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三十二章 心に負う傷‐Ashley‐(1)

 フローランもエディットも騎士達も――そしてエマも去った場所で、一行は休息をとっていた。ゼルトナー闘技場まで戻ろうかという案も出たが、これ以上はアクセルを動かせそうにはなかったからである。
 また、消耗の少ないスラヴィが〈結界〉の保持を買って出てくれたのもあり、一行は地面に腰を下ろすなどして休んでいた。
 そんな中、ターヤはエマが去った方向を眺めた姿勢のまま動かなかった。
(わたしは、エマが好き……。だから、あんなにも胸が痛くなって、こんなにもエマのことばっかり考えてるんだね)
 気付いてしまった感情はあまりにも大きく強く大切で、それでもターヤはそれを押し込める事にした。
(でも、今はそんな事を気にしてる時じゃないから)
 脳内にて自身に念を押すようにして言い聞かせ、ようやくターヤは今まで見ていた方向に背を向ける。まるで彼との縁を断ち切ろうとするかのように。
 そうして目にした仲間達の様子には、実に極端な差があった。
 敬愛していた彼に実質的な別れを告げられたアシュレイと、信頼していた彼に真実を突き付けられたアクセルは、誰の目から見ても明らかに強いショックを受けていた。前者は先程までのターヤと同様ある方向だけを見て立ち尽くしたまま、後者は力が抜けたかのように座り込んだまま、微動だにもしない。
 スラヴィはそんな二人を見ており、オーラは不調の回復に努めるべく腰を下ろしており、レオンスとマンスはその傍らに寄り添うようにしている。
(やっぱり、アクセルとアシュレイが一番堪えてるんだ)
 二人に比べれば自分の痛みなど大した事は無いのだと更に言い聞かせ、ターヤは先に他の四人が居る方向へと向かった。
「オーラ、大丈夫? 治癒魔術で治りそう?」
「いえ、大丈夫です。それに、治癒魔術ではどうこうできるものではなさそうなので、このまま少し休ませていただこうかと。御気遣い、ありがとうございます」
 声をかけられたオーラは驚いたようにターヤを見たが、すぐに表情を戻して首を振る。そこに、無理をしている様子は全くと言って良い程見受けられなかった。
「そっか、じゃあそのままゆっくり休んでてね。……レオンとマンスも大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫だよ」
「うん、ぼくも、だいじょぶ」
 同じく若干面食らったような二人だったが、少し間は開けつつも返事は返す。
「そっか。……スラヴィは?」
「俺も、大丈夫」
 最も吃驚したらしきスラヴィは、顔付きを戻せぬまま返答した。
 四人全員が特に大した怪我を負っていない事を知り、ターヤは今度こそ安堵の息を吐く。
「そっか。それなら良かった」
 心の底からそう思っている事が判る彼女の顔を見て、スラヴィは益々驚きを強めたのだった。
 そしてオーラもまた、そんな彼女に対して似たような感情を抱いていた。
(ターヤさんは、御強いのですね)
 それは、驚きというよりは羨望に近い感情。
(私などとは異なり、心が強く少しの事では揺さぶられな――いけません、こんな嫉妬を抱いていても、何にもならないというのに)
 ついつい肥大しかけたそれを慌てて抑え込み、戻ってこないくらい強く他方へと追いやる。それから、オーラは別の事へと思考を移した。
(ところで、先程のあの感覚……あれは、先日の〈星水晶〉による結界術式によるものと同じでした。おそらく、エマニュエルさんは〔騎士団〕本部から脱出する際に殿を務めた時にでも、それをニスラから渡されていたのでしょうね)
 先日の〔騎士団〕本部での一件を思い出しながら、オーラはまだ相手の方が上手である事に内心で唇を噛んだ。未だ、先手を打っているようで相手の掌の上だという事が、この上ないくらいに悔しかったのだ。

(私を御する為だけに〈星水晶〉を用意してくるとは……おそらく、クラウディアさんの力を御借りしているのでしょうね。ニスラの事ですから、大方ディフリングさんの信頼を勝ち得て〔騎士団〕に引き込み、彼を介してクラウディアさんの能力を手に入れたのでしょう)
 しかし、続けて飛び出したのは嘲笑だった。
 ブレーズの相棒である龍クラウディア。彼女が水属性――現在では氷属性から派生した、水晶に関わる能力を有している事は、オーラと一部の騎士しか知らないだろう。水晶であれば例え〈星水晶〉であろうと時間をかけて生成、成長させられるそれは、秘匿されるくらいに貴重なものなのだから。ただし、それにはクラウディア自身にかなりの負担がかかるのだそうだ。
 彼女に無理を強いてまで〈星水晶〉を必要とするのか、とオーラはクレッソンに負けている状況を忘却しようとするかのように、彼を嘲る。彼が相手になると自身が子ども染みた思考になってしまう事を、一応彼女は自覚していた。
 一方で、利害の一致や信頼の獲得などで必要な人材を得る彼の手腕に、一目置いてもいたのだが。
(ですが、これからは〔月夜騎士団〕の幹部を相手にする際には気を付けないと……でなければ、私は常に足手纏いと化してしまいますから)
 完璧主義者であるクレッソンが最もオーラを警戒しているのは昔からの事なので、彼女を無力化する為に今後も〈星水晶〉による結界術式を持ち出してくる可能性は充分にあった。
(本当は、私の問題を解決する方が得策なのですが……ウォリックさんの呪いは、聖域で養生しても、完全には解けなかったようですから。それ程、彼が私を穢したいという事なのでしょうね)
 自嘲すら浮かんできたところで、ようやくオーラは我に返る。このようなネガティブな思考に陥る事はもう止めようと〔騎士団〕本部での一件から心に決めていたのだが、どうしても癖は抜けきらないようだ。
(ともかく、次こそはニスラの思い通りになどさせません)
 傍に居る二人のことも忘れてオーラがそのように決心している頃、ターヤは恐る恐るアクセルの様子を窺いながら接近していた。皆は二人を遠巻きに見守っているだけだったが、彼に関してはそれだけでは駄目だと思ったからだ。
「あの、アクセル……?」
 それでも強気どころか普段通りの態度にもなれず、遠慮がちに声をかけるだけになる。
 反応は、やはり無かった。
「その……大丈夫?」
 無反応。
「えっと……あの、その……」
 それでも相手の表情どころか身体すらも微塵も動く様子が無く、結局ターヤは肩を落とした。
(ああ、かなり堪えてるんだなぁ……)
 アクセルは重傷なのだと知り、ターヤは一旦諦める事にした。アストライオスの一件以上の沈み様なれば、彼女にどうこうできる問題ではなかったのだから。やはり、親友をも自らの手で殺していた過去、そして唯一無二の相棒だと思っていたエマから突き付けられた本音は、彼の精神を容赦無く切り刻むには充分すぎたのだ。
 と、そこで視線を動かしたターヤは、アシュレイの姿が見当たらない事に気付いた。あれ、と思うも、彼女のことなので皆から離れて一人になりたかったのかもしれないと気付く。それでもやはり心配だったので、どこに行ったのかだけは確認してこようとターヤは思った。
「ちょっと、アシュレイを捜してくるね」
 皆にそう告げるだけ告げて、応答は聞かぬままターヤはその場を後にした。


 同時刻、リチャードは世界樹の街に戻ってきていた。
「ただいま戻りました」
 とうにお決まりとなった挨拶を口にするも、普段ならば律儀に出迎えてくれる筈の少年の姿は見当たらない。おや、とは思うがそれも一瞬の事で、次の瞬間にはすぐに思考は先程の事へと移行していた。ああ、と表情は変えぬまま内心で愉悦を覚える。衝撃を受け驚愕の面と化した青年と女性の様子は、彼にとっては甘美な蜜だった。
 他人の不幸は蜜の味、とはよく言ったものである。

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