも、いきなり何を言い出すのかとターヤ達は訝しげに眉を顰める。
アシュレイは、笑みを消してその言葉を聞いていた。
「常に《元帥》の手駒であった点においては、今も昔も同じ事であろう? そうやって〔軍団戦争〕の際に、いや、今までいったい何人屠ってきたと言うのだ? その度に、これは命令だからと自身に言い聞かせてきたのだろう?」
明らかに精神的な弱みにつけ込もうとしている手口であった。
それでも相手の意図が解ってはいても、精神的な傷に塩を塗り込まれると、途端に太刀打ちできなくなってしまうのが人という生き物である。特に精神的な傷が大きかったり、精神的に弱かったりする者ならば、尚更だ。
慌ててアシュレイを見た一行だったが、彼女はそれを認めるかのように完全に無表情を作っていた。
「ええ、そうね。あたしは、そうやって自分の心を保とうとしてきたわ。そうでもしないと、心が壊れてしまいそうだったから」
明確な肯定である返答に、アンティガは気分を上げる。
だが、一転してアシュレイはその瞳に光を宿し、決意の色で彩られた表情となるや、真っ向から相手を睨み付けた。
「けど、今のあたしは違う。もうあの日の事も、これまでの事も全て気入れられる。だって、今のあたしには心強い味方がついてるんだから」
一行を振り返って大丈夫だと言うように微笑んでみせる。それから首を元の方向に戻し、相手へと挑発の意図も含んだ得意顔を見せつけた。
完全に当ての外れたアンティガは悔しさを覚えるも、意地でもそれを表に出そうとはしなかった。
「ふん、貴様は思っていた程弱くは無いらしいな」
「あたりまえでしょ。あたしを誰だと思ってる訳?」
ふん、と小馬鹿にしたようにアシュレイは鼻を鳴らしてみせる。
そこに反応しかけたアンティガだったが、再度それが青筋などとして露出する前に自制し、さも気にしていないふうを装う。
けれども、それを鋭い観察力で見抜いていたアシュレイは、益々優位な態度となるだけだった。
自身より上に立とうとする相手の態度が実に気に食わないアンティガだったが、そこでふと次なる標的を発見する。即座に脳内で計画が立てられれば、自然と顔がほくそ笑んでいた。
それに気付いたアシュレイだったが、手を打つ前に相手は話し始めていた。
「なるほど、確かに認めたくはないが、貴様は以前よりは強くなっているようだ。だが、その小僧はどうだ?」
唐突に矛先を向けられて、アクセルは思わず狼狽えてしまう。
相手の反応に大きく気を上昇させながら、アンティガは敵方に邪魔する隙を与えないよう畳みかける。
「貴様は確か、ディフリングと龍の小娘の親を殺した張本人であったな?」
確認するかのような問いかけではあったが、確信している事がよく解るわざとらしい声色であった。
「話に訊く限りではその事を悔やんではいるそうだが、貴様が幾ら後悔し、懺悔したところで、小僧共は貴様を親の仇としてしか見なさないであろう。理由がどうであれ、貴様があの小僧共の親を殺した事には変わりないのだから」
「っ……!」
ちょうど、つい先程まで自分が誰かの大切な人を殺していた事に強い衝撃を受けていたアクセルには、その衝撃と後悔と懺悔の念とを呼び起こされるには、それだけで充分すぎた。瞬くまでに顔からは血の気が失せ、頭の中が真っ白になる。
アシュレイは彼の変貌に弾かれるようにしてそちらを見て、再びアンティガを向いてから睨み付けながら武器に手を伸ばす。
逆に、アンティガは先刻のような優越ぶりを取り戻していた。
「吾輩に構う暇があるのならば、その小僧を慰めでもした方が良かろう。そうでもしなければ、誠に心が壊れてしまうやもしれぬぞ?」
彼の言う通りと言えばそうであった為、アシュレイは歯噛みしながらも、ただ相手を睨み付けるままでしかいられなかった。
皆も相手に攻撃する好機だとは重いながらも、同様に動けない。