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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(8)

 けれども、今度こそレオンスを僅かに凌駕する速度で彼に肉薄したエマが、その喉元を短剣で掻っ切ろうとした時、弾かれるようにしてターヤは叫んでいた。
「――〈聖なる断罪〉っ!」
 それから我に返るも、既に発動してしまったものを止める術を彼女は持たない。
 故に、術者の意思に応えて出現した光の剣は、まっすぐに眼下の対象へと向けて一直線に落下した。
「「!」」
 それに気付いたエマは攻撃を諦めて瞬時に後退し、暗器が回収されたが為に地面に置き去りにされる形となった槍の許まで、一気に下がった。
 この隙にレオンスが自身の短剣を回収しにいく。
 エマの眼が、今度はターヤへと向けられる。攻撃された事で敵と見なしたのか、その視線はどこまでも冷たかった。
 今まで向けられてきたものとは百八十度も異なるそれに怯みかけて、それでもターヤは逃げなかった。本当は目を逸らしたかったが、それも根性と意地で行わなかった。
「エマ! エマは、わたし達のことも敵だと思ってるの?」
 何を言おうか迷って纏められなくて、彼に向ける事ができたのはそれだけだった。
 それでも、エマは反応を見せた。虚を突かれたかのような、そんな顔だった。
 そこに希望を抱きかけたターヤだったが、エマはその表情をすぐに仕舞い込み、足元に落ちていた槍を拾い上げるや否や、それを彼女目がけて構えながら突撃してきた。
「「!」」
「ターヤさん!」
 皆が驚愕し、オーラが逃げろと言わんばかりに名を叫んでくる。
「エマっ……!」
 しかし、ターヤはその場から一歩も動けなかった。自分の言葉は彼に届かなかったのだと、自分は彼にとってはその程度の存在だったのだと、知ってしまったのだから。
 そうこうしている間にも、槍が少女の眼前に迫る。
 ここで死んでしまうのかとターヤは頭が真っ白になりかけた。貴女は私には眩しすぎるんだ、という呟きが聞こえたような気がした。
「おにーちゃん!」
 だが、その場を割った予想外且つ突然の怒声にエマが停止させられる。槍は、少女の喉元まであと一メートルという所で止まっていた。
 ついつい動きを止められてしまった皆もまたそちらを見れば、マンスが両肩を大きく上下させながら一直線にエマを見ていた。その表情は、怒りと悲しみとがごちゃ混ぜになったものになっている。
 固められてしまった姿勢のまま、エマは視線だけをターヤの後方へと寄越す。
 目が合った瞬間、マンスは思うがままに言葉を吐き出した。
「おにーちゃん、前にぼくに言ったよね? 復讐は止めた方が良いって、むなしくなるだけだからって! なのに、ぼくにそう言ったおにーちゃんが、今度は赤を殺そうとするの?」
「……!」
 子ども故にまっすぐなマンスの言葉に、図星を突かれたらしくエマが言葉を失い、後ろに退きかける。少年と目を合わせらせず、その視線が足元へと落ちた。
 好機と見たもう一度ターヤはエマを説得しようとするが、それよりも早くアシュレイとレオンス、スラヴィ、オーラが自分達の通ってきた坑道の方を即座に振り向く。
「「!?」」
 再び引き上げられた彼らの警戒の度合いから、ターヤはモンスターでも来たのではないかと同じく気を引き締めた。それでもエマの前からは動けなかった。
 大分回復したらしきオーラもマンスを連れてその場を離れ、皆の許まで駆け寄ってくる。
 しかし彼女の予想に反し、坑道から姿を見せたのは何十人もの騎士達だった。
「「!」」
「〔騎士団〕……!」
 それを目にしたアシュレイが、ようやく牙を向いてレイピアを構える。

 けれども、騎士達は戦闘を始めるのが目的という訳ではないらしく、武器を手に一行を警戒しながらも、道を開けるように左右へと割れていく。
 そして、その中央から姿を見せたのはフローランとエディットだった。騎士達の前まで歩み出た彼は更に構える一行にはさして構わず、状況を確認するかのように周囲を見回し、エマを見て合点のいったような顔になる。
「やっぱりね」
 それから流れるような動作で横へと避け、まるで彼を通そうとするかのように道を開けた。
 彼の行動にエマは訝しげな顔になるも、すぐに何かを察したようで眼前へと向けて歩み始めた。ターヤの横を通り過ぎる形で。
「エマ!」
 ターヤは弾かれるようにして顔で彼を追いながら名を呼び、レオンスとスラヴィ並びにアシュレイは咄嗟に彼の行く先を阻もうとする。
 だが、それを見越していたかのように騎士達がわっと殺到してきた。
「ちっ、邪魔よ!」
 一気に不機嫌の度合いを上昇させたアシュレイは、視界に入ってきた騎士達を鬼神の如き気迫で制圧していく。最早、彼女の眼には下っ端と幹部の区別も付いていなさそうだった。
 レオンスもまた邪魔者を片付けながら、その先に見えるエマへと視線を飛ばす。
「エマニュエルが、〔騎士団〕と繋がっていたんだな」
 今度こそ覚悟を決めたかのような彼の声で意識が騎士達からエマに戻ったターヤは、危機感を覚え、慌てて彼が居るであろう方向を必死に見ようとする。しかし、平均的な彼女の背では眼前に群がる騎士達のせいであまりよくは奥が見えず、彼らしき髪が見え隠れするだけだ。
 その間にも、戦域を抜けたエマは、開けられた道を通ってこの場を離れようとしていた。
「エマ、待って!」
 ようやく彼の姿が見えたターヤは、それに気付いて反射的に手を伸ばす。
 けれど一行の行く手を阻むかのように、その前にはフローランと騎士達が立ちはだかったのだった。
「悪いけど、《団長》があの人に用があるみたいだから、追いつかれる訳にはいかないんだ。だから、ここで足止めさせてもらうよ」
「――退きなさいっ!」
 その言葉を最後まで聞こうとはせず、アシュレイは前方を埋め尽くす敵勢へと向けて突進していった。
 しかし、その前にフローランを護るようにエディットが割り込んだ。
「……否定」
「邪魔なのよ!」
 細いながらも強靭な糸と、細めながらも鋭利なレイピアとが、すぐに真っ向からぶつかり合う。そのまま二人は目にも留まらぬ速さで戦闘を開始した。
 レオンスとオーラもまた前線に立って騎士達の相手を始め、空間内は大乱闘の戦場と化す。
 そんな中でも、ターヤはエマの後ろ姿を追っていた。
「エマ、待って……!」
 必死に手を伸ばしながら追いかけようとするが、その腕は阻止するかのようにスラヴィに掴まれ、強制的にマンスとアクセルの居る〈結界〉の中へと引きずり込まれる。
「スラヴィっ!」
「後衛の君が、あそこに居るのは危険だから」
「っ……!」
 思わず非難の声を上げるも、正論で返されてしまってはターヤはもう反論できなかった。その代わり、再び弾かれるようにして彼の背中を目で追うしかない。
 彼の姿は既に坑道の暗闇の中に入っており、彼女の目の前で完全に闇の中へと消え失せた。
「エマ……!」
 胸の奥が一気に痛みを増した気がした。

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