The Quest of Means∞
‐サークルの世界‐
三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(7)
「エマ、様……?」
二度目の呟きで、ようやくエマはアシュレイを認識したようだった。双眸に色と光が宿り、元の彼に戻る。しかし、そこに浮かんだのは申し訳無さそうな顔だけだ。
「すまない、アシュレイ。もう私は、貴女の為の『エマ』では居られないんだ」
他ならぬ彼のその言葉で、彼女の中の砦は一瞬にして瓦解した。
「エマ、さま――」
掠れた声を零して彼女は呆然と立ち尽くし、気まずそうにエマは視線を逸らす。
「エマ!」
そのまま彼がここからだけではなく自分達の許からも去ってしまいそうな気がして、気が付けば、焦燥に駆られたターヤは飛び出さん勢いで声の限りに呼び止めていた。その鋭さと大きさに自分でも驚くが、意識はすばやくエマへと戻る。
彼は驚いて固まっているようだった。
それを好機とし、ターヤは思い付くままに言葉を紡ぐ。
「エマは、これからどうするつもりなの?」
予想外すぎる質問に、呆気にとられたエマは即答どころか答えが思い浮かばず、言葉に詰まってその場に立ち尽くすような形になる。
皆もまた、何のつもりかとばかりにターヤを見ていた。
「答えてよ、エマ」
それでも、今の彼女には引く気などいっさい無かった。回答を寄越すまではしつこく訊いてやると言わんばかりの気概で、他は視界に入らないくらい真っすぐに彼を見つめる。
彼女の真剣さを感じ取ったエマは、仕方ないとばかりに口を開く。
「貴女達も、おそらくはオーラかアシュレイから私の過去を聞いたのだろう? ならば解る筈だ。私はもう、弟を殺した相手などと一緒には――」
「それでも!」
話を遮るつもりなど無かったのだが、どうしてかターヤは叫んでいた。そして一度そうしてしまえば、途中で止まれる気などしなかった。
「エマがすぐに手を下さなかったのは、本当の事をアクセルに話したのは、本当はアクセルのことを赦したいと思ってるからだよね!? 本当はアクセルを信じたかったから、ずっと何もせずに何年も一緒に居たんだよね!?」
「――っ!」
瞬間、虚を突かれたかのようにエマが目を見開いて唖然とした表情になった。
相手の反応から図星だったのだとターヤは確信を得る。
そして、他の面々もまた。
同時に希望を見出してもいたターヤは、アクセルの現在の様子と本来の性格とアストライオスの件から、事実を知った上での彼の心情を察し、それを代わりにエマへとぶつけようとする。
「だったら、今からだってやり直せる筈だよ! アクセルだって、本当は忘れたかった訳じゃないよ! ずっとずっと、心の奥底では悔いてたんだよ! だから、この前だってあんなに魘されて――」
「それなら!」
しかし、今度は絞り出すようなエマの声によってターヤの言葉が遮られる。
「なぜ、少しでも思い出そうとしなかったんだ!? なぜ、少しも思い出せなかったんだ……!」
「それは――」
反射的に答えかけるも、結局は言葉に詰まる。そこまではターヤにも解らなかった。
アクセル当人は、立ち尽くしたまま何も言わない。
答えに窮す彼女と答えない彼を見て、エマの眉間のしわは益々寄っていく。もうこれ以上は待てないと言わんばかりに、その形相が凄みを増していた。
「やはり、私は貴様を赦せそうになどない……」
空いている方の握り拳を強く震わせる様を見て、マンスは以前自分に向けて彼が言った言葉を思い出す。
(復讐は止めた方が良いって、ぼくに言ったくせに……心がむなしくなるだけだって言ったくせに、おにーちゃんはそこまで赤を殺そうとするの……!?)
「故に、この手で殺させてもらう!」
決意の籠った揺るぎない眼でアクセルを睨み付けたまま、エマは槍を振り上げた。
「――〈盾〉っ!」
それに気付いたターヤは慌てて防御魔術を唱え、咄嗟にその攻撃からアクセルを護る。
弾かれる事は最初から予想できていたのかエマが驚く様子は無かったが、その顔にまるで裏切られたかのような悲痛な色が一瞬走る。
「っ……!」
その表情に声を飲み、ターヤは続けようとしていた詠唱を止めてしまう。
そんな彼女の横を同じく動き出していたスラヴィ、レオンスが武器を手にしたまま通り抜けていく。仕方がないと言わんばかりの苦渋の顔であった。
彼らの顔を見てしまえば、ターヤは思わず上げようとした制止の声を飲み込むしかない。
オーラは坑道に近い後方でマンスに護られるかのような位置に膝を付いており、アシュレイは先程からターヤの少し後ろでアクセル同様に棒立ちになったまま動かない。
そして、アクセルの――一行の眼前に立ちはだかるは、仲間であった筈のエマだった。
(そんな……エマと、戦わなくちゃいけないの……!?)
現状を完全に認識した途端、ターヤは芯から凍り付かせる程の悪寒に襲われた。
エマを止めるべく前方へと飛び出したスラヴィとレオンスは、相手の許に到達する前に互いに目だけを向け合わせて意思疎通を行い、頷き合う。それから瞬時に左右に分かれ、同時にエマへと襲いかかる。無論、二人とも本気ではなかった。
だが、エマは空いている方の手に不可視の盾を展開させ、左側からのスラヴィの幾つもの暗器はそれで、右側からのレオンスの短剣は槍で防いだ。
攻撃を弾かれた二人は一旦後退しようとするが、それを許さないかのようにエマが攻撃に転じる。最初の標的はレオンスだった。不可視の盾を展開しての追撃でありながら、エマはレオンスについてくる。
槍と短剣を交差させながら、レオンスは彼が本気である事を悟った。
「本気、なんだな」
答えず、エマは力を込めて槍を振るった。その勢いに押し負け、短剣が弾け飛ぶ。
「レオン!」
思わず名を呼んだターヤの目の前で、エマの槍が彼の喉元を狙う。
しかし横合いから飛んできた何本もの鎖が槍を絡め取り、それを阻止した。スラヴィである。
これでエマの動きを止められたのかと思いきや、彼はあっさりと槍を手放した。
「「!」」
驚いたターヤ達など気にもかけず、エマは不可視の盾だけを手にしたままレオンスへの攻撃を再開する。手放した槍の代わりに、懐から取り出した短剣を使って。短剣も扱えたのかと驚く外野を置いて、エマは執拗なまでにレオンスを攻める。
とは言え簡単にやられるレオンスではなく、彼は後退一択ながらも相手の攻撃を当てさせずに全て避けてみせる。
スラヴィがそれを止めようと横から暗器を飛ばすが、武器を軽量化したエマの速度は上がっており、彼は二度目の制止は受け付けなかった。
同様に何とかしたいターヤだったが、エマを止める為には彼を攻撃しなければならないのではないかという思いから、行動に移れずにいた。
また、アクセルとアシュレイは心がついてきていないらしく棒立ちのままで、オーラも魔術が使えないらしく歯痒そうに座り込んだままで、その横に居るマンスは顔を伏せ気味にしており、誰も動けそうにはない。
(どうしたら、エマを止められるの?)
呆然と眼前の光景を眺める事しかできず、ターヤはただその場に立っているだけになっていた。
(ううん、そんなの、最初から解ってる。でも、それを、わたしがしたくないだけなんだ)
彼を止める為には彼を攻撃するしかないのだと解っていながらも、ターヤはその一歩が踏み切れずにいたのだ。エマを信じたいが故に、敵になってしまったのだとは思いたくなくて。