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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(10)

 無論、訪問してすぐに〔ユビキタス〕の男達に捕まったのは言うまでもない。
「おい、ウィル坊! おまえに頼みてぇ事があんだ!」
「は、はい! な、何ですか?」
「その、最近メイ嬢がずっと塞ぎ込んだままだろ? 《親方》にはほっとけって言われたけど、どうしてもほっとけねぇんだよ」
「頼む! 何とかメイ嬢を気分転換させてやってくんねぇか?」
「はい。僕も、今日はそのつもりで来たんです」
「おっ、流石はウィル坊! よっし、メイ嬢のこたぁ、おめぇに任せるからよな!」
 このような一連のやり取りの後、ウィラードは椅子に腰かけてぼんやりとしているメイジェルの前まで来ていた。
 彼女は彼に気付いているのかいないのか、反応らしきものは見せない。
 任せられたからには頑張らねばとウィラードは思い、一度ごくりと唾を飲み込む。
「あの、メイジェルさん」
 勇気を振り絞って声をかけるも、予想通り彼女からの返答は無かった。それでも視線は向けられ表情は動いた為、認識されている事を認識できたウィラードはめげずに頑張る。
「その……少し、一緒に外を歩きませんか?」
 気分転換になるかもしれないですし、と付け加えれば、逡巡の末メイジェルは頷く。
 そこから最悪の事態には至っていない事を知って内心で安堵しつつ、ウィラードは彼女を促すように手を差し出した。
「じゃあ、行きましょうか、メイジェルさん」
 普段の彼ならば羞恥に襲われるような行動であったが、羞恥心よりも心配の方が何倍も優っている今の彼は、その事に気付かない。
 そして〔ユビキタス〕の面々も、空気を読んで茶化す事はしなかった。
「ウィル坊、メイ嬢を頼んだからな」
「すまねぇ、俺達にはどうしようもできねぇみてぇなんだぁ」
「頼む! メイ嬢を任せられんのは、おめぇしか居なさそうなんだ!」
 耳打ちするかのように潜めた声で頼まれ、その全てに向けてウィラードは首肯してみせる。
「はい、任せてください」
 そうして彼が彼女を連れだしたのは、フィールドに程近いクンストの郊外だった。眼前には緑豊かな平原、少し戻れば裏路地の続く工房の並ぶ裏手という場所である。
「ここならあまり人は来ませんし、景色も良いですから、一人になりたい時とかに良いんですよね」
 クンストに来た時などにメイジェルに教えてもらった知識をその彼女に返しながら、なるべく明るさと朗らかさを意識してウィラードは声を紡ぐ。
 それでも、メイジェルから応える声は無かった。
 よほど心を占めていることがあるらしい、とウィラードは察する。別に恋人でも何でもない自分がメイジェルの中まで踏み込む事には躊躇したが、それでもこのままにはしておけないと思った。故に、彼は彼女の領域に触れようとする。
「あの日、カンビオでいったい何があったんですか?」
 恐る恐る向けた言葉には、弾かれるようにして顔が向けられた。ようやく反応があった事に安堵を覚えつつ、ウィラードは続きを口にする。
「メイジェルさんが、何かに悩んでいる事は知っています。本当は、俺なんかが訊いちゃいけない事も解ってます。でも、僕では力になれませんか?」
 彼女の力になりたい。その強い一心だけでウィラードは動かされていた。
 真っすぐな言葉を向けられたメイジェルは驚いたように彼を見つめていたが、やがてゆっくりと表情を戻しながら口を開いた。
「ウィラードくんは、もし、アタシがもう死んでるヒトだったらどうする?」
「えっ、と……どういう意味ですか?」
 発言の意味を測り兼ねて、思わずウィラードは訊き返してしまう。
「アタシね、この前カンビオで、昔の親友と会ったんだ」
 だがしかしメイジェルはそれには答えず、二つほど前の質問に対する答えを口にし始めた。

 訳が解らず困惑するウィラードだったが、口は挟まずに黙って彼女の言葉を待った。
「そしたら、言われたの。アタシは確かに目の前で死んだ筈なのに、どうして、って」
「!」
「彼女が何を言ってるのか解らなくて、でも、そんなウソをつくようなヒトじゃないから気になって……それで、ずっと考えてたの。本当は、アタシはあの日にとっくに死んでて、ここに居るのは『メイジェル』の姿を借りた何かなんじゃないか、って」
 蒼白になったウィラードの前で、まるでもう気にしていないと言うかのように、メイジェルは徐々に顔に笑みを浮かべていく。それは無理をしているのだと明らかに判る、実に痛々しいものであった。
「でも、そのせいで、ウィラードくんにもミンナにも迷惑をかけちゃってたんだね。ごめんね」
 すまなさそうに無理矢理微笑むメイジェルを見ていられなくて、気付けばウィラードはその両肩を自らの手で掴んでいた。
 突然の行動にメイジェルは両目を瞬かせ、されるがままとなる。
 感情に脳内を占められたウィラードは自分が今何をしているのかにも気付かぬまま、ただひたすらに心に任せて行動する。
「メイジェルさん」
「えっ、何?」
 真剣な顔で名を呼べば、彼女は驚きからは覚めずとも反射的に応えてくる。
「僕は、貴女の過去に何があったのかは知りません。気にならないと言えば嘘になりますけど、メイジェルさんが自分から話してくれるまでは訊きません。でも、これだけは覚えておいてほしいんです」
 そこまで言ってから、一旦ウィラードは言葉を切った。
「僕は、あの日、死灰の森で重傷を負って倒れていた僕を救ってくれたメイジェルさんを、今でも命の恩人だと思っていますし、その明るさと強さを尊敬しています」
 その勢いのまま想いの丈をぶつけようとしたところで、ウィラードは我に返る。それでもここは逃げてはいけないところだと脳内で自身を叱咤し、何とかその先を言おうとする。
「それに、その……僕は、その……メイジェルさんが……す、す、す、す、す……好き、ですから。……だ、だから! 僕にとっては、今ここに居るメイジェルさんが、メイジェルさんなんですから。だから、その……あまり、深く考えすぎない方が、良いと、思います」
 最後の方はこんな事を言ってしまっても良いのかという思いが強まり、風船が萎むかのように、声も勢いも小さくなっていってしまった。気付けば頬はどちらとも熱くなっており、赤くなっているである事が容易に想像できた。
 普段とは対照的な押しを見せながらも結局はいつも通りの様子に戻ってしまったウィラードを、ぽかんとしてメイジェルは見ていたが、やがて心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「ありがと、ウィラードくん。アタシも、キミが好きだよ」
「メイジェルさん……」
 その言葉と表情とに益々顔を赤くしながら感動しかけて、そこでふとウィラードは我に返る。メイジェルが自分に抱いているのはあくまでも友人としての『好き』である訳で、自分が彼女に抱いている『好き』とは意味合いが異なる訳で。高揚しかけた気持ちががっくりと肩を落として沈んでいくのが、自分でもよく解った。
 それでも、彼女が元気になってくれたのならまあ良いか、とすらウィラードは思えた。
「ようやく見つけましたよ、《ニーズヘッグ》」
 だが、そこに割り込んでくる無粋な声が一つ。
 初めて聞いた名を訝しみながらメイジェルが、そして瞬間的に顔を蒼白くしたウィラードが片手を離す程勢いよく振り向いた先に居たのは、白を基調とした厳かな雰囲気のローブを身に纏った、黄色髪の青年だった。
 少しも見覚えの無い人物に誰だろうかとメイジェルは首を傾げ、また先程の聞き覚えの無い名をも疑問に思ったところで、ぎゅっと腕に力を込められた。驚いて視線を動かせば、肩を掴んでいた筈のもう一つのウィラードの手が彼女の腕を掴んでいた。
「ウィラードくん?」
 様子が変だと気付いて名を呼んだ瞬間、ぐっと引っ張られてメイジェルはつんのめりそうになった。

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