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三十一章 仮初の現在‐and Emanuele‐(6)

 流石に、アクセルもそれくらいは聞いた事がある。
「ああ、知ってるけどよ、それが――」
 何なのだと言いかけて、ここでもまさかという思いに襲われた。
 相手の表情から思考を読み取ったエマは、首を縦に振る事で肯定する。
「そうだ。私は、両性具有なんだ」
 最早声すら上げられなかった。次々と明らかになるエマの真実に、彼――否、彼女の事など全く知らなかったのだと、今になって思い知らされる事になったアクセルは、ただ呆然と立ち尽くすだけだ。
「幼少期は自身の性別を固定できなかったせいで、私は使用人からも実の親からも忌み嫌われた。とは言え、貴族としての体裁を保つ為に奥に隠され、秘されながら育てられた事だけは幸いだったが」
 そんな彼を気遣う事など無く淡々と、けれどどこか懐かしげに苦しげにエマは語る。若干和らいだその目は眼前のアクセルではなく、どこか遠くへと向けられているようだった。
「だが、そのような私に対しても、あの子だけは違った。ただ一人普通に接してくれるあの子が、私にとってどれほど救いだったか……。だから、あの子に同年代の、しかも貴族などという身分などに縛られず気楽に接する事のできる友人ができたと知った時、私は自分の事のように嬉しかったんだ。あの子が幸せならば、私も幸せだった」
 なのに、と。途端に眼に力と憎悪と憤怒とが戻り、その矛先が再びアクセルへと突き付けられる。思わず彼が後退しかける程の形相だった。
「ある日、無理に魔術を使おうとして魔力を暴走させたその友人を――貴様を止めようとして……あの子は、その代わりに亡くなったんだ……!」
「!」
 瞬間、その言葉でアクセルは脳裏に蘇るものがあった。最近何度も夢に見る、自身が殺したと思しき血塗れの少年。ただ呆然と見下ろすだけの犯人である筈の自分に、良かったと言うかのように笑いかけている少年。
 その顔が、眼前の青年の顔に重なった。
「っ……!」
 そして、アクセルは全てを思い出した。
 期待されて入学した〔魔導術学院クレプスクルム〕で、稀代の落第生として蔑まれ苛められていた頃に出会った、一人の少年の事を。エマニュエルと名乗った彼だけは、自分を対等な存在として見てくれて、初めての友人になってくれた事を。学院に入れない彼と会う時は、こっそりとこのリンクシャンヌ山脈内部を走る道を使っていた事を。彼とまた遊ぶ約束を思えば、今までは死にたくなるくらい嫌だった事にも耐えられた事を。いつしか、彼と会う為だけに頑張ろうと思うようになっていた事を。
 しかし、ある日、それまで溜まりに溜まっていた鬱憤や憤りなどが遂に爆発して、その衝動から無理に魔術を使ってみせようとして暴走してしまった挙句、それを止めようしてくれた彼に致命傷を負わせてしまった事を。呆然と座り込むしかできなかった情けなく酷い自分を、それでも彼は最期まで心配してくれていた事を。
 そのショックから何重にも蓋をして奥底に仕舞い込み見ないようにしていた記憶を、今になってようやくアクセルは思い返していた。
「……僕、僕は……エマを……」
 現状など頭からすっかりと吹き飛んでしまい、あの日に帰った意識のまま真っ白になった頭でアクセルは呟く。
 遂に思い出した彼を、複雑そうにエマは睨み付ける。
「貴様が、覚えていてくれたのならば……悔いていたのならば、私はこのまま貴様を赦す事ができたかもしれなかった……なのに!」
 再び拳と眼に特に強い力が籠る。
「貴様は、あまつさえ私のたった一人の大切な弟をその手で殺しておいて、今の今まで自らは覚えていないと言った! ……私は、もう貴様を赦す事などできそうにない!」
 まだ他にもそのままの勢いで何事かを言いかけそうになって、けれど寸でのところで我に返ったエマは口を噤んだ。

 だが、自ら忘れるくらいの衝撃で脳内を占められたアクセルは、そちらには気付けない。鍵を開けられたあの日の記憶は、強力な痺れ薬となって彼の頭を侵しつつあったのだ。それでも何とか残された理性が、相手から投げ付けられた言葉の意味を理解しようと働く。
「じゃあ、おまえ……最初から、俺を殺す為に……?」
 そしてそこから導き出された答えは、彼にとっては信じたくないものでしかなかった。
「ああ、そうだ」
 けれど、エマは肯定した。それが紛れも無い真実なのだと伝えるかのように。
 この言葉で、アクセルは今度こそ完全に頭の中が真っ白になった。続けて、自身の中にあった大切な何かが大きな音を立てて一気に崩れていくのも解った。全身から力が抜けたように指すら動かせなくなり、彼はその場に立ち尽くす。
 そんな青年を再び凍り付いた眼で見据えながら、エマは自らの武器を手にする。
「だからこそ、今度こそ私は、貴様をこの手で殺す」
 喉元に寸分の狂い無く槍の尖った先端を突き付けられても、死刑宣告そのものを向けられても、それでも彼は動く事はできなかったし、そうしようとも思わなかった。
 その頃、ターヤ達もまたオーラからエマの過去を聞き終えていた。
「エマが……アクセルを……そんな……」
 衝撃を隠せず、呆けたようにターヤは呟く。それでも足だけは止めずに動かしたままだったのは、褒められるべきだろう。
 ともかく、オーラによって語られたエマの過去、そしてアクセルとの真の関係性は壮絶で、彼らを知っている誰にとってもあまりにも信じられないのであった。
 だがしかし、ここ数日のエマのアクセルに対する態度の説明はこれでついた。
「最近のエマは……アクセルを、ずっと恨んでいたの……?」
「おそらくはそうなのかと。アクセルさんがその事実を覚えていなかった事により、彼に対する憎悪と激怒が再び浮上してきてしまったのでしょう」
「エマ……」
 ぎゅっと胸の前で両手を握り締め、ターヤはこの先に居るであろうエマへと思いを馳せる。
 対して、アシュレイは苦虫を噛み潰したかのような顔で視線を足元へと落としていた。
 それを目にしたレオンスは確かめるように彼女へと問う。
「君は、知っていたんだな」
「ええ、全部……全部、知ってたわ。エマ様が殺したい相手が誰なのかまでは知らなかったけど……それが、まさか――」
 そこで言葉は途切れてしまうも、アシュレイはそれ以上を言おうとはしなかった。敬愛する彼の仇敵が、他ならぬ好意を抱いた相手であった事に、強い衝撃と動揺とを隠せていないのだろう。
 顔を伏せた彼女の心中はターヤには解らなかったが、今が一刻を争う事は理解した。
「とにかく、今はオーラの言う通り急がなきゃ! エマを止めないと、今に取り返しのつかない事になっちゃうよ……!」
 ついつい悲鳴のような声を上げてしまうが、皆はターヤに同意を表す。
「そちら、です。そのまま、進んでください」
 オーラの道案内に従って、一行は先へ先へと進んでいく。坑道は全て同じように見えて感じられたが、彼女の案内を疑う者はこの場には誰一人として居なかった。
 やがて獣の眼が遙か前方に居る二人を捉えた時、突き動かされるようにして、その持ち主であるアシュレイは先頭へと飛び出す。他の面子の事などすっかりと頭から吹き飛んでいた。
「アクセル! エマさ――」
 けれども、そうして飛び込んだ先で彼女が見たのは、アクセルの喉元に寸分の狂い無く槍の刃先を突き付けるエマの姿だった。
 突然の乱入者の声を受けて、彼の瞳がこちらを向く。
「……!」
 感情の籠っていないかのような、無機質で冷たく刺すような眼だった。

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