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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(9)

 一方、エディットと交戦しているアシュレイもまた、エマのことが気にかかっていた。
(エマ様……!)
 耳が拾い上げたターヤの声で彼が遂に行ってしまった事実は判ったが、それでも心は未だについてこれていなかった。
(何で……どうしてなんですか!)
 気持ちを乗せて振るう事となったレイピアが、糸の一本を切断する。
 それまでは互いに衝突させ合うだけだった状況が相手側に傾きかけた事にエディットが反応するが、アシュレイは脳内をエマのことでいっぱいにしたまま感情に任せて動いていた。それは、普段ならば突くところで薙ぐ、というところにも表れている。
 これまでとは異なる相手の行動が読めずに翻弄されてしまい、エディットの方が劣勢になりかける。
「エディ!」
 気付いたフローランが声を上げれば、エディットはすばやく戦線を離脱して彼の許に戻った。
「……別人」
「なるほど、それほどあの人が気になってるんだね」
 普段とは攻撃パターンが異なっており予測できないとエディットが告げれば、すぐにフローランがその理由を察知して含みのある笑みを浮かべる。
 アシュレイは最早相手がエディットである事も忘れ、彼女の代わりに眼前に飛び込んできた騎士達も同じように攻撃するだけだった。
(それに、アクセルが、ずっと捜していた仇だったなんて……)
 背後から差し向けられた一閃はしゃがみ込む事で避け、同時に地面についた手だけで身体を支えながら、後方へと回した左足で相手の足を払う。
(それになのに……それなのに、あたしはっ……!)
 そうして相手が背中から倒れ込んでいくところに、そのままの勢いで回した右足を思いきりぶつけてやった。
(裏切ったのはエマ様じゃない。あたしの方が、先にエマ様を裏切ってたんだ!)
 その隙を狙うべく死角から騎士が襲撃してくるが、これもまたアシュレイは本能でかわしていなす。既に彼女の脳内はエマのことで埋め尽くされており、眼前に立ちはだかる敵や死角から襲ってくる敵の対処は無意識のうちに行われていた。
 そんな彼女の様子に気付いたターヤは声をかけたくて、けれどかける事ができない。
(わたしなんかより、きっとアシュレイの方が凄く辛い筈なのに……なのに、わたしはここで胡坐を掻いているだけだ)
 ぎゅっと杖を握り締める。
(早く……早く、エマのところに行かなくちゃ!)
 沈みたがる心を何とか押さえ付けて、ターヤは支援魔術の詠唱を開始した。
 その頃、レオンスはエディットと対峙する事になっていた。最初は騎士達を相手取っていたのだが、気付けば眼前に彼女が居たからである。
(なるほど、いかにアシュレイが速いのかがよく解るな)
 高速でさまざまな方向から襲いくる糸を何とか避けながら、レオンスは隙を狙っては攻撃を試みていた。しかし、その攻撃も糸を束ねて作った盾に阻まれる始末で、結局は防戦一方と言っても過言ではない状態である。
「流石に、《殺戮兵器》の名は伊達じゃない、か」
「あたりまえだよ、だってエディなんだから」
 糸を避けつつ、時に短剣で弾きながら零した独り言には返される声があった。視線を移せば、どこか暇そうにこの攻防を眺めるフローランの姿がある。余裕だな、という思いが皮肉気な顔を作り出した。
 それを見たフローランは楽しげに嗤う。
 レオンスもまた、さまざまな意地や少しばかりの私怨から表情を笑みに変えた。

「上で〔教会〕が待ち伏せていたのも、おまえ達の仕業なんだろう?」
「うん、そうだよ。《団長》の命令でね」
 フローランがあっさりと認めた事で、端から隠すつもりは無いのだとレオンスは悟る。それならばと更に踏み込む事にした。
「どうやってクライド・ファン・フェルゼッティを駒として扱えたのか、少し気になるところだな」
「簡単な事だよ。〔教会〕の《教皇》が違法な魔道具を欲しがってたからね、そのルートを確保してあげた代わりに、今回ちょっと協力してもらっただけだよ。まさか《教皇》が自ら《違法仲介人》と取引する訳にはいかないからね。とは言っても、《司教》は自ら取引してたみたいだけど」
 あちら側からしてみれば問題にも繋がりかねない内容を、まるでどうでも良い情報や手の内を晒すかのようにフローランは明かす。
 それくらい彼らにとっては実に取るに足らない事実だという事か、とレオンスが察した直後、ターヤによる支援魔術が彼を包み込んだ。それにより彼は、ちょうど槍や剣の如く自身目がけて向かってきていた数多の糸を避けるべく、高速で後退した。
 糸は彼が居た場所に突き刺さり、そこの岩を簡単に砕く。
 その光景を目にした瞬間、頬を冷や汗が流れたようにレオンスは感じた。そしてすぐさま次の攻撃に備える。
「うん、そろそろ良いかな。エディ、帰るよ!」
 けれどもフローランがそう言えば、エディットはあっさりと武器を収め、彼に続いて小走りにこの場を後にする。
 同時に騎士達もまた撤退行動へと移り、唖然とする一行を置いて二人を追うように退散していく。
「あ、待ちなさい!」
 この辺りでようやく我に返ったアシュレイは彼らを追おうとするが、その行く手を阻むように坑道の入り口前の岩壁が突如として大きく崩れ、彼女らへと襲いかかった。
「《殺戮兵器》の仕業ね……!」
 舌打ちをしながらアシュレイはすばやく〈結界〉の中まで下がり、レオンスも同様の行動を取り、スラヴィは維持に専念する。
 そうして岩壁の崩落とそれによる粉塵とがおおよそ納まった後、一行は〔騎士団〕を追って外へと出たが、既に彼らは姿どころか影も形も見当たらなかった。
「逃した、か」
「でも、その方が良かったんじゃないかな」
「赤も、ずっとあのままだもんね……」
 悔しげに眉根を寄せたレオンスを諌めるかのようにスラヴィがそう言えば、マンスが同意するようにそっとアクセルを見る。
 アシュレイは少年の言葉に引かれるように青年を見て、すぐに視線を逸らした。
「とりあえず、今日はどこかで休んだ方が良いかと思われます」
 未だ調子の戻らない身体を引きずって話を先に進めたオーラの許には瞬時にレオンスが駆け寄り、そのまま彼女を支えた。
 そしてこのような状況下ともなれば、ターヤはとうに見えなくなったエマの背中を再び追いかけていた。未だ衝撃から抜け出せないアクセルや似たような様子のアシュレイ、先日同様かなりの不調に襲われているオーラのことは頭の隅に追いやられ、とにかくエマのことだけが脳内を占めている状態であった。
(どうして、こんなにもエマのことばっかり――)
 変になってしまった自分に気付いて困惑しかけたところで、ふと脳裏にセアドと〔暴君〕のメイド服の少女の姿が思い浮かぶ。続けて、今まで同じようだと感じてきた何組もの二人が。
(ああ、そっか)
 そこでようやく腑に落ちて、ターヤはその感情の正体を知る。
(わたしは、エマが『特別』だったんだ)
 それは、気が付く前に終わってしまった初恋だった。


 同時刻、ウィラードは未だメイジェルが立ち直っていないと知り、急遽クンストの〔ユビキタス・カメラ・オブスクラ〕本拠地を訪れていた。

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